男前になったねラーロットくん(笑)
「ミ、ミファー! 救護室に行くんだ!」
止めに入ろうと教師が手を伸ばすが――
消えた。
ミファーの姿がかき消え、教師の手がからぶった。
いや、正しくは消えていない。
常軌を逸した速度で動いたのだ。おそらくは俺やルシフェル以外だと認識できてはいまい。
ミファーは一直線にラーロットへと迫った。
もちろんラーロットは反応できない。
ミファーは無防備なラーロットの腹にこぶしをねじ込んだ。
「ぶはっ!?」
身体をくの字にゆがめ、ラーロットが声を上げた。おそらくは自分に何が起こったのかも理解できていないだろう。
ラーロットの悲鳴が消えるよりも早く――
ミファーはラーロットの髪をつかみ、そのまま顔面めがけて膝蹴りを叩き込む。
「あがああああああ!?」
ラーロットは悲鳴を上げながら、試合場に倒れ込んだ。骨のへし折れた鼻から血が大量にあふれ出している。激痛にのたうち回りながらラーロットは絶叫した。
誰もその瞬間――すぐには反応できなかった。
すべてはまさにほんの一瞬で行われた。フレイアを含めて普通の人間たちの目には、勝利寸前のラーロットがいつの間にか鼻血を吹き出して倒れているかのようにしか見えなかっただろう。
「――! はやく担架だ! ラーロットを運び出せ!」
正気に戻った教師が他の生徒たちに鋭く声をかける。ようやく状況を理解した生徒たちがのろのろと動き出した。
ゆっくりと状況が移り変わるなか――
ミファーだけが時間が止まったかのようにぼうっと立っている。
誰も近づかない。
ミファーが怖いのだ。
俺は立ち上がり、ミファーへと近づいた。
「おい、ミファー」
俺はミファーの肩に手をかけて声をかける。
ミファーははっとした。
瞳に光が戻る。その目で彼女は辺りを見回して、自分がしたことが何なのかを悟った。
「オ、オウマさん、またやってしまいました……」
「……フレイアが言っていただろう。稽古のことだ。貴族も平民もない。気にするな」
「……な、なんであんなことを……」
そう言って、ミファーは運び出されているラーロットを見た。罪の意識でも感じたのか、ぶるりと身体を震わせる。
「……全く記憶にないのが怖いです……」
そう言い残すと、ミファーは逃げるように出口へと走り出した。
「ミ、ミファー!」
俺が後を追うとすると、ルシフェルがそれを遮った。
「自分でも何が起こったのかよくわからないのでしょう。混乱しているようですから一人にしてあげるほうがよいのでは?」
それも一理ある。
俺は足を止めて、遠ざかるミファーの後ろ姿を見送った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日の夜――ラーロットは部屋で呻いていた。
骨折した鼻が痛むからだ。
彼の鼻には巨大な絆創膏が貼られている。
この世界には回復魔法があるのだが、骨折を瞬時に治すレベルとなると高位の使い手が必要となる。その数は少なく、学校に在籍する神官たちでは応急処置と痛みの緩和が限界だった。
王都に戻ればラーロットの実家の力で高位の神官を呼び、すぐに回復することも可能なのだが――
ラーロットは実家には何も報告していなかった。
すでに入試で大恥をかいて主席を逃したうえに、復帰早々のこの大けが。
おまけに両方とも平民にやられた結果だ。
名門である五公爵家としての体面と誇りを大切にする父になんと報告すればいいのか、ラーロットには思いつかなかった。
(くそ……くそ……この俺が……この俺が!)
なにもすることがないベッドの中で、ラーロットの脳内はずっと憎悪の炎を燃え上がらせていた。
(オウマだ……あいつが……あいつが!)
オウマこそがすべての元凶。
オウマと出会うまでラーロットの人生は完璧だった。名だたる名家で育ち、優れた才能を持ち、容姿にも恵まれていた。自己への自信と他者からの賞賛は空気のように存在していた。
光に満ちた人生。
それを踏み砕いたのがオウマだ。
ラーロットはすべてを失ったような気分だった。自分への自信は砕け散り、他者からの嘲笑がずっと頭の中で響いている。
ラーロットは胸をかきむしるかのような不快さに我慢できなくなった。
「ああああああああああああああ!」
叫びながら、頭を左右に振る。
そのとき、暗くなった窓ガラスに自分の顔が映った。
不格好な絆創膏の貼られた顔が。
美男子として宮廷でもてはやされた面影はどこにもない。
獣のようなうなり声を上げてラーロットはベッドに潜り込んだ。
(くそ! くそ! くそ!)
次にラーロットの脳裏に浮かんだのは自分がわけもわからず打ち負かされたあの瞬間。
気がついたときには自分の鼻が膝に打ち抜かれていた――
あのミファーとかいう女に。
(あの女――くそ、平民のくせに!)
ラーロットは激しくベッドにこぶしを叩きつける。
そのときだった。
「おやおや……ご機嫌ななめのようですね」
聞き覚えのある声。
ラーロットはベッドから跳ねるように身を起こした。
壁際にたたずんでいたのは数日前に見た漆黒のローブを着た何者かだった。
「き、貴様! いつの間に!?」
「いいではないですか……そんなこと」
「黙れ! 出ていけ! お前の顔など見たくもないわ! 貴様のせいでこんな目にあったのだぞ!」
「くくく……素敵に仕上がりましたね」
目深にかぶったフードから女のような美しい口元が見えた。
(こいつ、女なのか……?)
ラーロットがいぶかしんでいると、漆黒のローブから伸びた白い手がラーロットの顔に触れた。ぞっとするほど冷たい手だった。
「き、貴様! からかっているのか!」
ラーロットが腕を振り払う。
「いえいえ、そんなことはありません。申し訳なく思っていましてね……お見舞いに来たのですよ」
そう言って、ローブの女は小さな錠剤をベッドに落とした。
「どうぞ。痛み止めです」
ラーロットは女の言うことなど信用できなかったが――鼻の痛みはいかんともしがたかった。自暴自棄だったラーロットはどうにでもなれと思って唾液とともに薬を飲む。
すると――
本当に痛みは霞のようにかき消えた。
「な、なんだこの薬は? いやにきくな」
「わたしが特別に調合したものですからね。元気になられたのなら、少しばかりお話を聞いていただけますか?」
ラーロットは答えない。だが、ローブの女は構わず話を続ける。
「その鼻の礼、返したいと思いませんか?」
「いずれは返す」
「いずれとは言わずに、今晩なんてどうでしょう?」
「なんだと……?」
「実はわたし、ラーロットさまをそんな目にあわせた平民のミファーを呼び出していましてね……お礼をするにはよい機会では?」
「闇討ちでもして痛めつけろと?」
「おやおや、お優しいのですね、大貴族さまは」
口元で笑みを作ってから、ローブの女が続けた。
「闇討ちでもして刺し殺しなさいな」




