においフェチ
セーラに送り出されたミファーは、はやる気持ちに突き動かされて足早にオウマのテントまでやってきた。
「オウマさん。ミファーです。入っていいですか?」
「おう」
テントから聞こえた返事を待って、ミファーはテントへと入る。
四、五人は入れそうなくらいの大きなテントだった。その奥にオウマが横たわっている。
「よ、ミファー」
ひょいと手を挙げてオウマが挨拶するが、あまり元気がない。昼のことを引きずっているのだろう。
「なにか用か?」
「オウマさんをはげましたいな、と思って」
ミファーはオウマの横に座った。
「ほんと、ミファーはいいやつだなあ!」
「当然のことです。だって、ミファーが落ち込んだときはオウマさんがはげましてくれたじゃないですか」
「そうか。じゃ、お言葉に甘えよう」
オウマがふっと笑う。
それからミファーはオウマととりとめのないことを話した。
本当に意味のない――寝れば忘れてしまいそうなことばかりだったけど、その時間はミファーにとってとても幸せなものだった。
オウマも乗ってきたのか、楽しそうに喋っている。
(少しは気が晴れましたか、オウマさん?)
そうだったらいいなとミファーは思った。自分にできることなんてこれくらいしかないけれど、少しでもオウマの助けになればミファーは嬉しかった。
ふと話が途切れたときだった。
オウマが鼻をひくひくとさせた。
「なあ、ミファー」
「はい」
「なんか、におわない?」
「におう?」
「ああ……お前が来たときから、なんか微妙ににおうんだよな……」
「わたしが来たときから!?」
ミファーも女性である。
におうと言われると少しばかりショックだった。
もちろん、香水の類はつけていない。
「も、申し訳ないです……」
「いや、不快なにおいじゃないからいいんだけど……あと、なんか知ってるにおいなんだよな……なんだったっけ……」
オウマがむくりと身を起こした。
オウマがひくひくと鼻を動かし――
(え……?)
ミファーの顔のすぐ横に顔を近づけていた。
まさにすぐそこ、こぼした息の風を感じるほどの距離。
ミファーの胸は激しくざわついた。
「においはミファーの身体からするな……」
オウマは神妙な顔でミファーのすぐ近くで鼻を鳴らしている。
オウマがずいっと近づく。
(は、はわわわわわわ!)
ミファーもずいっと身体を反らし――
バランスを崩してそのまま後ろに倒れた。
「いた!」
「大丈夫か、ミファー?」
「はい、大丈夫です……」
ミファーは身を起こそうとしたが、できなかった。
オウマの両腕がミファーの頭の左右に現れた。ミファーの顔をオウマの影が覆う。
「ちょうどいい。そのまま動くな」
「――!?」
オウマの顔が落ちてくる。
すんすんと鼻を鳴らしながら、オウマがミファーの胸元に顔を近づけた。
ミファーは心臓が痛いほど弾んでいるのを感じた。
ミファーの身体がかちんこちんになる。
(うううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!)
頭の中はそれだけでいっぱいだった。
手をきゅっと握りしめて、唇を噛む。
オウマのしていることは『とんでもないこと』なのだが、どうやら本人はにおいの調査に夢中で気づいていないようだった。
ミファーは自分がどうするべきかすらよくわからなかった。
悲鳴を上げてオウマを押し返す?
女性としてそれは正しい行為だろう。そうするべきだ。それをされても仕方がないことをオウマはしている。
だけど、それをする選択肢はミファーにはなかった。
大恩あるオウマにそんなことできるはずもない。
というか、今の状況はミファーにとって恥ずかしいだけで不快ではなかった。
そこでふとミファーは不思議に思った。
どうして不快ではないのだろう?
セーラの声が蘇る。
――オウマくんのこと、好きなんでしょ?
(ちちち違うっす! こ、これはその、そういうのじゃなくて!)
ますますテンパった。
ミファーは慌てて別のことを考えた。
もしも何かの弾みでオウマに火がついて、ミファーに抱きついてきたらどうするのか?
今度こそ声の限り助けを叫び、理力を暴走させてオウマに決戦を挑むのか?
それとも――
さらに激しく、ますますテンパった。
もともと頭が沸騰寸前だったミファーに、それ以上の思考をすすめる余裕はなかった。
まるでペンキでもぶちまけたかのように頭は真っ白。
羞恥で体中の血は沸騰し、ミファーは心臓に痛みを覚えた。
(も、もう、いろいろ無理っす!)
同時、オウマががばりと身を起こす。
「わかった! わかったぞ、ミファー! ルシフのにおいだ!」
実に無邪気な声だった。
直後、オウマの顔が固まった。においに意識がいっていたオウマは今ようやく現実を知ったようだった。
怯えた顔で横たわるミファーと、その身体に覆い被さる自分を。
押し倒されたミファーと、押し倒した自分を。
「あ、ああああああああああああああああ!?」
オウマは絶叫し、身体を震わせた。
「ご、ごめん! ホント、ごめん!」
ミファーはほっとした。
オウマが正気に戻ったからだ。
「だ、大丈夫ですよ、オウマさん。ちょっとビックリしましたけど」
オウマを傷つけないように、言葉を選びながらミファーは答えた。
そのとき。
しゃっとテントの入り口が開いた。
「なんか悲鳴が聞こえましたけど、何をしていますか?」
ルシフの仏頂面がテントの中をのぞいた。
そして、非常に珍しいことが起こった。ルシフの両目がかっと見開いたのだ。だいたいのことは想定どおりという顔をしている堕天使が見せる希有な表情だった。
オウマがミファーを押し倒している。
オウマが、ミファーを、押し倒している。
「あ、あの、ルシフさん、これは――!」
ミファーは悲鳴のような声を上げた。
ルシフはいつもどおりの笑顔をすぐ再構成して言った。
「これはこれは、気がつかなくて申し訳ありません。まさか兄上さまにそのような度胸がおありとは……。ではでは、二人でしっぽりとお楽しみください。しっぽりと」
しゃっとテントの入り口が閉じる。
「まままま待ってくれえええええ!」
オウマの悲鳴が響き渡った。




