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国を守る嘘  作者: アゴウオカダ
第一部 若き外交官編 第二章 境界線
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第十八話 辺境伯



 会談室を出ることは許されなかった。


 襲撃の報せが入った直後、迎賓館の警備が一斉に強化されたからだ。


 廊下を走る兵士。


 閉じられる窓。


 普段なら聞こえない金属音が、あちこちから響いている。


---


「ずいぶん物々しくなりましたね。」


---


 アシュレイが言うと、レオンは歩みを止めずに答えた。


---


「国境で襲撃があった以上、当然です。」


---


「それにしては落ち着いています。」


---


「慌てても襲撃犯は捕まりませんから。」


---


 レオンらしい答えだった。


---


 だが、その顔には先ほどまでなかった緊張がある。


---


「被害は?」


---


「確認中です。」


---


「死者は?」


---


 レオンは一瞬だけ黙った。


---


「まだ報告を受けていません。」


---


 その言葉を聞いた直後だった。


---


 廊下の奥から、低い声が響いた。


---


「私から説明しよう。」


---


 兵士たちが一斉に道を開ける。


---


 現れた男を見て、アシュレイは足を止めた。


---


 黒い軍装。


 肩には帝国軍の紋章。


 飾り気のない剣を腰に差し、白髪の混じった髪を後ろへ撫でつけている。


---


 年齢は五十代半ばほど。


---


 威圧的な雰囲気はない。


 それなのに、その場にいる兵士たちが自然と背筋を伸ばしていた。


---


「ハインリヒ・ローゼンベルク。」


---


 レオンが紹介する。


---


「帝国辺境伯閣下です。」


---


 アシュレイはすぐに一礼した。


---


「アシュレイ・ファン・ヴァイスです。」


---


「存じている。」


---


 ハインリヒはアシュレイを真っ直ぐ見る。


---


「ヴェルナでの件も聞いている。」


---


「それは、ありがたいことです。」


---


「褒めているわけではない。」


---


 即答だった。


---


 アシュレイは思わず口元を緩める。


---


「では、覚えていただけていたことだけを喜んでおきます。」


---


 ハインリヒの眉がわずかに動く。


---


「……なるほど。」


---


「レオンが気に入る理由が分かった。」


---


「私が?」


---


 レオンが小さく息を吐いた。


---


「その話は後にしてください、閣下。」


---


「今は襲撃の話を。」


---


 ハインリヒは頷いた。


---


「襲撃されたのは国境監視所だ。」


---


「兵士は?」


---


「重傷者が三名。」


---


「死者はいない。」


---


 アシュレイはわずかに息を吐いた。


---


 少なくとも最悪の事態ではない。


---


「襲撃者の人数は?」


---


「確認できているのは五名。」


---


「帝国兵に扮していた。」


---


 アシュレイの目が細くなる。


---


「帝国兵に?」


---


「そうだ。」


---


「だが、帝国軍の装備を正確に再現していたわけではない。」


---


「つまり偽装ですね。」


---


「おそらく。」


---


 ハインリヒは淡々と続ける。


---


「襲撃者は監視所を制圧しようとした。」


---


「しかし、殺すことが目的ではなかったようだ。」


---


「武器庫にも、兵士の宿舎にも手を出していない。」


---


「何をしたんです?」


---


「記録を持ち去った。」


---


 アシュレイの表情が変わった。


---


「記録?」


---


「国境監視記録だ。」


---


 レオンが静かに口を挟む。


---


「何日分です?」


---


「三十日分。」


---


 沈黙。


---


 アシュレイは考える。


---


 兵士を殺すためではない。


 武器を奪うためでもない。


---


 **国境の情報を持ち去った。**


---


 ならば目的は、戦闘ではない。


---


 情報だ。


---


「誰が国境を通ったのか。」


---


 アシュレイが呟く。


---


「どこに兵が配置されていたのか。」


---


「そして、どの時間帯に監視が薄くなるのか。」


---


 ハインリヒが頷く。


---


「その通りだ。」


---


 レオンが腕を組む。


---


「帝国軍の動きを探っている?」


---


「それだけではない。」


---


 ハインリヒはアシュレイを見る。


---


「襲撃者が、監視記録の中から何を探していたのか。」


---


「それが分からない。」


---


 アシュレイは答えなかった。


---


 だが、頭の中では一つの可能性が浮かんでいた。


---


 ヴェルナ。


 鉱山。


 地下施設。


 そして国境監視記録。


---


 すべてが繋がっているように見える。


---


 しかし。


---


 まだ何も証明できない。


---


 ここで「地下施設を狙っている」と口にすれば、王国が持つ情報まで帝国に渡すことになる。


---


 アシュレイは慎重に言葉を選んだ。


---


「襲撃者の目的が分からない以上、現時点でヴェルナとの関連を疑うのは早いでしょう。」


---


 ハインリヒがじっとアシュレイを見る。


---


「そう思うか。」


---


「はい。」


---


「では、王国としては何をする?」


---


 質問だった。


---


 外交交渉ではない。


---


 辺境伯が、目の前の外交官を試している。


---


 アシュレイは少しだけ考えた。


---


「王国軍には、現状維持を求めます。」


---


「国境を越えない。」


---


「帝国軍も同様にしていただきたい。」


---


「そして。」


---


 アシュレイはハインリヒを見る。


---


「襲撃者が誰なのかを、両国で調べる。」


---


 ハインリヒは黙っている。


---


 レオンも口を挟まない。


---


 数秒後。


---


「よかろう。」


---


 短い返事だった。


---


「私は戦争をするために国境を預かっているわけではない。」


---


 ハインリヒは窓の外を見る。


---


「国境で剣を抜くのは簡単だ。」


---


「難しいのは、抜いた剣を鞘に戻すことだ。」


---


 その言葉に、アシュレイは黙って頷いた。


---


「ただし。」


---


 ハインリヒが振り返る。


---


「一つだけ条件がある。」


---


「何でしょう。」


---


「王国側も、ヴェルナで起きたことを隠さないことだ。」


---


 その瞬間。


---


 アシュレイの胸に、あの地下施設が浮かんだ。


---


 何を見たのか。


 何を知っているのか。


 そして。


 何をまだ誰にも話していないのか。


---


 アシュレイは静かに答えた。


---


「可能な限り、情報は共有します。」


---


 ハインリヒの目が細くなる。


---


「可能な限り、か。」


---


「外交官らしい答えだ。」


---


「ありがとうございます。」


---


「褒めてはいない。」


---


 アシュレイは少しだけ笑った。


---


 だが、ハインリヒは笑わなかった。


---


「アシュレイ・ファン・ヴァイス。」


---


「はい。」


---


「国境を守る者は、嘘を嫌う。」


---


 重い声だった。


---


「だが。」


---


「国を守るために、言えないことがあるのも知っている。」


---


 その言葉に、アシュレイは目を見開いた。


---


「だから私は、今は何も聞かない。」


---


「……ありがとうございます。」


---


「礼を言う必要はない。」


---


 ハインリヒは背を向ける。


---


「ただし。」


---


 最後に一言だけ残した。


---


「嘘をつくなら。」


---


「自分が何を守るために嘘をついたのかだけは、忘れるな。」


---


 ハインリヒが去っていく。


---


 残されたアシュレイは、しばらく動けなかった。


---


 やがてレオンが隣に立つ。


---


「気に入りましたか?」


---


「何がです?」


---


「辺境伯閣下です。」


---


 アシュレイは苦笑した。


---


「……少し怖いですね。」


---


「でしょうね。」


---


「ですが。」


---


 アシュレイは窓の外を見る。


---


 遠くには、国境へ続く街道が見えていた。


---


「嫌いではありません。」


---


 レオンは何も言わなかった。


---


 ただ、その横顔には僅かな安堵が浮かんでいた。


---


 国境では、兵士たちが互いを監視している。


---


 その一本の線を越えれば、戦争になる。


---


 だからこそ。


---


 今はまだ、誰も越えない。


---


 それが二つの国に残された、最後の境界線だった。



毎日20時20分投稿予定です。


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