堕天使の悪だくみ
ルシフェルは何も言わない。ただ、いつもとは違う慈愛に満ちたうるんだ瞳で俺を見つめている。
お、おい、まさか……。
主の俺が言うのもなんだが、ルシフェルはすさまじい美人である。美しい金髪を背中まで伸ばした色白で色気むんむんのお姉さまなのだ。
今でこそ俺との兄妹設定のために魔法で髪を黒く染めているが、その魅力はいささかも衰えていない。雰囲気がアダルトすぎて一五歳の設定って無理ない? と思うレベル。学校を歩くと平民貴族男女を問わず視線を集めている。
美を体現した――まさにそんな言葉がぴたりと似合う。
そのルシフェルに夜のお相手をしてもらえる……。
え、ちょっと胸がどきどきして仕方ないんだけど。
……ま、待て俺! そんなうまい話があるか! これは俺の勘違い! 絶対そうに決まっている!
「魔王さま、どうしたんですか?」
ルシフェルがにっこりとほほ笑む。
「い、いや……ちょっと、その……」
「勇気を出すときじゃないですかね」
「え」
「ルシフェルは魔王さまのお言葉をお待ちしております。従うべきお言葉をください」
俺は全身の毛穴から汗が噴き出すような気分になった。
この魔王の閨の供をせよ。
ど、どうなんだろう……言っていいのかな……。
いやでも、俺ロマンチストだし。そういうのは愛し合う二人でするべきだと思うのだが。
ていうか、部下にそういうのを強いるのもなあ……。
「やややっぱダメじゃないかな、ルシフェル。そそういうのは……」
ルシフェルが俺の手をとった。
俺はびっくりした。いつもは俺の扱いが雑なルシフェルだが、俺の手をまるで壊れ物でも触るかのように優しく包んでくれたのだ。
「わたしは魔王さまの忠実な部下です。いかようなご命令にも喜んで従います。遠慮なさらずにどうぞ」
俺はつばを飲み込んだ。
なんというか、少しばかり覚悟が決まってきた。
ここまで部下が言ってくれるのだ。それに乗るのも主のつとめではないか。
もももし、そそそそうなったら、そうだな、ルルルルシフェルを大切にしてやろう。いや、今も大切にしているつもりだけど……。
俺は何度も深呼吸して自分を落ち着けた。
「い、いいいい、いいんだ、な?」
ルシフェルは何も言わない。にこりとほほ笑むだけ。
よ、よーし、言っちゃうぞ、言っちゃうぞ……。
「わ、わかった。ルシフェル、ななならばお前に命じる……!」
俺は生涯で最大の勇気を振り絞って言った。
「こ、この魔王の閨の、その、とととと供をせよ!」
ルシフェルはにっこりと笑みを浮かべてこう言った。
「お断りします♪」
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
「え!?」
親切なルシフェルは一言一句そのまま繰り返してくれた。
「お断りします♪」
ルシフェルが続けた。
「いくら上司でもそういう相手をするとか普通にないでしょ?」
「おいおいおいおいおいおいおいおいおい!」
俺は絶叫した。
「忠実な部下です。いかようなご命令にも喜んで従います。とか言って俺を扇りまくってなかったっけ!?」
「ああ、それですか。忠実(笑)」
ルシフェルがぷくくくと笑ってから続けた。
「あのですね、魔王さま。お忘れのようですが、わたし堕天使ですからね? もうすでに裏切りやらかして天界を飛び出してますから。普通に主とか裏切ってますから。そんなわたしの忠誠とか期待するほうがどうかしてますよ?」
こ、こいつは……。
「そういうオチだろうな、という気はしていたんだけどな……」
「もう一回、誠心誠意お願いしたらオッケーするかもしれませんよ?」
「嘘つけ! その手には引っかからないぞ!」
俺はばっと立ち上がり、ドアへと歩いていった。
「おや、魔王さまどこへ?」
「散歩。ちょっと気分変えてくるから!」
ドアノブをつかんだところで俺はルシフェルを振り返った。
「あとルシフェル」
「はい?」
「裏切った過去を持ちだして自虐するのはやめろ。俺はお前の忠誠を疑ってなんかいないんだから」
そう言い残して、俺は部屋を出た。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
部屋に一人残ったルシフェルは脇に置いた本『よくわかる赤ちゃんの作り方』の表紙を手で撫でた。
「やれやれ……少しからかいすぎましたかね」
などと言いつつルシフェルは反省の色もなく、くっくっくっくと思い出し笑いをしている。
「ですが、魔王さまが悪いのですよ?」
実のところ、ルシフェルは断る気まんまんで話を進めていたわけではない。
もしもオウマが威厳ある王として絶対の命令をしたのならば――ルシフェルに拒絶できた自信はない。王としてのオウマの言葉を茶化すなど考えられないことだ。ルシフェルの忠誠心がそれを許さない。
だが、それが、あんなキョドった様子で命令されては――
「さすがに足りませんね」
なので、からかってしまった。
オウマはややご機嫌ななめだったが、万事について鷹揚なので散歩から帰ってくる頃にはけろっとしているだろう。
二人にとってはこんなやりとりは日常なのだ。
オウマは度量が広い。
その広さに触れるたびルシフェルの心は落ち着く。
ルシフェルが天界にいた頃、こんな会話はできなかった。しようとも思わなかった。天使は主の言葉に絶対服従するだけの人形でしなかった。
それに比べれば、今の居場所は温かく居心地がいい。
だからルシフェルはたまにオウマをからかって、自分のいるところを確認したくなるのだ。
「それにしても最後の一言はなかなかききましたね」
――裏切った過去を持ちだして自虐するのはやめろ。俺はお前の忠誠を疑ってなんかいないんだから。
主から伝えられた信頼の言葉、そのなんと甘きことよ。
思い出しただけでルシフェルの胸は熱くなってしまう。
「あの言葉の後に、誠心誠意お願いされたら断れなかったかもしれません……」
惜しいことをしましたね、魔王さま。
ルシフェルはそうつぶやいた。
そこでルシフェルは思考を切り替える。
「しかし、我が主がああいった悩みを抱えているとは知りませんでしたね」
ああいった悩み――女性経験についての悩み。
ルシフェル個人の考えとしては、王たるもの複数の異性を囲うくらいいいではないかと思っている。それこそが英雄の特権。そもそもオウマは一代にして魔界を統一した覇者なのだ。その程度のどこがわがままだというのか。
この件に関して、オウマが押されれば流されることはさっきのやりとりでわかっていた。ならば――
あとは状況さえ整えればよい。
そこまで考えて、ルシフェルの悪だくみ回路が急速に動き始めた。
「そうか……ハーレムがないのなら作ってしまえばいいですね」
フレイア、ミファーの顔をルシフェルは思い浮かべた。
特にミファー。
ルシフェルの口元が三日月型にゆがむ。
ミファーをオウマに惚れさせることができれば、ミファーがオウマの敵に回る可能性を大きく減らすことができる。
まさに一石二鳥の作戦ではないか。
「どうも魔王さまはわたしの解決策が抹殺か滅殺しかないと思っているようなので、ここは搦め手が使えることも見せておきましょうか……」
堕天使の静かな笑いが部屋に響いた。




