悪役貴族が俺(魔王)をハメる密談? ざまぁフラグ自分で立てるなよ(笑)
「失礼いたします」
重くて厚みのあるドアをラーロットは押し開いた。
たかだか屋敷の一室とは思えないほどの大きな部屋だった。普通の民家がまるまる入るほどの広さだ。部屋に配された家具や調度品はどれも一級品。そのたったひとつでさえ庶民がどれだけ倹約しても買うことはできないだろう。
それもそのはず――
この部屋は五公爵家のひとつファーブル家の次期当主、ラーロットの兄グレファンの執務室だった。
巨大な執務机で書類に目を通していたグレファンがラーロットに目を向ける。
グレファンは目の細い銀髪の青年だ。年は一九歳。筋肉質の弟に比べて肉付きが悪いのは剣術の才能がなかったからだが、その代わり学問には非凡な才を発揮していて、今では父親の片腕として家の仕事の半分を担っている。
外見も性格もまったく似ていない兄弟だが、それも当然だった。二人とも別々の家から引き取られた養子だからだ。
「よくきてくれた、我が弟よ」
弟を歓迎する言葉だったが、声はとても淡泊で表情に喜びの色もまったくない。
もちろん、ラーロットも歓迎されていると思っていない。
傷を癒やすために家に戻ってきていたが、できれば兄とは顔を合わせずにいたかった。むろん、そういうわけにもいかないのだが。
ラーロットは背筋を伸ばしたままつかつかと執務机まで歩き、直立不動で兄の前に立つ。
「ご迷惑をおかけいたしました」
学校では見せたことのない謙虚な姿勢でラーロットが頭を下げる。
「そうだな。とても迷惑したよ」
じろりとグレファンはラーロットの全身を見た。
「お前の身体を治すのにいくらの金がかかったと思う?」
兄の言葉の通り、ラーロットの身体は完全に治っていた。へし折られた鼻も粉砕された両手首も昔の通り。
部屋にある鏡には、宮廷で貴族の子女から美男子ともてはやされた緑髪の若者が以前と変わらない姿で映っていた。
グレファンが引き出しから書類の束を取り出し、ばさりと執務机に投げ出す。
「寺院からの請求書だよ。お前のケガ――特に使えなくなるとまで言われた両腕を治すのにどれだけ苦労したと思う? あちこちの寺院から最高級の司祭をかき集め、多額の寄付金を積み上げて予約をねじ込んで治療を施したのだぞ。あの坊主ども、ここぞとばかりにふっかけおって……!」
「……ありがとうございます」
兄の存在は気にくわないが、その件についてラーロットは本気で感謝していた。
――あなたの両腕は二度と動かない可能性があります。
そう医者に言われたときの絶望と恐怖を、ラーロットはいまだに忘れられない。
「お前のためではないさ。お前はファーブル家の嫡男だ。役に立ってもらわないと困るのだ。これは投資だよ」
グレファンが容赦なく言う。
その言葉に偽りがないことをラーロットは知っている。かわいい弟だから治したのではない。利用価値があるから治したのだ。それがなければ間違いなくグレファンはラーロットを見捨てていただろう。
「ついでもう一枚――」
さらにグレファンは新しい紙を机を置く。
「これは勇者学校への寄付金だ。お前への退学処分も取り消しにしておいたぞ」
「俺はもう……学校には……」
「戻る戻らないはどうでもいい。これもまたお前のためではない。いいか、名誉ある五公爵の一翼ファーブル家の嫡男が退学処分にされるのはまずいのだよ。戻りたくないのなら勝手に退学しろ」
グレファンがそう吐き捨てた。
ラーロットにとってもう学校に戻る意味はなかった。ラーロットが勇者を目指した理由はたったひとつ。
勇者として名をあげ、家の後継者争いで兄を逆転するためだ。
だが、その夢も潰えた。
あれだけの問題を巻き起こして家名に泥を塗り、兄に尻ぬぐいをさせたのだ。もうなにをしてもラーロットに逆転の目はない。
兄の犬として生きる以外の人生は残されていなかった。
「その金は……俺が働いて返します……」
「そうだな。存分に働いてもらおう。だが――」
ばんとグレファンが机を叩いた。
「問題は金の話ではないのだよ。金など腐るほどある。足りなくても平民どもをこき使って搾り取ればいいだけだ。大切なのは我が家の名誉!」
グレファンは怒りのまなざしをラーロットに向けた。
「お前の愚行は学校にいる貴族の学生たちによって王都にまで届いている。貴族たちは裏で笑っているよ。ファーブル家も終わりだと。おかげで我々の評判はがた落ちだ」
「く……申し訳ありません……」
「申し訳ないではないのだよ、ラーロット。我々は試されているのだ。我々の意をどうやって示すかを。我々の力を。権力を。今ここでこぶしを握らなければ五公爵家としての栄光はいずれ過去のものとなるだろう。我々を笑ったものにわからせるのだ。ファーブル家いまだ健在なりと」
「そ、それはそうですが……だけど、どうやって……」
「オウマとか言ったか、お前を追い詰めた男は」
「――!?」
兄の口から出ることはないと思っていた名前を聞き、ラーロットはびくりと身体を震わせた。
グレファンが笑う。
「不思議か? 言ったろう? 貴族の子息たちが学校の様子を家に報告していると。耳を傾けていれば手に取るようにわかるさ、何が起こっているのかなどな」
ラーロットは思い出した。自分の兄は単に頭がいいだけではなく、同じくらい権謀術数に長けていることを。
「で、そのオウマ――お前が起こした森での騒ぎをうまく鎮圧したことで今では学校の英雄らしい」
「あいつが……!」
ずっと生死の境をさまよっていたラーロットは初めてそのことを知った。
勇者への道は諦めても、その最初の原因となったオウマへの恨みは消えていない。
怒りと復讐心がラーロットの胸に燃え上がった。
「いい顔をしているな、ラーロット」
兄に指摘されて、ラーロットは慌てて顔を手で押さえた。
「隠さなくてもいいさ。ちょうどお前の願いを叶えてやろうと思っていたのだから」
一拍の間を置いてからグレファンが言った。
「オウマを倒せ」
「――!?」
ラーロットは目を見開いた。兄をじっと見る。まさか兄がそんなことを言うとラーロットは思っていなかったからだ。
「それは、どういう……?」
「そのままの意味だ。オウマを倒せ。いやむしろ――」
グレファンは目を背けずに続けた。
「可能であれば、殺せ」
もちろん、ラーロットに恨みを晴らしたい気持ちはあった。兄がそれを後押ししてくれるのなら実にありがたいことだ。
だが、ラーロットの気持ちはそこまで昂ぶらなかった。
度重なる失敗はラーロットから自信を奪っていたのだ。
「復讐したい気持ちはありますけど……俺にはもう……」
オウマに関わりたくない。
その気持ちがラーロットの心を占めていた。
「勘違いするな。誰もお前のために復讐をしろと言っていない。これもまた家のためだ」
「家のため?」
「平民あがりのオウマが学校の英雄となり、ファーブル家のラーロットを追い落としたというのは王都でちょっとした噂なのだ」
これみよがしにグレファンがため息をつく。
「言ってみれば、オウマはファーブル家についた汚名そのものなのだよ。ならば対応はわかりやすい」
ぱちん、とグレファンが指を鳴らす。
「それを叩いてつぶすのみ。そうすれば諸侯はみな思い出すであろう。ファーブル家の威光と権威を」
グレファンがじっとラーロットの顔を見た。
「オウマを倒せ、ラーロット。お前と家、双方の汚名を返上できるのだ」
だが、ラーロットは首を振った。
「兄上。俺はオウマと関わりたくありません。俺はあいつに勝てる気がしないのです」
「安心しろ。誰もお前に期待などしていない。絵は俺が描いてやる。お前は俺の言うとおりに動けばいいのだ。手も貸してやろう」
グレファンはそう言うと、机に置いてあるベルを鳴らした。
隣の部屋のドアが開く。
入ってきたのは灰色のローブを着た男だった。年の頃は三〇半ばくらい。暗い笑みを顔にはりつけた陰気な男だった。身にまとう雰囲気が一般人のそれではない。
「……裏社会の人間か?」
「はい。貴族さまに覚えてもらう名はありません。召喚士とだけお呼びください」
「召喚士……?」
答えたのはグレファンだった。
「その男は二体の魔族を使役するのだ。その魔族たちは当代最高の勇者リグルフォンすらも苦しめたそうだ」
「ほう……」
リグルフォンの名はラーロットも知っている。
しばらく前に行方不明になってしまったが、その力は折り紙付き。もっとも魔王城に近いパーティーを率いていた勇者だ。
ラーロットも勇者を目指すものとしていつかは越えるべき壁だと思っていた存在だ。
そのリグルフォンと互角に戦ったというのなら――
勇者の卵でしかないオウマといえど勝ち目はないだろう。
「ラーロットよ。やるぞ、ファーブル家の汚名をそぐのだ」
「わかりました、兄上」
ラーロットは強くうなずいた。
今度こそ勝ってみせる、そう強く誓って。




