燃え上がる森
「おやおや、バレてしまいましたか」
副官ルシフェルが口の端をゆがめて笑っている。ルシフェルは懐から取り出したメガネを顔にかけた。
「とはいえ、お互いにすることは変わりません。魔王さまは前に進みたい、わたしはそれを阻止したい。ゲームの勝利条件は何も変わりません。さ、続きを楽しみましょうか?」
「ふざけるな、ルシフェル! 何が目的なんだ!?」
「ご想像の通り、ミファーの命です。今ごろあの貴族のバカ息子――ラーロットがすぐそこまで迫っていることでしょう」
「そんなことを俺が望むと思っているのか? なぜ勝手に始めた?」
「そうですね……」
そう言って、ルシフェルがくすりと笑った。
「裏切ったのかもしれませんよ?」
「冗談はよせ」
「わたしは堕天使ですからね。一度裏切ったものはまた裏切る、そうお考えにはなられないので?」
その瞬間、俺はかちんときた。
裏切った?
お前が、俺を?
別に裏切られることに頭にきたのではない。お前にとって正当な理由があるのなら、裏切りたければ裏切るがいい。
だが、はっきりさせなければならないことはある。
「お前が過去に何度裏切っていようと知るか。大事なことはお前が俺を裏切ったのか、ということだ」
俺はしかとルシフェルの双眸をにらみつける。
「俺はお前を受け入れるときに言ったな。寝床と仕えることへの矜持は与えてやると」
「はい。確かにその言葉、この胸に焼き付けております」
「問うぞ、ルシフェル。お前が俺を裏切ったというのなら、俺はお前を満足させる器ではなかったということだ。お前にとって俺はその程度の主だったというのか、ルシフェル!」
俺の言葉を聞き、ルシフェルの顔から人を馬鹿にしたような笑みが消えた。
ルシフェルがその場にひざまずき、頭をたれる。
「口が過ぎました。お許しください、魔王さま。このルシフェルの忠義は魔王さまとともにあります」
それから顔を上げて――
いつもの三日月のような口でこう付け加えた。
「今のところは、ですが」
俺は鼻で笑った。
そうだ。それでいい。それこそがルシフェル、お前だ。
「構わんぞ。もしも俺が主に足りぬと思うのならばいつ何時でも俺の首を狙うがいい」
俺とルシフェルの視線がばちりと交錯した。
「それが魔界の常、俺の理想でもある」
はい。おしまい。
終了終了!
こういう息の詰まるの、ここでおしまい! 水に流そう!
「で、どうしてミファーの命を狙うんだ?」
だが、ルシフェルは首を振るだけだった。
「それだけは申せません」
「口の硬いやつだな……まあ、いい。じゃ、他の質問だ。なぜラーロットに任せた? なぜお前が自分でミファーを狙わない? お前なら俺の目さえそらせば一瞬で片付くだろ?」
「魔王さまのご命令ですから」
「俺の?」
「この学校の生徒を殺すな、そう申されていましたよね?」
「そういうことか……」
つまり、自分の手は下せないからラーロットを扇動した。そういう絵なのだ。
そうまでしてなぜミファーの命を狙うのか。
はてさてどういう理由なのだろうか。気になるんだけど、こいつ言えないの一点張りだからなあ……。
そのときだった。
耳を聾する音が聞こえ、視界が真っ赤に染まった。不意に流れ出した熱い風が俺の頬をかすめていく。
風の来た方角に目を向けると――
森が燃えていた。
「な――!?」
俺はルシフェルを見た。
「お前がやったのか!?」
「いえ。わたしは罠を仕掛けましたが――発動させたのはラーロットです。火に巻かれて平民の少女と彼女に恨みを持つ貴族が逃げ遅れて焼け死ぬ。わかりやすい構図でしょ?」
あくまでも自分は手を下していないと言いつつ確殺を狙う。その執念と周到さに俺は舌を巻いた。
「お前って恐ろしいやつだな……」
これこそがルシフェルの本命なのだろう。不思議だったのだ。ミファー殺害はルシフェルの絶対目標。であるのに、そのコアとなる部分がラーロットだということに。
あの頼りないバカ貴族にそこを託すことがこのドエスで抜け目のない策士にはありえない。
その答えがこれだ。
ラーロットに与えられた役割はただの引き金。
この罠を発動させるための引き金。
この炎の牢獄でミファーを焼き殺すのが最初からの狙いだろう。おまけに面倒なラーロット一派も始末できる。
一粒で二度も三度もおいしい仕掛け。
俺が魔族であいつが天使だけど言っちゃお。
こいつマジモンの悪魔だろ……。
「俺は行くぞ」
「ご自由にどうぞ。主のお心のままに」
「止めないのか?」
「戦う気が失せました。……今のわたしでは時間稼ぎにもならないでしょう。痛い目を見るだけでわりにあいません」
その言葉に俺は内心でほっとした。
ルシフェルはむちゃくちゃ強い。まだルシフェルが神の尖兵であったころ、俺とあいつは何度も戦って決着がつかなかった。最後こそ俺が勝ったが、あれはあいつが不安定なときだったからな……。
この時間制限がキツいなか、そんな化け物を相手にしなくていいのはとても助かる。
「そうか」
言葉と同時――
俺は森へと駆けだした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ちょうどオウマが寮を飛び出したころ。
ミファーは森の入り口から少しはいったところにある小さな空き地に立っていた。
手にはオウマからの――とミファーが思っている手紙がある。
その手紙には『お前の秘密について話がある』と書かれていた。さらには『俺はその正体を知っている』とも。
その言葉を見た瞬間、ミファーは何も考えられなくなった。
寮内で話せばいいのにということも。わざわざ夜に呼び出す理由も。こんな森の中になぜ呼ぶのかということも。
すべての疑問が浮かぶ前に消え去った。
それがミファーにとっての深刻な悩みだったからだ。
「ミファー。お前はすごいね。平民なのにこんな強い理力を持って。立派な勇者さまになって魔王を倒すんだよ」
子供の頃、両親はそう言ってよくミファーを褒めてくれた。
だが、ミファーは自分の理力が嫌いだった。
正確には、恐ろしかった。
ミファーにとって理力を解放する感覚は坂道を走り下りる感覚に似ていた。走るたびにぐんぐんとスピードが上がり、急速に景色が後ろへと流れていく。最初の頃は楽しかった。自分がどこまで速くなれるのか知ることが。
だが、ある日知ってしまった。
走っているこの坂道に――
終わりはあるのか?
終わらない坂道を下り続けたとき、どこまで速くなってしまうのだろうか?
ミファーは自分の理力が普通ではないことを薄々と感じていた。
近隣の村から理力の優秀な平民たちが集められたときのこと。ミファーは彼らを見て驚いた。
彼らの『速度』はあまりにも低かったからだ。
それでも彼らはやり尽くした、出し尽くした感を出している。
彼らの坂道はとても短かった。
だが、ミファーの坂道は違う。どこまでも果てしなく伸びていて、限界の先は遠く見えない。
おまけに理力を高めれば高めるほど、ミファーの自我は希薄になっていた。ふと気づいたとき、自分の足下の地面がえぐれ、巨大な大穴が穿たれているのを見てミファーは戦慄した。
自分のすべてを解放したとき――
自分はどうなってしまうのだろう?
やがてミファーはだんだんと理力を解放するのが怖くなっていった。無意識のうちに制限をかけるようになったのだ。
自分のこの力――明らかに他人を超えた力は何なのか。
だからミファーはオウマの手紙を無視できなかった。もちろん、師匠であるオウマの手紙など無視するはずもなかったが。
約束の時間、約束の場所に来て――
だが、オウマの姿はない。
じっと待っているがオウマは来ない。
もちろん、ミファーに帰るという選択肢はない。夜の森でじっと彼女の師匠を待つだけだった。
そのとき――
がさっと草のすれる音がした。
「師匠!」
そう言って顔を向けたミファーが見たのは銀閃だった。
「!?」
ミファーは反射的に身をそらす。
「ちっ……外したか……」
毒々しい声をはき出した人影はミファーの知った顔だった。
「ラ、ラーロット、さま……!?」




