表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
11/19

統一神書 バルギニア版 第十の巻 千年の闘争

 世のいまだ神代なりしころ、人は、ひとつの王国のもとにあった。その名を、ホーフニハッシャという。神々の命を受け、神々に仕え、世の正しく運行するよう営みをつづける、人のただ一つの、最大の王国であった。国はひとつなれば、人と人との諍いはなく、諍いの芽あれば、神々がこれを裁いた。獣がときに田畑を荒らすことはあっても、それより他に、人を脅かすものは、世に何ひとつなかった。長き長き、平穏の世であった。

 災いは、その版図の果ての、一つの村から始まった。

 ある朝、辺境の村が、灰になっていた。生き残った者は、なかった。襲うたのは、獣ではない。矮躯の、異形の者どもであった。目は爛々とし、群れをなし、夜のうちに村を焼き尽くして、消えた。世にドルヴァと呼ばるる、万夜の先兵である。もとは、人であった。万夜の魔導に歪められ、人を襲い、人を喰らう者と成り果てたものどもである。

 されど、この時、これを異変と見た者は、いなかった。王国は調べの者を遣わした。調べの者が戻るより早く、次の村が焼けた。人が、そして神々が、事の正体に気づいたときには、すでに、遅かったのである。


 万夜の者どもは、津波のように、雪崩のように、生きとし生けるものすべてに襲いかかった。万とも、億とも知れぬ、かたちも様々の眷属どもが、世界の端から、徐々に、徐々に、世を呑んでいった。地を、空を、海を、森を、山を。命あるものは、ことごとく蹂躙された。

 神々は、力を尽くしてこれを撃ち滅ぼしたもうた。されど、数に、呑まれた。一を討てば十が湧き、十を討てば百が寄せた。神々をもってしても、拮抗が、精一杯であった。ようやく寄せ手を押し留めたとき、人の住まう地は、王都と、その周辺だけになっていた。


 このとき、人は、あまりに脆かった。神々の先兵として立っては、なすすべなく命を散らした。それを定めと見過ごさなかったのが、叡智神である。勝てぬと知りながらなお剣を取る人の健気さに打たれ、この神は、世界の真理の一端、すなわち魔導を、人に分かち与えたもうた。あわせて、天稟なき万人にも真理を扱いうるよう、原初の言葉を授けたもうた。魔導の始まりである。

 二百年の拮抗ののち、人は百年をかけて魔導を研鑽した。堅磐神の炉より出でし、折れず欠けぬ武具が、人の手に行き渡っていった。人は、はじめて、万夜と互角に戦う術を得たのである。戦線は、少しずつ、少しずつ、押し返されはじめた。六百年の闘争を経て、人は、もとの版図を取り戻した。


 されど、思い違うてはならぬ。この千年、神々もまた、休みなく戦うておられた。万夜の軍勢のうちには、神々にも匹敵する六人の将があった。世に、六大夜と呼ぶ。至天の兄神が反逆神その者と相対したもうたゆえ、残る六柱の神々が、おのおの、六つの夜と相対することとなったのである。その次第を、順に記す。


 一の夜、狂叡将。あらゆる知を歪め、惑わす者である。この将の進むところ、知は正しさを失うた。火に水をかくれば火はいよいよ燃えさかり、毒を飲みし者が肥え、薬を飲みし者が倒れた。学びし者ほど深く惑い、賢者の軍議は、ことごとく裏目に出た。

 これに相対したのは、叡智神である。二柱の戦いは、剣によらなかった。狂叡将は、叡智神の蔵するあらゆる真理を、逆しまにせんとした。されど、歪める者が歪めうるのは、定まった答えだけである。叡智神は、答えを置き、問いをもって対峙したもうた。答えなき問いは、逆しまにしようがない。あらゆる知を歪め尽くさんとした将は、歪めるもののない問いの前に空転し、ついに、おのれの歪みに呑まれて果てた。


 二の夜、堕命将。命の営みを歪め、貶める者である。異なる命と命を混ぜ合わせ、あってはならぬ生き物を生んだ。万夜の眷属の半ばは、この将の手になる。ドルヴァも、この将に歪められた人の末である。

 これに相対したのは、聖母神である。されど、この神は、刃を取らなかった。取れなかったのである。母は、ただ、歪められた子らのあいだを、素手で歩いた。母の涙の雨に触れた万夜の獣どもは、束の間、おのれのもとの姿を思い出し、戦場に立ち尽くして泣いたと伝わる。堕命将は、命の源たるこの神をも歪めんとして、御身に手を触れた。触れた手は、歪むどころか、指の先から癒えはじめた。源は、歪められぬのである。将は恐れて退き、二度と母の前には立たなかった。その最期は、主の封じられし暁、支えを失うて、砂のように崩れたと伝わる。


 三の夜、滅法将。世の理を歪め、釣り合いを崩す者である。少なきものから多くを生み、起こりえぬことを起こした。されど理の歪みは、必ず代償を求める。この将は、その代償を、常に、罪なき者の悲劇で払わせた。ただ殺すことをせず、権謀をめぐらし、最も残酷な、最も悲劇的な殺し方を選ぶ将であった。

 これに相対したのは、律天神である。この神は、追わなかった。ただ、量りつづけた。将が理を歪めるたび、見えざる秤の皿に、錘がひとつ、またひとつと載った。千年ちかく、一度も取り立てず、一度も忘れず、載せつづけた。そして反攻の終わり、将が最後の大いなる歪みを成さんとした、その刹那である。積もりに積もった傾きが、一度に、返された。地より茨が生い、天より白き大秤が下り、滅法将は、おのれの積んだ借りのことごとくに、ひと息に押し潰された。秤は、忘れぬのである。


