灼炎姫の恋(下) ~情熱は心に秘めて~
フレイアの予想どおり、オウマはフレイアをお姫さまだっこしたまま貴族寮へと向かっていた。
「うん? 目を覚ましたのか、フレイア?」
オウマはフレイアの様子に気がついたようだった。
「あ、ああ……今さっきな……こ、これは……?」
「お前が急に気絶したから運んでるんだよ。まさか放っておくわけにもいかないだろ?」
「そ、そうだな……」
まったくの正論である。
問題は、死ぬほど恥ずかしいことだ。
少しでも強く息を吐けば確実に火が漏れるだろう。
「そろそろ降りるか? 体調は大丈夫か? 自分で歩けるか?」
もちろん、フレイアは歩くつもりだった。
歩くつもりだったが――
降りたいかと言われるとそれは違う。
口から出たのはこんな言葉だった。
「い、いや……その……せっかくだ……た、たたた体調も万全ではないから、このままおおおお願いしたいのだが……」
嘘である。
歩くことに支障などない。
だが、もう少しこのままでいたいと思ったのだ。
「わたしは筋肉質で、その……軽くはないと思うのだが……」
「ははは、気にするな」
オウマはそう言うと、そのまま歩き続けた。
沈黙。
それを嫌ってフレイアが口を開いた。
「……さっきはすまなかったな」
「なにが?」
「いや、その――顔が爆発して」
「ああ、あったな。ビックリしたよ。なにあれ? 新必殺技?」
「体質らしい」
「体質……? おでこにスイッチでもあるのか?」
「いや、恥ずか――」
しくなると顔が爆発するのだ。
という発言をするとどうなるのか。フレイアは一瞬で演算した。
――恥ずかしい? どうして?
そう問われるに決まっている。
(どうして、と言われても……)
フレイアは元凶の顔を見た。
フレイアの視線に気づいたオウマと視線がばちりとあう。
(あ、嬉しい)
反射的にフレイアは両手で顔を覆った。
(ば、爆発しないでくれ! わたしの顔!)
幸運にも爆発はしなかった。
「ど、どうしたんだ、フレイア……今日のお前やっぱり変だぞ」
「わたしもそう思う……」
フレイアは顔から手を離した。そして、言った。
「す、少し休む……!」
フレイアはぎゅっと目をつむった。
オウマの顔を見ていると平静を保てなくなるからだ。
とはいえ、視界が消えることで鋭くなる部分もある。
むしろ、自分を包み込むようなオウマの息づかいや肌触りが濃厚に感じられるのだ。
(静まれ……静まれ……静まるのだ、フレイア……!)
ちょっとした精神鍛錬になってしまった。
結局、貴族寮にたどり着くまでフレイアの気はまったく休まることがなかった。身体もこちこちになってしまった。
貴族寮前で降ろされたフレイアは
「あ、ありがとう……」
と言い残し、ふらふらの足取りで部屋へと戻っていった。
いろいろ疲れてぐったりしたフレイアはそのままベッドに潜り込み、その日はずっと横になった。
翌日。
緊張した面持ちでフレイアはオウマとの訓練の場所に赴いた。少し遅刻したのは、また平静を失ったらどうしようと悩んでしまったからだ。
先に来ていたオウマは木立にもたれかかりながら、ぼおっとした様子でフレイアを待っていた。
オウマに近づきながら、フレイアは自分の勇気を試すかのような気持ちで彼の名前を呼んだ。
「オウマ」
オウマが顔を向ける。
その顔を見ても――フレイアの心は昨日のように暴れなかった。
フレイアはほっと息を吐き出した。
もちろん、炎ではなく普通の息を。
「ん? どうしたんだ、フレイア?」
「いや、なんでもない。待ったか?」
「気にするな。どうせ……暇な身だ」
「昨日はすまなかった。今日のわたしは調子がいいぞ」
「それはよかった。じゃ、やるか」
オウマとフレイアは剣をとり、いつもどおり模擬戦を始めた。
フレイアの『オウマの顔を見ると異常にどきどきしちゃうよ病』はこの日を境に沈静化した。
だが、だからこそフレイアは認めざるをえなかった。
オウマに恋していると。
炎のように燃え上がった気持ちは消えていなかった。炎は勢いを弱め、いまだにフレイア胸の中でじわじわと小さく燃えていた。
小さくなったからこそ気づくこともある。
オウマと一緒にいるだけで自分の心が華やぐのを感じた。
その顔を見るだけでほのかな喜びが胸にわくのを感じた。
フレイアは自分の心の機微を、ようやく素直な気持ちで見つめることができた。
(わたしはオウマに恋しているのだろうな……)
だから、その結論を受け入れることができた。
(だが、今はまだそんな気持ちを外に出してはいけない)
自分に厳しいフレイアはそう思った。
フレイアの使命は魔王討伐。魔王の胸に聖剣を突き立て、その命を奪うこと。
それを果たすまでフレイアは恋にうつつを抜かすつもりはない。
もしも、フレイアがオウマの胸に飛び込むことがあるとするなら、それは魔王討伐のあとだ。
(我ながらずいぶん先の話だ……)
ふふふ、とフレイアが笑う。オウマが首をかしげる。
「なんだ、急に笑って?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「そうか」
そう、なにも焦る必要はない。
きっとこのお人好しな友人はずっとフレイアの特訓につきあってくれるだろう。
ずっと近くにいれる。それだけで今のフレイアには充分だ。
今はこの友人の親切心に甘えて己の腕を磨くだけでいい。
「オウマ」
「うん?」
「ありがとう」
そう言ってフレイアが浮かべた笑みは、今までにない柔らかいものだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
残念ながら、この一件はフレイアの胸に『だけ』残る甘酸っぱい青春の一ページとははならなかった。
お姫さまだっこである。
『英雄オウマが灼炎姫フレイアをお姫様だっこしていた』のである。
そして、ここは学生寮のある学校。
暇をもてあました噂好きの学生たちが数多くいるのだ。
無警戒に歩いていたオウマの姿を彼らは目にしている。
それはもう広まった。空気がぱきぱきに乾燥した森に火をつけて油を注いだがごとく噂が広がった。
おまけに、貴族の子女たちから噂の真偽を問われたフレイアの対応もよくなかった。
「ひょっとして、フレイアさまは平民のオウマとつきあっていらっしゃるの?」
「い、いや……まあ、そ、そんなことは……ない、ぞ……」
顔を真っ赤にしながら、しどろもどろに答える。
フレイア的に嘘は言っていないのだが、その態度は勝手にいろいろと忖度された。
貴族のお嬢さまたちは裏で言い合った。
「恋ですわあああああ!」
「まさか、あの灼炎姫さまが!?」
そして噂には尾ひれと背びれがついて学生たちのなかを急速に回遊していった。
平民界のスターであるオウマは、貴族からはもちろん平民からも距離を置かれているため、そんな噂が出回っていることを知らない。
オウマの知らないところで彼に関する噂がまたひとつ生まれたのだった。




