死んでも誰も悲しんでくれないって? バカを言え
「ラ、ラーロット、さま……!?」
ラーロットの握る剣に一筋の血がついていた。ミファーは痛みを覚えて右腕を見ると、斬られた傷から血がにじみ出ている。
(あの剣、本物……!)
ミファーは真っ青になった。目をぎょろつかせたラーロットの表情も正常のそれとは言いがたい。
そこにあるのは明確な殺意。
「落ち着いてください、ラーロットさま!」
「うるさいやつだ……すぐ殺してやるから静かに死ね!」
抜き身の剣を持ったままラーロットがにらむ。
「くっ!」
正常じゃないと思ったミファーは後ろを向いて逃げようとした。
「逃がすかよ! お前たち!」
その言葉と同時、木陰から二人の男が出てきてミファーの行く手に立ちふさがった。
ラーロットの取り巻きの二人だ。
だが、二人の顔はあまり冴えない。
「ラ、ラーロットさま。いくら平民が相手とはいえ、さすがにこれはまずいのでは……?」
「うるさい、黙れ!」
ずんずんとラーロットが近づいてくる。
「森の外れで平民の女が死んだ。それだけだ。それだけの話だ!」
ラーロットが剣を振り回す。
もしもラーロットが万全であればミファーなど数秒で切り刻まれただろう。だが、ラーロットの精神は普通ではなく酔っ払いのようなものだった。おまけに模擬戦でミファーに痛めつけられた負傷は深刻で身体も思うように動かない。
だからこそ、ミファーにはつけいる隙があった。
ミファーは剣の動きを見切り、ラーロットの手を両手で押さえる。
「この、貴様……!」
ぎりっとラーロットが奥歯をかむ。
「お前ら! 後ろからこの女を刺せ!」
ラーロットの指示が飛ぶ。ミファーはどきりとした。この状態でそんなことをされれば打つ手がない。
だが、取り巻きたちの動きは鈍かった。
彼らの気配は動かない。
(チャンス!)
ミファーは覚悟を決めるとラーロットの足を蹴り飛ばした。派手に転ぶラーロット。
ラーロットを飛び越し、ミファーは夜の森へと逃げだそうとした。
「一度ならず二度までも! 平民がァッ!」
ラーロットは口角から泡を飛ばし、ルシフェルからもらったスティックを取り出した。
そのスイッチを押した瞬間――
ごう!
ミファーの視界を唐突に出現した真っ赤な炎の壁が覆った。
「な――!」
ミファーは息を呑んだ。
同時、熱せられた空気が肺に入り、ミファーは激しく咳き込む。
火の壁がおさまって――ミファーが見たのは真っ赤に燃え上がる森の風景だった。
「ひいいいい! 火事だ!」
「じょ、冗談じゃない! つきあってられるか!」
取り巻きたちは口々に吐き捨てると、きびすを返して燃え上がる森の中へと消えた。
「まったく――使えないグズどもだ」
「な、なにを! あなたも早く逃げないと!」
「逃げるさ……お前を殺してからな!」
ラーロットは起き上がるなり、そのままミファーに組み付いた。ミファーはかわす間もなく押し倒されてラーロットに馬乗りにされる。
ラーロットの両手がミファーの白い首をつかみ、締め上げた。
「ぐっ――!」
ミファーはラーロットを引きはがそうと彼の両手首をつかむ。
だが、びくともしない。
「終わりだ、死ね、死ね、死ね!」
「く、う……」
異常な高温に囲まれて、喉を締め上げられて。
ミファーの頭は朦朧としていた。意識はゆっくりと闇に落ちていき、両手からも力が抜けていた。
(もう、ダメか……)
ミファーの心にあきらめが忍び寄る。
死はそれほど怖くはなかった。村とともに知り合いも家族も失ったとき、自分は空っぽだと思った。
自分が死んで泣いてくれる人はどこにもいないんだと思った。
泣いてくれる人すらいない無価値な人間。
だから、いつ死んでもいいと思っていた。
生きていたのはたまたま生きていたから。
(お父さんお母さん。ミファー、ここまでです)
そう思ってミファーは最後の生への執着を手放した。
ミファーの意識が闇へと滑り落ちていく。
そのとき――
確かにミファーは遠くから聞こえる声のようなものを聞いた。
ぶつり。
ミファーの意識が消えて。
くたりと崩れ落ちるはずの、ラーロットの手首をつかんでいたミファーの両手が――
再びラーロットの両手首に指を食い込ませた
「こ、このくたばりぞこな――ぎぃぃいいいいやああああ!」
ラーロットの声は途中から絶叫に変わった。
ラーロットの両手首が完全に破壊されていた。まるで万力で極限まで締め上げたかのように手首の骨が木っ端みじんに破壊され、破れた皮から骨や肉がはみ出ている。
ラーロットは痛みのあまり一瞬で気絶した。口から泡を吹き出し、そのまま後ろへと倒れる。
だがそれはラーロットにとって幸運だったかもしれない。
もしも彼がミファーに馬乗りのままだったら、今のミファーなら次の瞬間には彼を塵にしていただろう。
自由になったミファーはゆっくりと立ち上がった。
その表情は虚ろだった。目の焦点はあっていない。背中を丸めて、ぼんやりと立っている。
その口が動き続け、ずっと同じ言葉を繰り返している。
「わたしは無価値だどうせ死んでも誰も悲しんでくれないだから死んでもいいんだ生きていたって仕方がないわたしは無価値だどうせ死んでも誰も悲しんでくれないだから死んでもいいんだ生きていたって仕方がないわたしは無価値だどうせ死んでも誰も悲しんでくれないだから死んでもいいんだ生きていたって仕方がないわたしは無価値だどうせ死んでも誰も悲しんでくれないだから死んでもいいんだ生きていたって仕方がない」
今のミファーは目に映るものを破壊する装置でしかなかった。
逃げること、身の安全を考えることなど意識にはない。
もしもこのまま誰も来なければ、身体が人間である以上、火と煙に巻かれて息絶えていただろう。
誰も、来なければ。
人の気配を感じ、ミファーが首を向ける。
そこには気絶した二人の男――ラーロットの取り巻きを肩に担いだオウマが立っていた。
「死んでも誰も悲しんでくれないって? ミファー、バカを言え。俺は俺に仕えるやつが死んだら悲しむぞ。寝床と矜持を与えるってのはそういう意味だ。親みたいなもんだからな。ま、もちろん――」
オウマは取り巻きたちをどさりと地面に落として、続けた。
「死なせないけどな」
そう言ってオウマが不敵に笑う。




