第三十三話 お隣さんは公務員、階下には武道家
【佐藤家:リビング】
「ふはぁ……これぞ、文明の利器の極致」
蓮はダマゾンでポチったばかりの最新型、『魔導マッサージチェア・涅槃』に身を委ねていた。十億円という資産があれば、この程度の買い物は誤差ですらない。この椅子はただ揉みほぐすだけでなく、微弱な魔力パッチによって、日々の「隠蔽」で削られた精神力を回復させてくれる。
だが、極楽の時間は唐突に終わりを告げた。
「蓮、いいニュースと悪いニュースがあるわ。どっちから聞きたい?」
リビングの大型モニターに、アキラが不敵な笑みを浮かべて現れる。
「……いいニュースなんて、この世に存在しないだろ。悪い方から聞かせろ」
「正解。隣の302号室、昨日の夜に『公務員用宿舎・分室』として政府に買い上げられたわ。そしてたった今、新しい住人がトラックと一緒に到着したわよ」
蓮の背筋に冷たいものが走る。マッサージチェアの揉み玉が、心なしか処刑台の感触に変わった気がした。 その時、タイミングを見計らったように、規則正しいピンポーンという音が鳴り響いた。
【玄関:宣戦布告のご挨拶】
蓮が恐る恐るドアを開けると、そこには爽やかなエプロンを身に着け、小さな紙袋を提げた三沢が立っていた。
「あら、佐藤さん。奇遇ですね、まさかお隣同士になるなんて」
「……三沢さん。偶然にしては、あまりにも公権力の匂いがプンプンするんですけど」
「あら、失礼ね。これは正当な『重要参考人への24時間近接防護』という名の業務命令です。はい、これ、引越し蕎麦の代わりにカップ麺の詰め合わせです。……ちなみに、私の部屋(302号室)とこの壁の間には、最新の集音装置と魔力レーダーを設置済みですので、あしからず」
三沢は完璧な公務員スマイルを崩さないまま、蓮の背後――正確には光学迷彩で隠されたスパコン『玄武』がある方向――を鋭く一瞥し、自分の部屋へと戻っていった。
【壁越しの電子戦】
「アキラ、なんとかしろ! このままだと俺が寝言で『パッチ適用』とか言ったら即バレだぞ!」
「落ち着きなさい、こっちには十億のスパコン『玄武』があるのよ。……さあ、カウンターハック開始!」
アキラがキーボードを叩くと、壁一枚隔てた隣室との間で、目に見えない火花が飛び散り始めた。
三沢の攻撃: 壁に高感度コンクリートマイクを設置。
アキラの防衛: 壁の分子振動を固定し、音波を完全に遮断。代わりに『大量の猫が鳴いている音』を三沢のレシーバーに流し込む。
三沢の困惑: 「……佐藤さん、部屋で猫を100匹くらい飼ってるの……? 動物愛護法違反かしら……」
さらにアキラは、三沢の魔力レーダーを狂わせるべく、偽のステータスデータを空間に投射した。
「よし、これで三沢さんのモニターには、あんたが『ただの健康状態が悪いカエル』として表示されてるはずよ」
「……俺の扱い、カエル以下かよ」
【結末:逃げ場なしの挟み撃ち】
翌朝。蓮は少しでもこの重苦しい空気から逃れようと、コンビニへ行くために玄関を出た。 だが、その瞬間、二つの「気配」にロックオンされた。
「佐藤さん! おはようございます! 昨日の教えを胸に、今日もロビーで三時間正座して待っておりました!」
階段の下からは、朝日のように眩しい笑顔で竹刀袋を担いだ凛が駆け上がってくる。
「佐藤さん、朝のご挨拶ですね。ついでにゴミ袋の中身を検査……いえ、一緒に集積場まで行きましょうか?」
隣のドアからは、メモ帳とボイスレコーダーを装備した三沢がスッと姿を現した。
「(蓮、逃げて! 今、凛の『熱血オーラ』と三沢の『執念魔力』が衝突して、マンションの磁場が狂い始めてるわ!)」
「……どっちに行っても地獄じゃねぇか!!」
最強のニート・佐藤蓮。 十億円を手に入れ、神話級の武器を売った男が今、人生で最も「外に出たくない」と願う朝を迎えていた。