 四の夜、崩壊将。あらゆる築かれしものを壊す者である。人が百年をかけて築きし、万夜を防ぐグーデンリアの長城は、この将の現れし一夜のうちに崩れた。壊すものは、石垣ばかりではない。人の絆をも内より突き崩し、昨日までの友を敵に、愛せし者を仇に変えた。

 これに相対したのは、堅磐神である。この神は、ついに戦場に現れなかった。されど、将の打ち壊さんとしたもののうち、この神の鍛えしものだけは、壊れなかった。大地を繋ぐ鉄鎖の山脈を、将は幾年も打ちつづけたが、鎖は、ひと環も切れなかった。急いで打たれしものは脆く、時をかけて打たれしものは、壊れぬのである。そして、将がまた山脈に手をかけし、ある日のことである。天より、一本の楔が落ちた。楔は崩壊将を貫き、大地の底の、動かぬ岩の骨にまで、深々と縫い留めた。壊すことしか知らぬ者は、いまも、世で最も壊れぬものの下に封じられている。


 五の夜、不転将。魂の流れを堰き止める者である。死したる者の魂を骸に留め、死人帰りを、幽鬼を、永遠の夜を彷徨う者どもを生んだ。万夜に殺されし者は起き上がって寄せ手に加えられ、死したる魂は、終わることなき嘆きに晒されつづけた。世に幽鬼と呼ばるるものの始まりは、この将である。

 これに相対したのは、流転神である。この神は、堰を壊さなかった。ただ、流れを送りつづけた。水は、急がぬ。されど、止まらぬ。不転将の築きし堰の内には、堰かれた魂が日ごとに満ち、その重みは日ごとに増した。闘争の終わりに近きある日、堰は、内より破れた。堰き止められていた幾万の魂はひと息に流れへ還り、その奔流が、不転将を呑み、運び去った。かの将の行き着いた先を、知る者はない。ただ、堰は、いつか必ず破れるのである。


 六の夜、破境将。あらゆる境を打ち壊す者である。現と夢幻の境を曖昧にし、見えているものを虚に、なきものを実にして、人の心を甘い幻のうちへ呑んだ。万夜の軍勢が一時、輝界にまで攻め入りしも、この将が、門守神の守る輝界の門を歪め、こじ開けたがゆえであった。

 これに相対したのは、門守神である。この神は、将と争わなかった。将が境を破るたび、その後ろで、黙って境を引き直した。破る速さと、引き直す静けさとの、果てのない競べであった。そして闘争の終わりに近き、ある黄昏のことである。門守神は、はじめて、みずから将の前に、一つの門を開いた。境を破ることしか知らぬ者は、開かれた門を疑うことを知らぬ。破境将は、勝ち誇って、その門をくぐった。門の向こうは、どこへも通じていなかった。境は、音もなく閉じた。この神は、問いに、門を開くか、開かぬかで答える神である。あの門が、この神の答えであった。


十一

 六つの夜は、かくてことごとく落ちた。最後の百年、人と神々は、反攻に反攻を重ね、万夜の軍勢を世界の果てへ、闇界の際へと追い詰めていった。この百年に、人のうちより数多の英雄が立った。

 そしてこの最後の百年、堅磐神の炉は、武具を打つことをやめていた。代わりに、いちばん遅く、いちばん静かに打たれていたのが、一つの錠と、一本の鍵である。剣より、槍より、鎧より長い時をかけて鍛えられた、闇界の大扉の錠と、その鍵であった。


十二

 終わりの日が、来た。万夜の軍勢はすでに潰え、六つの夜は失われ、反逆神は、闇界の大扉の前に、独り立った。神々は遠巻きにし、進み出たのは、兄神、ただ一柱であった。

 二柱の戦いは、黄昏に始まった。至天の光輝と、万夜の魔導とがぶつかり、天は裂け、海は割れ、その轟きは世界の果てまで届いたと伝わる。ひとつの光より生まれた双子の、最初にして最後の戦いであった。夜半を過ぎしころ、勝敗は決した。弟神は破れ、兄神は、おのが光をもて弟を包み、闇界の大扉の内へと封じたまえり。堅磐神の錠が扉に掛かり、兄神が、鍵を回した。ただ一度の、その音を、居合わせし古き存在どもは、長く忘れなかったという。

 それから兄神は、扉の前に、暁まで立っておられた。夜明けとともに、鍵は門守神の手に渡された。灰色の御方は、受け取って、鈴を一度、鳴らした。

 かくて、千年の闘争は終わったのである。


十三

 戦は終わった。されど、世は荒れ果てていた。神々もまた、深く傷ついておられた。神々は戦の傷を癒すべく輝界へ退きたまい、荒れたる現界の営みは、人の手に委ねられた。これは、おのが子らが自らの手で立ち直ることを願うた、母なる神の御意であったと伝わる。

 万夜の残滓は、なお世に残った。歪められしものども、彷徨う幽鬼、そして、万夜の魔導の記録である。これに触れる一切は、一文字たりとも残さず焼き捨つべしと定められた。

 心せよ。千年の戦は、大軍の攻め寄せから始まったのではない。世の果ての、一つの村の、一夜から始まったのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