黒幕
「闇討ちでもして刺し殺しなさいな」
「殺す、だと……!」
さすがにそれはラーロットといえど忌避感のある言葉だった。
だがその不愉快な感情は――
沸き上がったとたんにかき消えてしまった。
それは女の渡した薬の効果だった。痛みを消すだけではなく、罪悪感のような一部の感情までをも麻痺させてしまうのだ。
「殺す……殺す……殺す、か、ふふふ」
ラーロットが言葉を反芻するたび、彼の心はその愉悦を想像して喜びで震えた。
(俺の美しい顔に傷をつけたのだ。万死に値する。そうだ。あいつは死んでもいいんだ)
ミファーのおどおどとした顔がラーロットの脳裏に浮かんだ。
その顔が痛みで歪むさまを――胸を刺し貫かれて苦しむ様子をラーロットは想像した。
とても心地よい映像だった。
きっと、この鬱屈した心も晴れ渡るだろう。
「そうです。殺しなさいな」
そっとローブの女がラーロットの耳元でささやいた。
「あなたにはそれをするだけの権利も力もあるのですから――お偉い大貴族さま」
「ああ、そうだな、そうしよう」
ラーロットの心はすでに平静を失っていた。
「だが、果たして俺一人で勝てるのか?」
「取り巻きたちを呼んで三人がかりで襲えばいいでしょう。それに、これをあげますよ」
ローブの女が差し出したのは、手のひらサイズのスティックだった。頂点にボタンがついていて、女が押したり離したりしている。
「ミファーを見つけたらこのボタンを押してください。そうすれば――確実にミファーを殺せます」
「どうなるんだ?」
「それは押してみてのお楽しみです」
女の口元がくすりと笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あれ、オウマ?」
寮内を歩いていると、後ろから俺を呼ぶ声がした。
俺が振り返ると、そこには平民の男子クラスメイトが立っていた。男は不思議そうな顔で俺を見ていた。
俺は少しばかり感動していた。
ついに話しかけられた……!
ミファーによると平民界のスターらしいので平民からも距離を置かれていたからさ……。
交友関係がじわじわ広がっているのが功を奏したのだろうか。
「何か用か?」
「いや……さっきミファーと会ったんだけど、お前から手紙で呼び出されたから近所の森に行くって言ってたんだよね」
もちろん、俺はそんな手紙を書いた覚えがない。
であるならば――
それはすなわち俺以外の誰かが俺の名前を騙ったということ。
もちろん、ろくでもない理由に決まっている。
「……ありがとう」
俺は礼を言うと、行き先を部屋から寮の出口へと変えた。
寮を出て――
俺は猛然としたスピードで夜の平原を走った。ミファーが向かったであろう森に向かって。
だが、その足は森が見えてきたところで止まった。
目の前に変わったやつがいたからだ。
全身をすっぽりと漆黒のローブにまとった何者かが俺の行く手を遮るように立っていたのだ。
「……ただの通りすがりってわけでもないよな」
「ええ。あなたを止めるのがわたしの目的です」
相手は漆黒のローブ以外の個性が完全に殺されていた。目深にかぶったフードで顔は見えず、声も魔法によるものだろうか中性的な変な印象のものに変わっている。
「止める……? お前が、俺を? 誰か知らんが、できるのか?」
「時間稼ぎくらいならできるでしょう」
「ほぅ……それはたいした自信――だな!」
最後の言葉とともに俺は動いた。
わりと足に力を込めて黒ローブを抜くように走る。人間では決して追いつけない――俺の動きすら認識できない速さだ。
俺は黒ローブをあっさり抜き去り、再び森へと走り出――
せなかった。
「そう簡単には抜かせませんよ?」
黒ローブが俺と併走している。
な――!?
何者だ、こいつは!?
「ちっ!」
俺は舌打ちと同時、黒ローブの脇腹に蹴りを放つ。
急いでいる俺の前を阻んだんだ。しばらく寝込んでも文句はないよな?
だが。
黒ローブは俺の一撃に反応、腕を使ってガードする。
バカな!?
こいつはただものじゃない。
ようやく俺はそれを認識し始めた。
かなり手を抜いていたとはいえ、人間という生物のカテゴリであれば今の一撃は不可避のはず。
その程度の威力と速度はあったのだ。
それすら防ぎきるとは。
俺は足を止めて、じっと黒ローブを凝視した。
「お前、何者だ?」
「そう訊かれて答えるとお思いですか?」
「まさか。訊いただけだよ」
俺は黒ローブに殴りかかった。今度は俺も少しばかり本気を出している――にもかかわらず、黒ローブは両手を使って的確に俺の攻撃をさばいていく。
腕と腕が交差するたび、空気を揺るがす衝撃が響き渡った。
「とりあえずお前は人間ではないな」
根拠は俺の攻撃を受け止めているから。
今の俺の攻撃はそれがフレイアレベルであれ、受ければ一撃で存在そのものがこの世から消えるレベルだ。
「さあ、どうでしょう」
俺の攻撃を受け流しながら黒ローブが涼しい声で応じる。
そもそもこの黒ローブ、俺と同じくまったく本気を出していない。
まあ――
結局それ自体がこいつの正体を雄弁に語っているのだが。
俺の今のレベルの攻撃を本気を出さずに受け止められる存在などそんなにいないのだから。
簡単な消去法だ。
あいつだろうな。
証拠なんて他にもある。
何度も何度も戦った仲だ。お互いの手の内などとうの昔に知り尽くしている。こいつが力を見せずに戦ったとしても――体さばきひとつで癖がわかる。
俺は茶番劇を終わらせることにした。
「いい加減にしろ!」
こぶしを打ち放つと見せかけて――俺は黒ローブの袖をひっつかむ。そして、それを一気に引きはがした。
ばさりと舞う黒い布。
そのなかから現れたのは――
「ルシフェル、これは何のつもりだ!」
学生服を着た俺の副官だった。
「おやおや、バレてしまいましたか」
堕天使が妖艶な笑みを浮かべてそこに立っていた。




