ミファーの祈り(上) ~ミファー、弟子やめるってよ~
森での死闘から数日後。
ミファーは久しぶりに授業を受けた。
実際のところ、授業に出ようと思えばすぐに出られた。ミファー自身の負傷はたいしたことがなく、神官の回復魔法ですでに治っていたからだ。
だが、あまりにもいろいろありすぎた。
精神的に前向きになれず、ずっと部屋で寝て過ごしていたのだ。
頭のなかにたくさんの問題が山積していた。それを思えば憂鬱になって動けなくなる。
(ひとつずつ解決していくしかない……)
ミファーはそう思った。だから、ミファーはぐずぐずとなりそうな自分の気持ちを奮い立たせることにした。
ミファーはえいと気合いを入れると、ベッドから這い出て鏡をのぞき込んだ。
ミファーは自分の顔を見るのが好きだった。ミファーの顔は死んだ母親に似ていた。ぱっちりした目も鼻梁の低い鼻もすべて母親がくれたもの。鏡を見れば母親を思い出すことができるからだ。
ミファーは茶色い髪を手に取り、慣れた手つきで三つ編みにする。
制服に着替えて準備万端。
うんとミファーはうなずいた。
まずは一番大切なことから解決しよう。
そう思い、ミファーは学校に来たのだ。
「し、師匠!」
授業が終わるなり、ミファーはオウマに声をかけた。
「おう、ミファー。久しぶりだな。身体は大丈夫か?」
「は、はい」
気さくな様子で自分の心配をしてくれるオウマを見て、ミファーは自分の決断が緩むのを感じた。
だが。
だからこそ、ここはしっかりしないといけない。これ以上オウマに迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
「師匠! あの……わたし弟子をやめます!」
「え?」
いきなりのミファーの言葉にぽかんとオウマが口を開ける。
その口が疑問の声を投げかけるよりも早く――
ミファーはくるっとオウマに背を向ける。
「そ、そういうわけなので!」
そして、逃げるように立ち去った。
寮の部屋まで逃げ帰り、ミファーはベッドにぽすんと腰掛けた。
「これでいいんだ……」
ミファーは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
あの燃え上がる森のなかでラーロットに首を絞められてから起こったこと――ミファーはおぼろげながら覚えていた。
ラーロットの腕を砕いたことを。
学内の噂だとラーロットの両腕は筋も骨もぼろぼろで、もうダメではないかとまで言われている。
取り巻きたちが洗いざらい喋ったため、さすがの大貴族のラーロットも退学処分になるらしいのだが、その腕ではそもそも勇者の訓練を続けることはできないだろう。
完全にラーロットの自業自得であり、完全にミファーは被害者なのだが、心優しい性格がゆえに気にしないわけにもいかなかった。
そしてもうひとつ。
オウマに殴りかかったこともミファーは覚えている。
ミファーは自分という人間に自信が持てなくなっていた。自分自身が恐ろしい獣のように思えて仕方がなかった。
いつか制御のきかなくなった自分がオウマに迷惑をかける、ミファーはそれを心配していた。
オウマはすごい。
入試試験でラーロットを倒して噂になり、さらに主席で貴族のフレイアに実力を認められて平民のスターとなり、もう今では校長すら認める学院の英雄である。
オウマならば本当に魔王を倒すのではないか。
ミファーはそんな期待をしてしまう。
だからこそ、ミファーはオウマから距離を置くことにした。彼の歩く道に自分のようなものがいれば、きっとそれは彼の名声に傷をつけることになるだろうから。
「そう。だからこれでいい」
ミファーは今度こそはっきりと自分に言い聞かせた。
それから外を見ると、もう外は真っ暗になっていた。
ミファーは食堂から持ってきたパンを食べながら寮の外へと出ていった。
向かった先は寮から少し離れたまばらに木が立っているところ。
木立の隙間から漏れた月の明かりがぼんやりとミファーの足下を照らしている。ミファーは周りに誰もいないことを確認してから、そっと瞳を閉じた。大きく深呼吸しながら体内の理力をゆっくりと解放し始める。
(もう逃げていちゃいけないんだ)
ミファーはそう思った。
自分のこの暴れ馬のような力は誰かを傷つけるものだ。
だから、制御できなくてはならない。
それができないのならば――
ミファーは特訓を始めることにした。
ミファーの体内に眠る理力が目を覚まし、だんだんと密度を高めていく。身体中に力があふれて心が高揚していく。
まだまだ限界は遠い。
走ろうと思うのなら、まだはるか先まで行けるだろう。
だが、同時に感じていた。
自分の意識が、自分の身体からはがれて空に消えていくような感覚を。
希薄化する自我。
いつものミファーならここで引き返していた。フレイアとの模擬戦で見せた力はこの瞬間ぎりぎりの制御だった。
今日のミファーはさらに踏み込む。
闇の恐怖を克服するためには、闇に入らなければならない。
自分を信じてミファーはさらに力を解放し――
暴走した。
「――!」
ミファーの右腕が自分の意志とは関係なく持ち上がった。そして、こぶしを握りしめる。
ミファーの意識はまだおぼろげながら存在していた。
だから、必死に自分の身体を押さえ込もうとした。
ミファーの右腕はぶるぶると震えながら、こぶしを開いたり握ったりした。
(早く……早く落ち着いて……!)
ミファーは必死に制御しようとしたが、その想いは届かなかった。
こぶしが強く握りしめられる。
「ダ、ダメ!」
声に出してミファーは叫んだ。しかし、ミファーの身体は止まらない。ミファーは思いっきり近場の木をぶん殴った。
どぉん!
と空気を圧する音と衝撃。
真っ二つになった木がめりめりと音を立てて地面に倒れた。
ミファーの身体から高まった理力が消えていく。
「は――!」
同時、おぼろげだったミファーの意識が急速にはっきりとし始める。身体の隅々まで自分という存在を感じられた。
ミファーは自分がへし折った木に手を当てて唇を噛んだ。
制御は失敗した。
ミファーの心は深い絶望を感じていた。自分は無意識のうちに人を殺す獣でしかないのだろうか。
自分がなぜこんな体質なのか、それがわからないのが怖かった。
「く……う……ううう……」
心の痛みに耐えきれず、ミファーの目から涙がこぼれた。
やはりダメだった。
ミファーはこの暴れ馬のような力を制御しなければならないのに。
それができないのならば――
自分で自分を殺すしかない。もう誰も傷つけないために。
ミファーの手が腰から短剣を引き抜いた。短剣の刃が月光を反射し怪しげな輝きを放つ。
ミファーはにらむような目で短剣の切っ先をじっと見つめた。
この短剣を喉に突き込めばそれですべてが終わる。
ミファーの悩みも、ミファーの力で誰かが傷つく可能性も、ミファーの命も。
ごくりとミファーはつばを飲み込んだ。白い喉が動く。
「おい、ミファー」
突然の声にミファーの身体はびくりと震えた。
ミファーが振り返ると、木陰に知った顔の男が立っていた。
「オウマさん……!」
オウマの顔を見て心が緩みそうになったからこそ――
ミファーはぎゅっと奥歯を噛んだ。
そして自らに冷徹な決断をくだす。
「ごめんなさい、オウマさん!」
ミファーの腕が動き、短剣を自らの喉へと突き込んだ。




