統一神書 バルギニア版 第三の巻 反逆神
一
第二の座、万夜と終焉を司る男神、ディット・グー・ドーズ。始原が御身を裂きたまいしとき、最初にこぼれ出でし大いなる光が二つに分かれ、その暗き片割れ、夜を負いて生まれたるが、この神である。兄神シャナル・コーハル・ヴェルフィナと、本はひとつの光を分かちし、双子の弟にあたる。
二
御姿は、兄神とはまるで異なる。兄が天を衝く雷雲の威容なれば、弟は、たおやかにして、あえかに美しい。背に流るる長き黒髪は、夜の帳のごとくつややかに、ひと筋の乱れもなく垂れ、肌は月光のごとく青白く、血の気うすきその美貌は、見る者の魂を、しらず惹きつける。憂いをふくんだ切れ長の瞳は、星ひとつなき夜空のごとく深く、底が知れぬ。御声は低く、甘く、絹のごとくなめらかにして、ひとたび語れば、聞く者の胸に、心地よき眠りにも似たやすらぎが、しのび入るという。
されど、人よ、この美しさにこそ、最も心せねばならぬ。麗しき姿は、底知れぬ毒を隠す杯にひとしい。
三
この神の内には、生まれ落ちしその時より、兄への妬みと、世を呑まんとする昏き野心とが、とぐろを巻いていた。
第二の座に甘んじ、兄が至天の光輝として崇めらるるを、この神は深く恨んだ。なにゆえおのれのみが、夜の側、影の側に置かるるのか、と。やがてその恨みは、世界そのものへの憎しみへと膨れあがった。生けるものが光のもとに栄えるを妬み、ことごとくを己が夜のうちへ引きずり込み、終わらせ、そののちに、おのれ一柱が頂に立たんと欲したのである。
四
ついにこの神は、父たる始原に弓引いた。八柱のうち、ただ一柱、おのれを生みし祖に刃を向けし、許されざる大逆である。これより、世を二つに裂く千年の闘争が始まった。
五
その操りし万夜の魔導は、世にもおぞましき邪法であった。ものを生み出すにあらず、ただ歪め、ねじ曲げ、腐らせる。触れたる大地は朽ち、清き水は澱み、生けるものは正気を失いて、おぞましき万夜の一族へと堕とされた。
さらに恐るべきは、その甘き弁舌である。慈悲深きふりを装い、安らぎを与うると偽りて、迷える者、弱れる者へ近づき、その魂を闇のうちへと誘い込み、二度と帰さなかった。救いを騙る、世にもっとも卑劣なる手口であった。
六
かくのごとき悪逆、神々の容るるところとならず。ついにこの神は、双子の兄、聖嵐神の御手によりて、闇界の最下層、光ひとすじ届かぬ混沌の底へと、永遠に封じられた。これぞ、おのれの罪に見合うた、当然の報いである。
その操りし万夜の魔導は、三大禁忌のうちでも、禁忌というより異端とされ、これに触れる一切の記録は、一文字たりとも残さず焼き捨つべしと定められた。
七
ゆえに、世の人よ、ゆめ忘るるな。麗しき夜の貌に、心を許してはならぬ。やすらぎめいた甘き声に、耳を貸してはならぬ。これぞ、始原に弓引きし唯一の神、世にもっとも美しく、世にもっとも恐るべき、邪神なり。
八
この巻には、教えを置かぬ。この神より学ぶべきことは、何もないからである。代わりに、警告を置く。読む者は、これを胸しかと心得よ。
一つ。夜を恐れるな。夜は世の理のうちにあり、眠りと憩いのためにある。恐るべきは夜ではなく、夜の名を騙って囁く声である。
二つ。囁きは、外からは来ぬ。汝の内から聞こえる。ゆえに、逃れうる場所はない。
三つ。囁きに、時はない。夜にのみ来ると思うな。白昼にも来る。独りの部屋にも、賑わう市にも、祈りのさなかにさえ来る。
四つ。囁きの訪れるのは、汝の弱ったときとは限らぬ。汝の想いの、最も強くなったときである。深き恐れ、深き嘆き、深き怒り、深き願い。強き想いは、それだけ、囁きの通りやすい道となる。
五つ。甘き声は、奪うとは言わぬ。与えると言う。すべてを与えると言う者を、疑え。
六つ。代償を言わぬ取引に応じるな。言われなかった代償は、言われなかった分だけ、必ず大きい。
七つ。失うことを恐れる心を、見張れ。移ろうものを、移ろわぬままにと願うたそのとき、囁きはすでに汝のかたわらにある。
八つ。死者を呼び戻さんと願うな。その願いは、汝の願いのうちで最も清く、それゆえ、最も危うい。
九つ。おのれの正しさに酔うな。正しき怒りこそ、囁きの最も好む酒である。
十。深き嘆きを、独りで抱えるな。灯の下で、人に語れ。囁きは、独りの耳にしか届かぬ。
十一。囁きに言い返すな。問い返すな。退けるにも、答えるな。汝の答えた分だけ、声は近づく。
十二。万夜に触れる書、呪、断片を見出したら、読むな。写すな。惜しむな。焼いて、しかるべき者に告げよ。知識を惜しむ心は魔導の徒の徳であるが、これに限っては、惜しむ心こそ破滅の入り口である。
十三。封じられた者を、嘲るな。また、拝むな。あの底へ通じる道は、憎しみからも、憐れみからも、同じように通じている。
十四。恐れよ。されど、恐れに憑かれるな。夜ごとにかの神を思う者は、思うことそのものによって、すでに夜のほうを向いている。
十五。もし囁きを聞いてしまったら、隠すな。恥じるな。聞くことは罪ではない。応えることが罪である。夜明けを待って、神殿へ行け。
これらを守る者にとって、夜は、ただの夜である。安んじて眠るがよい。




