表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

第7節 雨降りの真実と初恋

「昔さ。この辺りで一人、友達ができたことがあったんだ」

 地面にしゃがんで目線よりも少し高い位置にある切妻屋根に積もった落ち葉を払いながら、僕はそんな風に思い出話を切り出した。

 祖母の家の裏山にある、地主神の祠の前だ。四角く切られた石の台座にちょこんと乗った木祠は、観音開きの扉は閉ざされたままその上に小さな注連縄が飾ってある。規模としてはこぢんまりとした部類だろうけど扱いとしては丁重で、祠の脇には神様のお使いだと言う狐を模した像も二体、控える形で並んでいる。

 僕が今日この村に残っていたそもそもの理由。かつての自分の足跡を、辿って巡った記憶の旅の終着点。数時間前には色々あって途中で引き返すことになってしまったこの場所を、今度こそ僕は訪ねていたのだった。

「こんな所だと子供って珍しくて、僕からしたら初めて会った同年代の相手がその子だったから。だから余計にその子と仲良くなれたのが嬉しくて、ここにいる間は毎日会いに行ってたっけ」

 今では見る影もないくらいにわんぱくだった自分の姿を思い返して、込み上げてくる懐かしさやら恥ずかしさやらに苦笑が洩れる。

 子供の頃というのは不思議なもので、今の自分と繋がっているように見える反面まるで別人のように思えてしまえる部分もある。根本的な理念の一致と瞬間的な思想の不一致。そんな矛盾や相反が生むこそばゆさもまた、厭わしくもあり好ましくもある相克する感情を心の中へと芽生えさせるのだ。

「あの年はずっと天気が良くなくて、一緒に遊び回ったりはできなかったけど。その分色んな話をしたからその事はむしろよく覚えてる」

 お菓子ならカステラが好きだとか。動物で言えばタカとかフクロウとかが苦手だとか。雨を見ているのはけっこう好きで、逆に陽射しの強すぎる日は嫌なのだとか。

 おばあちゃんから貰った駄菓子を分けてあげると嬉しそうにはにかむこと。僕が家族で旅行に行った話をすると羨ましそうに聞き入ること。家がやたらと厳しいのだと、その話をする時だけは珍しくうんざりした顔をしていたこと。名前を言うのにどうしてか少し躊躇いがちで、だけど僕が呼ぶとその度に頬を緩めること。いつか遠くへ行ってみたいのだと──海を見るのが夢なのだと、怖々ながらも憧れに満ちた瞳で語ったこと。

 蓋を開ければ鮮明なままに溢れ出してくる記憶たちを挙げて並べて、連ねる程に重なる共通項を一つ一つなぞっていく。それらを僕は視線は祠から外さずに言葉だけを背後へ向けて投げ掛ける。

 数歩と下がって手の届かせられない距離に立ち、決してそれ以上は近付いて来ようとしない彼女へと。

「あの子と会うのは他のどんなことより楽しくて、何をして遊ぶよりもあの子と話してる時間の方が大切で。そんな風に感じることなんて初めてだったからあの頃の僕にはそれが何でか分からなかった」

 御神木という訳ではないけど祠は山の中でも一際大きな木の根本にあって、分厚い枝葉が庇になってくれるから僕は傘がなくとも濡れはしない。けれどそんな天然の屋根も彼女の立っている位置だと埒外だ。頑なに軒下間際より踏み入ろうとしない彼女は雨に濡れるのもお構い無しで、僕が預けた傘を無気力そうに肩へと掛けて差している。

 山へと入った辺りからずっと噤んだままの口は何を言いたいのかも言いたくないのかも、言ってはいけないのかも僕には判断を許さない。

「けど、今ならそうだってちゃんと言える。あの子と会えなくなってから淋しいだけじゃ言い切れないくらいに苦しくなって、その理由をずっと考えてたらやっと分かった。本当に感情ってままならなくて、失くした後じゃないとそれがどれだけ大切だったかなんて気付けないんだ。本当に、気付いた時には手遅れだったけど」

 厭忌混じりの大塊を肺腑の底から吐き出すみたいにそう言って、そこで無意識に感傷的になりつつあった語り口を一度閉ざす。

 回り始めた舌に任せて勢いで言い切るつもりだった言葉たちがつっかえる。ひりつく喉に声が貼り付き、それを鎮める為に一呼吸の間を要する。

 吸って、吐いて。

 その内に急いていた気も冷まされて幾分落ち着いた心持ちで僕は話の本題へ──その一歩手前へと駒を進める。そこが一番緊張するから、乾く喉と唇は唾で湿らせ平静を保てているのだと偽りながら。

「自分でも驚くくらいに無自覚だった訳だけど。あれが僕の初恋だった。僕はあの子が──『サチ』のことが好きだったんだ」

「────え」

 告げて、同時。微かに背後で息を洩らす気配がした。

 道中以来で久しく聞いた彼女の声。ざり、と土を踏んで後退る足音一つ。それだけでもう、僕にとっては憶測を確信へと変えるのに充分だった。

 吐息を一つ。

 的中した予感に胸へと舞い込む感情は安堵か悲観か。それを決定づけるのは次の問いへの回答次第で、今はまだ蟠るのはどっちつかずの焦燥だけだ。

「ねぇ。君の名前、聞いても良いかな」

 躊躇う気持ちは、湧かなかった訳ではないけど敢えて無視して。余分な心のざわめきはどれも見ない振りで消し去って。胸騒ぎが言葉を取り落とさせてしまう前に僕は急いで、ずっと喉元へと用意していた問いを放った。

 急な話題の方向転換。話の流れとしては酷く歪なその質問。出会って間もなくにも一度訊いて、その時には軽やかに受け流されてしまったのと同じもの。

 今は何かを拒むみたいに、ビクリと少女が肩を跳ねさせるのを感じながら、僕は意識の片隅でかつての祖母の言葉を回顧する。

「それ、は……私からは、言っちゃだめで……」

「うん、分かってる。だから君は、ただ答え合わせをしてくれればそれで良い」

 祠のすぐ横。狐の像より更に近くに立てられた、一本の石碑を僕は見詰めて手を伸ばす。

 ──神様はね、正しい名前を呼んだ者にしか御姿をお見せにはならないからね。

 表面を覆う埃や汚れを払いながら其処に書かれた神様の名前を指でなぞる。あまりに達筆な筆文字の、ともすれば蛇のうねった跡にも見えるその文字群。『センヤ』と呼ばれる神様の、『芊八』と今でこそ正しく読めるその文字を、その上で僕はかつて犯した勘違いのままに声にする。

「『サチハ』。それが君の、本当の名前なんだね」

 言った瞬間。ダッと地面を蹴る音すらも置き去りに、背中へ衝撃がぶつかった。

 後には遅れて傘の地面へ落ちる音。水に濡れる音が遠く鳴って直ぐに消える。残るものは雨音と、背中に触れる温もりと首に回された腕のぎゅうっと抱き留める締め付けと。

「……気付くの遅いよ、バカ」

「ごめん。本当に長く待たせちゃったね」

 僕もまた繋ぎ止めるみたいに彼女の腕に片手を添えて、口許へとふっと失笑を滲ませる。

「だけど、君も君だと思うよ。最初に訊いた時にちゃんと教えてくれてたら、ここまで迷いもしなかったのに」

「あれは! 自分から教えちゃいけないっていうのは嘘じゃないし。そういう決まりで、私たちは無闇に人間に姿を見せちゃいけなくて。何度もキミと会ってたのも名前をちょっとだけ言っちゃったのも、むしろ昔の私が決まり事を破ってたってだけなんだから」

 せめてこれくらいはと伝えた不平に、彼女は唇を尖らせながら反駁して。

 だけどね、とそこで急に声を潜めて、少しだけ恥じらうようにしながら続きの言葉を舌に乗せた。

「いじわるして、困らせたかったっていうのが本音。だってキミ、全然気付いてくれないんだもん。私一人で舞い上がったり悩んだりして振り回されて、キミは何にも覚えてないみたいに知らん顔して、そんなのあんまり不公平だよ」

