第5話 崩壊の前奏曲
運命の役員会議当日。誠はいつもより早く目覚め、キッチンに立った。
丁寧に豆を挽く音が、静まり返ったリビングに響く。
「誠さん、おはよう。今日は大事な日ね。
佐々木さんのプレゼン、上手くいくといいわね」
美咲が起きてきた。彼女の表情には、隠しきれない高揚感が漂っている。
佐々木からは「今日、全てが決まる。高城を追い出して、俺たちが一緒になる準備が整う」とでも吹き込まれているのだろう。
「ああ、そうだね。彼にとって、一生忘れられない日になるだろう」
誠は穏やかに答え、美咲の分のコーヒーを差し出した。
彼女はそれを一口飲み、「……少し、苦いかしら?」と首を傾げた。
「そうかな。深煎りにしたんだ。目が覚めるようにね」
誠は微笑んだ。その瞳の奥にある冷徹な光に、美咲は気づかない。
◇◆◇
オフィスに到着すると、佐々木が鼻歌まじりに資料の最終チェックをしていた。
「誠さん! 準備万端です。
今日でこのプロジェクトは僕のもの……いえ、僕たちの成功になりますね」
「ああ、期待しているよ、佐々木。役員たちの反応が楽しみだ」
誠は、佐々木のデスクの端に置かれた、一通の封筒に目を留めた。
それは、佐々木が誠を陥れるために用意した、
偽造された「横領証拠」の告発状だろう。
彼はプレゼンの直後に、これをコンプライアンス委員会へ提出するつもりなのだ。
(自分が掘った穴に、自分から飛び込むつもりか。滑稽だな)
誠は自分のデスクに戻り、一通のメールを外部へ送信した。
宛先は、香織。そして、誠が密かに契約した「腕利きの弁護士」だ。
◇◆◇
午後。誠が会議室へ向かおうとすると、スマホに通知が届いた。
美咲からだった。
『誠さん、話があるの。
今日の夜、家で待ってるわ。大事な書類も用意してあるから』
「大事な書類」——それは間違いなく、離婚届だろう。
彼女は佐々木の成功を確信し、誠が失脚する瞬間に引導を渡すつもりだ。
誠をどん底に突き落とし、自分は新しい「エリート」の隣で、優雅な生活を続ける。その身勝手なシナリオが、透けて見えていた。
誠は短く返信した。
『わかった。僕も、君に見せたいものがあるんだ』
◇◆◇
役員会議室。重厚な扉が開く。
社長、専務、そして監査役たちが並ぶ中、
佐々木は自信に満ち溢れた足取りで壇上に上がった。
「それでは、
次世代エネルギー開発プロジェクトの最終報告を始めさせていただきます」
佐々木の声が響く。
誠は会議室の隅、オブザーバー席に深く腰を下ろした。
プレゼンは順調に進んだ。佐々木は誠から盗んだロジックと、自分なりに「粉飾」した利益率を、さも自分の功績であるかのように熱弁する。役員たちが感心したように頷くたび、佐々木の顔には傲慢な笑みが深まっていった。
「……以上の通り、本プロジェクトは我が社に莫大な利益をもたらします。最後に、今回の成功を確信させるデータを提示し、締めくくらせていただきます」
佐々木が誇らしげに、最後の一枚のスライドをめくるためにマウスをクリックした。
その瞬間。
スクリーンに映し出されたのは、
美しいグラフでも、輝かしい未来の数字でもなかった。
そこには、佐々木が下請け会社と交わした「裏契約書」のコピー。
そして、暗いホテルのロビーで、
美咲と腕を組んで歩く佐々木の、鮮明すぎる写真だった。
会議室が、凍りついたような静寂に包まれる。
「な……なんだ、これは!?」
佐々木の声が裏返った。彼は狂ったようにキーボードを叩くが、
スライドは次々と切り替わり、さらなる「地獄」を露わにしていく。
誠はゆっくりと立ち上がり、手に持っていたタブレットを役員たちへ向けた。
「佐々木くん。それが、君が積み上げてきた『実績』の正体かい?」
誠の静かな声が、崩壊の始まりを告げる合図となった。




