統一神書 バルギニア版 第五の巻 聖母神
一
万物の生命の母たる第四の座、生命を司る女神、ラナ・ディル・ジーエーナ。始原が御身を裂きたまいしとき、生命を負いて生まれ出でたまえる、すべての母なる女神であらせられる。
二
御姿は、たわわに実りし麦の穂のごとく、刈り入れどきの野を染める夕映えのごとく、あたたかき黄金の光を、その身にたたえたもう。ゆたかに波打つ髪は、熟れた稲穂の色。肌は、陽を吸うた大地のごとくあたたかく、その面は、おおらかに、つねに、かすかな笑みをたたえている。額には、芽吹いたばかりの若葉を編みたる冠を戴き、御手には、節くれだちたる一本の樫の杖を携えたもう。この杖の突きたるところ、枯れ野にも草萌え、岩かげにも花ひらくと伝わる。古き図像は、ことごとくこの神を、この若葉の冠と、この樫の杖とともに描く。
三
御声は、あたたかく、ゆたかにして、ぐずる子をあやす母のごとし。荒ぶることなく、ただ、生きとし生けるものを、ねぎらい、いつくしむように語りたもう。
四
御心は、ただ、生きとし生けるものへの、限りなき慈しみである。草の一葉、虫の一匹にいたるまで、ことごとくをおのが子として愛でたもう。強きも弱きも、美しきも醜きも、いささかの分け隔てなく、ただ、生きてあるということそのものを、寿ぎたもう。
ある夜、嵐に、山の主たる大いなる神鹿が斃れ、おなじ夜、道端の名もなき一本の雑草が、旅人の足に踏み折られた。神は、その双方に、寸分たがわぬ涙を流したもうたという。命に、大いなるも、小さきもない。これが、この神の、わけへだてなき慈愛である。
五
御業の第一は、世にあるありとあらゆる生命を、生み出したまいしことである。されど、この神が、なにゆえ生命を生み出すにいたりしか。
世界の始め、世にはただ九柱のみであった。始原と、そのみずから分かちたまいし、八柱の子。神々はたがいに睦みあい、世は神々のものにして、ただ楽しき日々であった。されど、始原が、おのれを九つに分かちたまいしより、一なりしものは多となり、多はたがいに釣り合いて、世は、ととのい、定まり、揺るがぬものとなった。
ここに、おもわぬことが起きた。一なりしうちは、何ものをも欠かず、何ものをも求めなかった始原が、多に分かれ、おのれならぬものを持ちしことで、その裡に、それまでなかった心の動き、すなわち情が、芽生えたのである。そして、その新たな情をもって、始原は、あまりに静かに安らいだ世を、いつしか、もてあますようになった。倦み、そこはかとなきわびしさを、覚えるようになったのである。
これを見た第四の座の神は、父祖たる始原の、その無聊を慰めんと欲した。動かぬ世に、移ろいを。静まりかえった世に、にぎわいを。かくしてこの神は、生命を生み出すことを、始めたまいたのである。草を芽吹かせ、木を茂らせ、獣を走らせ、鳥を翔けらせ、そして、人を生み出したまいしは、ことごとく、この神の御手による。
始まりは、しかり、始原のためであった。されど、ひとたび生み出すや、この神は、おのが手より生まれ出でしものを、深く慈しまずにはいられなかった。慰みのために弄ぶようなことは、ついぞ、なさらなかった。ただ、世を、ゆたかに、にぎやかにせんがために、命を生み、また生みつづけたのである。あわせて人には、ただ生くるのみならず、世界の運行を担うという役目を授けたまえり。
六
千年の闘争において、この神は、ついに、ひとたびも刃を取らなかった。生み出すことを司る神に、滅ぼすことは、できぬのである。ただ、おのれの生みし子らが、終焉の力の前に次々と倒れゆくのを、見つめ、嘆き、その亡骸を、ひとつひとつ抱きしめることのほか、なしえなかった。母なる神の、尽きせぬ涙が、雨となって戦野を濡らしたと伝わるは、このときのことである。
七
されど、心せよ。生命を、無より新たにあらしめうるは、八柱のうち、この神ただ一柱のみである。すでにある命を癒し、傷を繕い、衰えを支えることは、この神の慈悲の、ささやかな分け前として、人の手にも許されている。されど、無より生命を生み出すこと、ひとたび失われし生を、再びこの世へ呼び戻すことは、母なる神の御業を、人の身で犯すにひとしき大罪であり、固く禁じられたる禁忌である。心ゆるすな。母の慈悲をかたどらんとする手は、ときに、最も母を冒す手となる。
母なる神は、人を害したまわぬ。されど、与えたもう手を、引きたもうことはある。日々の恵みを、あって当然と思うたときから、人は母を忘れはじめる。
八 聖母神の教え
この神を敬う者の守るべき教え、二十を記す。
一つ。命を、大小で量るな。神は、山の主と道端の草とに、同じ涙を流したもうた。
二つ。飢えのためにのみ狩れ。戯れに殺すな。
三つ。獲ったものは、皮も骨も、余さず使え。
四つ。母獣とその子を、同じ日に獲るな。卵を取るなら、親鳥は逃がせ。
五つ。初穂は、捧げよ。次に分かち、蔵に積むのは最後でよい。
六つ。畑の隅は、刈り残せ。落ちた穂は、拾い直すな。貧しき者と鳥獣が、あとから来る。
七つ。飢えた冬にも、種の袋には手をつけるな。
八つ。土地は、幾年かに一度、休ませよ。土もまた生きている。
九つ。実る木に、斧を入れるな。戦のさなかでも、である。
十。泉を汚すな。汝の汚した水を、明日、誰かの子が飲む。
十一。実りの祭りのあいだ、刃を取るな。争いは、蔵が閉まってからでも間に合う。
十二。豊作を、おのれの腕と思うな。同じ腕で耕して、実らぬ年もある。
十三。人の上に立つ者は、民の飢えを、おのれの罪と思え。
十四。命を縛って、道具に使うな。母は、それを忘れたまわぬ。
十五。贄の血で、実りを購うな。血を求める声を聞いたなら、耳をふさげ。母は、子の血を喜んだことがない。
十六。産屋と病床のかたわらに、この神はおられる。そこを、粗末にするな。
十七。癒せる傷を、癒し惜しむな。医の手は、母の手の分け前である。
十八。されど、失われた生を、呼び戻そうとするな。願いが清ければ清いほど、この禁は破られやすい。
十九。刈り入れを、恨むな。刈られぬ穂は、実りではない。
二十。朝に目覚めたなら、今日も与えられていることを思え。母の手は、いまも引かれていない。




