灼炎姫の恋(上) ~こぼれる吐息は炎のよう~
夜、フレイアは寮の部屋で剣術の本を読んでいた。
読みながら、フレイアの頭のなかにいる小フレイアがその動きをトレースする。
明日の訓練で試すための動きを頭にやきつけていた。
フレイアの毎日はもう何年もこんな感じだ。
座学で学び、訓練で身体に刻み込む。
ただただその繰り返し。
愚直なフレイアにはそのやり方があっていたし、そもそも彼女は道の探究に近道などないことを知っている。
そんなフレイアの日課に異変が起こり始めていた。
いつもなら無心で本を読んでいるのだが――
『敵の刃を恐れる事なかれ。恐怖は己の刃を遅くし、己の足をすくませる。オウマに会いたい。当たることはないと思い勇気を持って飛び込むべし。地獄のような刃の森の先にこそ極楽浄土が広がるのだ。オウマ元気かな』
なんだか書物にない文字が黙読に混ざった。
そして、ふとオウマの顔が浮かぶ。
今も浮かんだ。
同時、胸が締め付けられるような気分になる。
「ぐ……!」
集中力の切れたフレイアは本から目を離して胸に手を置いた。
ここしばらくオウマの顔が不意にちらつくのだ。
おそらくもっとも大きな原因は――
森から出てきたオウマを見てからだ。オウマにお姫さまだっこされているミファーを見てフレイアは場違いにも、
(うらやましいな)
と思ってしまった。
あまつさえ、自分がオウマにお姫さまだっこされている姿を想像してしまった。
あのとき、フレイアは自分のそんな考えを場違いだと恥じ、平静を装った。
まだそのときフレイアは余裕だった。
(おやおや、わたしにも女らしい部分があったのだな)
なんて思っただけで話は終わったと思っていたのだが。
それ以来、フレイアは不意にオウマの顔を思い出すようになった。
「いったいわたしはどうしてしまったのだ……」
などとフレイアはつぶやいてみたが、実のところ、フレイアは自分の感情がなんなのか想像できていた。
恋。
それしかない。
(恋!)
その単語にフレイアは恥ずかしさを覚えた。
そもそもフレイアは自分を魅力的な女性だと思っていなかった。
首のあたりまで伸ばしたダークレッドの髪は別として、鷹のような印象を与える目が女性にしては鋭すぎる。背も高くてあまり男性と変わらない。美しいと褒められることは多いのだが、かっこいいとか凜々しいとかいう言葉がおまけでついてくる。
本人も恋愛には興味がなく、ずっと剣術一筋に生きてきた。恋なんて言葉は自分からもっとも縁遠いものだと思っていた。
だから、まだ自分の気持ちを認められずにいた。
これは何かの間違いではないかと。
これは何かの勘違いではないかと。
だが、フレイアがオウマのことを異性として見なければならない土壌があったのは事実だった。
武門でならすパーティキュル家にはひとつの家訓がある。
――異性に真剣勝負で負けた場合、その異性と結婚すること。
強者と結婚すれば強い子供が生まれる。
単純な理屈である。
真剣勝負という観点で考えれば、フレイアはオウマに完敗した。聖剣まで持ちだした完全武装でオウマに挑み、禁じられた奥義まで打ち放って――完膚なきまでに叩きのめされた。
あの戦いは間違いなく真剣勝負であろう。
だが、その時点でフレイアはあまり深刻に考えていなかった。
フレイアも家訓は知っていたが、昔ならいざ知らず今の時代ではあくまで『推奨』。
結婚相手として検討するくらいのものである。
もともと結婚願望どころか恋愛願望すらないフレイアは頭にちらついた家訓をすぐにゴミ箱に放り込んだのだが――
無意識のうちにオウマをそういう目で見ていたのだろうか。
さらにその家訓は今となっては別の意味を持ち始めていた。
(もし、もしもだ……仮に、仮にだぞ? わたしがオウマを好きになっていたとしよう……それは仕方がないのでは? だって、あんな家訓があるのだから……)
家訓があるから。
家訓は言い訳の材料になっていた。家訓があるから、自分はオウマを好きになっても仕方ないのだと……。
頭をぶんぶんとフレイアは振った。
(ダメだ! フレイア! 家訓を言い訳にするなど! お前はいつからそんな甘っちょろい人間になったのだ! 自分の本心は自分で決めるんだ!)
