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国を守る嘘  作者: アゴウオカダ
第一部 若き外交官編 第三章 深層
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第六話 残された名前



 通路の先には、小さな部屋があった。


 扉はない。


 壁だけが途中で途切れ、その奥に空間が広がっている。


 中へ入ると、左右の壁に棚が並んでいた。


 その多くは崩れている。


 木製の棚板は腐り、床には紙片が散らばっていた。


 それでも、完全に失われてはいなかった。


「ここも記録を置く場所だったようですね」


 レオンが足元の紙を拾い上げる。


「ええ」


 アシュレイは棚の奥へ進んだ。


 紙は古い。


 文字もところどころ消えている。


 だが、内容には共通しているものがあった。


 鉱石の採取量。


 地下水の流れ。


 岩盤の状態。


 そして、地下に存在する人工的な空間についての記述。


「採掘記録だけではありませんね」


「むしろ、採掘そのものは一部にしか見えません」


 レオンが別の紙束を開く。


 そこには簡単な図が描かれていた。


 山の断面。


 その下を通る線。


 さらに、その線から枝分かれする複数の経路。


「これは……」


「地下水の流れでしょうか」


「それにしては線が規則的すぎます」


 アシュレイは図を覗き込んだ。


 自然にできた水脈だけでは説明できない。


 人の手によって作られた経路が混じっている。


「水を利用するための設備?」


「あるいは、水の流れを避けるための経路かもしれません」


「どちらにしても、鉱山の採掘だけでは必要のない規模ですね」


「そうですね」


 レオンが紙をめくった。


 そのときだった。


「……名前があります」


 アシュレイが顔を上げる。


 レオンの手元に、一行だけ比較的新しい文字が残っていた。


 その文字を目で追う。


 そして。


 アシュレイの表情が僅かに変わった。


「グスタフ・ヴァイス」


 レオンも名前を読み取った。


「知っている名前ですか?」


 アシュレイは少しだけ考えた。


「……エドガーの父親です」


 紙には短い記録が残されていた。


 日付。


 調査場所。


 そして、簡単な所見。


 ――東側旧坑道より地下構造を確認。

 ――既存の鉱山記録と一致せず。

 ――周辺調査を継続する。


「エドガーさんの父親が、この辺りを調べていた?」


「そのようですね」


 アシュレイは紙を見つめた。


「ただ、少し妙です」


「何がです?」


「この記録には、地下施設そのものを発見したとは書かれていません」


 レオンが紙を見直す。


「確かに」


「東側旧坑道から地下構造を確認した、とあるだけです」


 アシュレイは記録を机代わりの石の上へ置いた。


 グスタフ・ヴァイス。


 名前だけなら、ただの古い調査記録だ。


 だが。


 今いる場所を考えれば、偶然とは思えない。


「エドガーさんは、この記録について話していましたか?」


「以前お会いしたときには、聞いていません」


「そうですか」


 レオンは別の紙束をめくった。


「こちらにも名前があります」


 アシュレイが近づく。


 今度は名前だけだった。


 グスタフ・ヴァイス。


 その下には、別の日付。


 さらに数枚後にも、同じ名前が残っている。


「一度ではないですね」


「ええ」


 記録を追う。


 調査地点は少しずつ変わっている。


 東側旧坑道。


 地下水路。


 山の北斜面。


 そして、現在の鉱山に近い場所。


「かなり広い範囲を調べています」


「鉱山技師だったのでしょうか」


「おそらく」


 アシュレイは答えた。


「ですが、何を探していたのかまでは分かりません」


 そのとき。


 一枚の紙の端に、短い文章が残っているのが目に入った。


 アシュレイは慎重に拾い上げる。


 ――地下構造は、既存の鉱山計画とは無関係と思われる。

 ――後日の調査を要する。


 そこで記録は途切れていた。


「ここで終わっていますね」


「そのようです」


 レオンが紙束を確認する。


「最後の記録から、かなり時間が空いています」


「なぜ調査をやめたのでしょう」


「分かりません」


 アシュレイは紙を戻した。


 だが、すぐには手を離さなかった。


 グスタフは、この場所を知っていた。


 少なくとも、ここへ続く地下構造の存在を知っていた。


 そして、それを記録に残している。


「……一つ、気になります」


 レオンが言った。


「何でしょう?」


「グスタフが調べていた場所と、私たちが見つけた場所が近すぎます」


「ええ」


 アシュレイは頷いた。


「それが偶然なのかどうか、確かめる必要がありますね」


 その瞬間だった。


 紙束の一番下から、別の紙が滑り落ちた。


 アシュレイが拾い上げる。


 そこには、グスタフの名前はなかった。


 代わりに、別の文字が残されていた。


 ――誰かが、この場所を先に知っている。


 アシュレイの目が止まる。


「……これは」


 レオンが横から覗き込む。


「続きは?」


「ありません」


 紙の下半分は破れていた。


 残っているのは、その一文だけ。


「誰かが、この場所を知っていた?」


「そう読めますね」


 アシュレイは紙を見つめた。


 グスタフが何を知っていたのか。


 誰を警戒していたのか。


 そして、なぜ記録が途切れたのか。


 まだ何も分からない。


 ただ一つ。


 この地下には、現在より前から何人もの人間が関わっていた。


 その中に、グスタフ・ヴァイスという名前が残っている。


 アシュレイは記録を丁寧に戻した。


「エドガーさんに聞いてみましょう」


「父親のことを?」


「ええ」


 アシュレイは立ち上がった。


「エドガーさんがこの場所を最初に発見したことは分かっています」


「ええ」


「だからこそ、気になります」


 アシュレイは古い記録を見た。


「発見した場所について、父親が以前から調べていたと知っていたのか」


 レオンが頷く。


「知っていたなら、なぜ話さなかったのか」


「そして、知らなかったのなら」


 アシュレイは言葉を止めた。


「誰が、グスタフの記録をエドガーさんに伝えたのか」


 答えは出ない。


 だが。


 地下施設を巡る線が、一つ増えた。


 エドガー。


 グスタフ。


 そして、まだ名前の分からない誰か。


 アシュレイは部屋の外へ目を向けた。


 そのとき。


 ――コン。


 二人が同時に振り返った。


 続いて。


 ――コン、コン。


 間。


 ――コン。


 ――コン。


 ――コン。


 三回。


 間。


 三回。


 いつもの音だった。


 だが。


 今までとは少し違う。


 音がした方向から、微かな光が見えた。


 通路の奥。


 壁の向こう側から。


 誰かが灯りを持っているようにも見える。


 レオンが目を細めた。


「……人でしょうか」


「分かりません」


 アシュレイは光を見つめた。


 追えば、何か分かるかもしれない。


 だが、今はまだ早い。


「戻りましょう」


「光を追わないのですか?」


「ええ」


 アシュレイは記録の置かれた部屋を振り返った。


「先に、確認すべきことがあります」


「グスタフの記録ですか」


「それもあります」


 アシュレイは静かに答えた。


「エドガーさんが、何を知っているのか」


 二人は部屋を出た。


 背後で、光が一度だけ揺れた。


 そして消えた。


 残されたのは、古い記録と。


 一つの名前。


 グスタフ・ヴァイス。


 それが、この地下に何を残したのか。


 まだ分からない。


 ただ。


 エドガーがこの場所を発見するより前から。


 誰かが、ここへ続く何かを追っていた。


 その事実だけが、古い紙の上に残されていた。


毎日20時20分投稿予定です。


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