「そっか……。ごめん、直ぐには気付けなくて」

「ホントだよ。私なんてひと目見た時からずっとそうだって思ってたのに」

「それはそれで凄いと思うよ。もう十年も前に会ったきりだったのに」

 それだけ経てば外見もかなり変わっただろうに。お互い身長は伸びているし、顔付きも体付きも別人とまでは言わないまでも当時と比べれば全然違う。

 それこそ僕には、既視感の切れ端めいたものに触れるくらいが関の山だったのに。

「当然だよ」

 心へ直に打ち込むような、声に灯る熱い奮い。短い言葉に宿る激情。感情の大きさを表すみたいに腕へと篭もる力が強まり、回されている首がくっと締まった。

「だって、ずっと見てたから。キミがこっちに来る度、見付かっちゃダメだから隠れながらだったけど、いつもキミのこと見てたんだから」

「そう、だったんだ……。本当にごめん。君はそうやって失くさないようにしてくれてたのに、僕は君のこと、もう会えなくなったんだって決め付けて、むしろ忘れようとしてたなんて」

「そうだよ! キミは全然分かってない! 私がどれだけキミのこと──」

 言いさして。

 言い募ろうとしていた言葉は呑み下して、代わりとばかりに彼女はふるふると首を横へと振る。

「……違う。今のは、私もごめん。謝らせたかった訳じゃない。悪いのはむしろ私の方で、人間とは関わるなって言い付けられて逆らえなくて、約束も破っちゃった私のせい。だからそうじゃなくて、言いたかったのは、そんなことじゃなくて……」

 決壊しかかった感情の奔流を。十年分の堆積を。どうにか飲み乾し、彼女は干上がった水底へと一つ残った真意の欠片を拾い上げる。

 一番大切な気持ちの在り処を、恐る恐ると探り寄せる。

「ねえ。さっき、私のことが好きだったって言ってくれたけど。あれって昔だけの話? 今はもう、そうじゃなくなっちゃった……?」

 腕の力が更に強まる。もう一段階も絞め上げられては息が止まってしまう力の強さ。狭まる気道に、抱擁という名の束縛に、彼女の想いの質量に、僕は生殺与奪の権利すらも握られる。

「告白するとさ」

 それを逃れようとして、という訳ではなかったけれど。

 身を捩って拘束を緩め、引き剥がすでもなくなるべくやんわりと腕を解く。その問いに答えるのなら、この先は背中を向けたままで語るには相応しくないから。それではあまりに釣り合わないから、僕は彼女との繋がりを一旦切って身体ごと後ろへ振り返る。

 移ろう視界に頼りなげな、まるで独りぼっちで夜道を彷徨っているみたいな少女の表情が映り込む。

 背景には雨と眺望と西の空。だいぶ弱まってきた雨に少し離れた空では雲も千切れて、半ば没した太陽から差す茜の光を雨粒を煌めかせながら透している。もう少し早ければ天使の梯子に見えたろうけど、日没間際に山間から覗く光の向きは水平だから僕の位置だと逆光で。

 まるで、彼女に差した後光みたいに僕には見えた。

「今日君と会ってから、何だかずっとおかしかったんだ。変に胸がざわついて、変に意識が引き付けられて、変に頭の中が掻き乱されて。初対面の相手にそんな訳ないって誤魔化そうともしてみたけど、結局は認めるしかなくなった」

 そう。そんな心の揺らぎ方を僕は既に知っていたから。

 知らん振りも誤魔化しも意味を成さない。可能性が頭の片隅にも浮かんだ時点で、その感情は無視できない程の存在感を持って胸を占める。それくらいに重い感情。それくらいに強い情動。高鳴る鼓動の質感は、かつてのそれを忘れられないからこそ勘違いすらも赦さない。

 ただ、強いて間違いを挙げるとすれば。

 一目惚れだと思ったそれはそうではなく。僕が胸に抱いた熱は二度目の恋情の火種じゃなくて、あくまで初恋の再燃だったということだ。

「君のことにはまだ気付けてなかった内だけど、気持ちだけはもしかしたら、ずっと『そう』だって叫んでたのかもしれない」

 つまるところ──と僕は彼女の目を真っ直ぐ見据える。揺れる瞳を、じわりと潤む双眸を、僕は同じ高さで見詰めて逸らさずに。

 つまるところ──と一方の頭の中では口で象るのとは別の言葉が流れて来た。これは流石に気恥ずかしくて、思うだけで声にはとても出せないけれど。彼女の好みそうな雰囲気で、敢えてロマンチックな言い方をしてみるならば、そう。

 つまるところ。


 ──僕は彼女に、二度目の初恋をしたのだった。


「好きだよ、サチ。昔も今も変わらずに、僕は君のことが好きなんだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