そして、フレイアが自分の本心を見つめた結果は――
あ。やっぱりオウマが好きかも。
フレイアの口からぼわっと火が漏れた。
(あわ、あわわわわ……!)
フレイアは慌てて手で口を押さえる。
フレイアは興奮すると火を吐く癖があった。中等部の学生時代、悪友にちょっとエッチなロマンス小説をうっかり読まされてはじめてそんな癖を知ったのだった。ちなみにその本は「い、いかんぞ、こ、こんなものを読むのは……」などと言いつつ最後まで読んでしまった。
フレイアは机をバン! と叩いて立ち上がった。
「えーい! わたしは武門のパーティキュル家の娘! 打倒魔王にすべてを捧げる女! くだらない雑念に振り回されるな、フレイア! 剣の道は長く険しいのだぞ!」
そうだ。わたしに恋などまだ早い!
自分に活を入れるように叫ぶと、フレイアはベッドに潜り込んだ。寝ればきっと忘れられる。
だが、ベッドの中の暗闇で浮かぶのはオウマの顔ばかり。
「うう……悪霊退散悪霊退散……」
いつの間にかオウマは悪霊になっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日。授業が終わり、フレイアは学校近くの空き地で自主練をしていた。
本で学んだ通りに頭のなかの小フレイアを動かす。
それに連動して、フレイアが動きをトレースする。
最初は頭の映像をなぞるようにゆっくり。だんだんと速く。意識ではなく無意識が筋肉を動かせるように。
「ふっ、はっ、やっ!」
フレイアが息を吐くたびに銀閃が走り、鍛え抜かれたしなやかな肢体が踊るように躍動する。
その動きは激しく、鋭く、そして、美しかった。
しばらくそうしていたフレイアは動きを止めた。
「ふぅ」
心地よい疲労感がフレイアの身体を覆う。もちろん、こんなものフレイアにしてみれば疲れには入らない。これはただのウォーミングアップなのだから。
フレイアが剣を構えなおしたときだった。
「よう、フレイア。遅くなってごめんな」
オウマがやってきた。
「大丈夫だ。問題ない」
そう言ってフレイアはオウマに視線を向ける。
オウマの顔を見た瞬間――
(あ。オウマくんに会えて嬉しい)
そんな言葉が頭に浮かんだ。
フレイアは自分自身にツッコミを入れた。
「誰だァァァァ! オウマくんって!」
そんな呼び方をしたことなど一度だってない。ずっとオウマだ。だが、なぜかオウマくんという言葉が出た。
びっくりしたのはオウマだった。
「え、な、なに、オウマは俺だけど? なんか悪いことした?」
「い、いや、すまない。こっちの話だ。気にしないでくれ」
「お、おう……」
わけがわからずオウマが怪訝な表情をしている。
フレイアは話を変えることにした。
「二人はどうした?」
「……ミファーなんだが……弟子やめるってよ」
「なに!? どうして!?」
「それだけ言って、すぐ逃げたからよくわからないんだ。いろいろあったから気を遣ったんじゃないかな……あとで話しをしておくよ」
「そうか」
「ルシフのほうは用事があるって言って先に帰った」
「ならば、今日は二人だけで訓練だな」
そのとき、フレイアの脳内の小フレイアが言った。
――やったね! 今日はオウマくんと二人だけ!
「くっは!」
フレイアは額に手を当ててのけぞった。
――やっばー☆ 二人だけってこれ完璧デートじゃーん!
「ぐおおおおおおおおお!」
「ど、どうしたんだよ!?」
「ちょ、ちょっと待っててくれ……煩悩が……」
そう言ってフレイアはつかつかと手近の木に近寄ると、木にがんがんがんと何発も頭突きを叩き込んだ。
「ほほほほ本当にどうしたんだ、フレイア!?」
「悪霊退散……悪霊退散……」
「何をぶつぶつ言っているんだ、フレイア!?」
「いや、大丈夫だ。さ、訓練を始めよう」
「絶対に大丈夫じゃないと思うぞ……?」
などと話しながらも模擬戦が始まった。




