ミファーの祈り(下) ~最強の師匠と孤独な弟子と~
短剣を自らの喉へと突き込んだ――
はずだった。
「なにをしようとしている?」
オウマの声がすぐ側で聞こえた。
ミファーの短剣はミファーに届かなかった。いつの間にか横まで移動していたオウマがその刃を素手でつかんでいたからだ。
(え……そんな……!?)
ミファーはオウマの移動に全く気がつけなかった。
ミファーの短剣は、まるで時間が制止したかのようにぴくりとも動かない。
「オ、オウマさん……!?」
「死なれては困るな……せっかく俺が助けた命だ。俺に相談無しってのはちょっとひどくないか?」
「オウマさん、刃を握っちゃ――!」
「ああ、これか? たいしたことないさ」
ばぎん!
まるでクッキーを握りつぶすかのように、オウマが短剣の刃を握りつぶした。オウマの開いた手から木っ端みじんになった刃のかけらがこぼれ落ちる。
その光景をミファーは目を見開いて見た。
(……やっぱり、オウマさんはすごい……!)
オウマがミファーに言った。
「なんだか力の高まりを感じてな、これはミファーか? と思ってここまで来たんだよ。昼の件で話がしたくて」
「……弟子をやめるという話ですよね?」
「ああ、そうだ。いきなりそう言われて、はいそうですか、とはならないんだよね」
「身勝手でしたね……ごめんなさい……」
「なに構わんさ。俺の周りはそういうやつが多くてね、慣れている」
オウマが喉の奥で笑った。
「で、よければ教えてくれないか。どうしてそう思ったのか。あとどうして死のうと思ったのか、もな」
「……わかりました」
ミファーはすべてを話そうと思った。
話してもどうにもならないと思って口をつぐんでいたが、もうそれはあまりにもミファーにとって重すぎた。
解決策なんてなくてもいい。
誰かに聞いて欲しかった。
それにひょっとすると、この常識の届かない英雄であれば、ミファーの悩みも解決してくれるかもしれない。
「オウマさんもご存じの通りですが……理力を制御できないのです。解放しすぎると我を忘れてしまって……」
ミファーはへし折れた木に視線を送った。
「いつの日かこの力は誰かを殺してしまうかもしれない。そうなれば英雄の道を歩くオウマさんに迷惑をかけてしまいます」
オウマからの返答はない。
オウマは不思議そうな表情で首をかしげた。
「え、それだけ?」
「は、はい……」
「英雄ね。俺が英雄……」
オウマが肩を揺らして笑った。
「俺は英雄なんて肩書きに興味がないよ。もっといい肩書きがあるからな」
「もっといい肩書き……?」
「いや、こっちの話だ」
オウマはじっとミファーを見た。
「それだけなら別に気にしなくていいぞ」
「……それだけではありません」
ミファーは自分の手を見つめた。
「制御ができないんですよ。この力がいつかオウマさんを傷つける日が……いや、その可能性はありました。あの森での戦いの日、お世話になってるオウマさんに……襲いかかって……」
きゅっとミファーは唇を噛んだ。
「なんだ、そんなことか。気にするな」
「そんなことって! オウマさんを……殺してしまうかもしれないんですよ!?」
「俺を? お前が?」
今度は森中に響き渡るような大声でオウマが笑った。
「ははははははは! 面白いジョークだ。本当にそれができるのならいいんだがな。俺の退屈もまぎれるだろうに……!」
ミファーはオウマの言っている言葉の意味がわからなかった。
自分の力を知ってなお、なぜこの人はこうも笑えるのだろう。そうならばどれだけいいのだろうと言えるのだろう。
だが、言葉とは裏腹に――
オウマの身体から発散される雰囲気が変わった。
まるで吹雪のなかを歩くかのような冷たさをミファーは感じる。
(怖い……)
ミファーは恐怖を覚え、肌を震わせた。
オウマが口を開いた。
「ならば、思うがままに暴走してみせろ」
「え――!?」
「ミファー、お前は力の制御を練習したいのだろう? 今ここでやれ。成功すればそれでよし。失敗すればこの俺がお前の力を存分に味わってやろう。どちらに転んでも互いの利しかない」
「そ、そんな――危険ですよ!」
オウマが両手を広げる。
「構わない。もう二度と心配しないように、お前の全力を打ち込んでこい。それすらも凌駕して俺はここに立ち続けてみせよう」
ミファーは本気かと思った。
オウマの目は間違いなく本気だった。
そんなことできないとミファーは思った。だが、オウマならば確かにそれをやってみせるのではないか、そんな期待もある。
「本当に……いいのですか?」
「構わない、さっさとやれ。俺のなかでお前はまだ俺の弟子だ。師匠の言うことは聞くものだぞ」
「あの森での力は――まだ底ではありませんよ?」
オウマは笑った。肉食獣のように笑った。
「面白そうじゃないか。実に楽しみだ」
ミファーは覚悟を決めた。
そして再び自分の理力を解放した。力の高まりとともにまたミファーの意識が希薄していく。
ミファーは制御を諦めてはいなかった。
(オウマさんを傷つけるわけには……!)
ミファーはオウマの顔を見た。
オウマとのつながりが自分の意識を留まらせてくれると信じて。
だが、そうはいかなかった。
意識の希薄化は止まらない。まるで急激な上昇気流で上空に吹っ飛ばされるかのようだ。
ミファーは命綱をつかむかのように、手を差しのばす。
「……オウマさん……手を……!」
オウマがミファーの手をつかんだ。
そこにある確かな感触は、少しだけミファーの心を留まらせた。
「オウマさん、手を離さないで……!」
「お前がそれを望むのならそうしよう」
「ありがとう、ございます――」
自分を支えてくれるたったひとつの希望。それを思うとミファーの心は温かく強くなった。
だがそれだけだった。
それを境にミファーの心は消失した。
意識を失ったミファーの身体がオウマの手を振り払うように右手をぶんと振る。
だが――その手はぴくりとも動かない。オウマの手を握ったままだった。
「残念だが、ミファーと約束したんでな。俺は昔から決めている。俺の手をとるものの手を、俺から決して離したりはしないと」
オウマが左手のこぶしを握りしめる。
「ミファーの心と身体、返してもらおうか?」
――
――――
――――――
ミファーは意識を取り戻した。
開いた瞳に映ったのは、星の広がる夜空だった。夜空を背景にオウマがじっとミファーの顔をのぞきこんでいる。
「目を覚ましたか?」
「オウマ、さん……?」
ミファーは状況を理解した。
ひざをついたオウマがミファーの右手を握ったまま、横になったミファーの身体を支えていた。
ミファーは意識がとんだ後のことを思い出そうとした。
だが、なにも浮かばなかった。今回は記憶が残っていなかった。
「オウマさん、なにが起こりましたか……?」
「お前が暴走した。俺が止めた。それだけだ」
「お怪我はしてませんか?」
「さいわい身体は頑丈でな。この程度でケガをする俺じゃないさ」
「この程度――」
ミファーはおかしくなってふふっと笑った。
この程度のはずがなかった。ミファーが目を向ければ、木はへし折れ、地面のあちこちに穴が穿たれている。
激闘があったのは明らかだ。
だが、オウマならば――それすらも『この程度』と言ってのけても不思議ではない。ミファーはそう思えた。
オウマがミファーの手を握る自分の手に視線をやった。
「おっと、すまないな。眠る前の約束だったので握ったままだった。離すとしよう。立てるか?」
だが、離そうとするオウマの手をミファーが握った。
「もう少しだけ……このままでいいですか……? 安心するんです」
「構わないさ。どうせ暇な身だからな」
自分を包んでくれる確かな存在。ほっとした安堵感。ミファーの張り詰めていた心が緩んだ。
その緩みがミファーの感情をふわっと揺さぶる。
ミファーの瞳から涙がこぼれた。それは止まることなくミファーの頬をぬらし続けた。
しんと静かな夜の林に、ミファーのすすり泣く声が小さく響いた。
「……ミファーは生きていてもいいのですか?」
「こんなことで死ぬな。練習をすればいいだろ。いつか制御できる日もくる」
「だけど、練習をすると……また力が暴走して……」
「そのたびに俺が止めてやろう」
「……何度もオウマさんの手を借りるわけには……」
「何度でもだ」
にやりとオウマが笑った。
「俺がどれだけフレイアの訓練につきあっていると思っているんだ? 気にするな。言っただろ? 俺は暇なんだよ」
「頼ってもいいんですか、ミファーは。オウマさんを……」
「俺が師匠でお前が弟子。それ以上の理由が必要か?」
「……オウマさん!」
ミファーはオウマの胸に顔を押しつけて泣いた。声をあげて泣いた。それは両親を失い村も失ったミファーがようやく新しい居場所を見つけた喜びの涙だった。
オウマはそっとミファーの頭を撫でて言った。
「悩むな。お前ごときに傷つけられる俺ではない。任せろ」
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「頼ってもいいんですか、ミファーは。オウマさんを……」
「悩むな。お前ごときに傷つけられる俺ではない。任せろ」
ミファーとオウマのセリフを一言一句間違えずに口ずさみ、ルシフェルはくっくっくっくと笑った。
「なんですかこれ? もう結婚しろよお前らみたいな感じですね」
ルシフェルは学校の屋上の、柵の向こう側のへりに腰かけていた。遠視の魔法で二人のやりとりをじっと監視していたのだ。
「着々とハーレムの準備を整えているではありませんか、我が主は」
ミファーの件だけではない。フレイアとのやりとりもルシフェルは把握していた。彼女たちの気持ちがオウマに傾いていることもすでにルシフェルは見抜いている。
ルシフェルは学生服のポケットから二錠の薬を取り出した。
「せっかく作ったのに意味はなかったですね」
かきっと音がした。ルシフェルが握りつぶしたのだ。開いた手から薬のかけらが風に流されて飛んでいく。
それは惚れ薬だった。
フレイアとミファーに呑ませてオウマに惚れさせようと画策していたのだが、必要がなくなった。
「問題は我が主が気持ちに気づいていないことですね」
ハーレムの材料はあるのに、当の本人はどこ吹く風。
押せば倒れるのに、そんなことにも気づいていない。
「ま、それはそれで今後の展開を考える面白さがありますね」
ふふふと笑って、ルシフェルが立ち上がる。
そのままとんとジャンプし、くるりと回転して柵の向こう側へと戻った。
主であるオウマの横にルシフェル以外の存在が並び立つ。
ルシフェルにとってそれは愉快で喜ばしい想像――
のはずなのに。
不意にルシフェルは息苦しさを覚えた。不快な気持ちが風船のように胸の中で広がったのだ。
ルシフェルはそっと自分の胸を撫で、首をかしげる。
「はて。これはなんでしょうね?」
ルシフェルにはその感情の意味がさっぱりわからなかった。
ふっと息を吐くと、そんな気持ちはきれいさっぱり消えた。ルシフェルは満足そうにうなずくと屋上を後にした。
堕天使は何でも知っている。
だが、自分のことだけはよくわかっていなかった。




