第四十二話 お好きなように
「あの、お姉様」
二曲踊った後で、シャンパングラスを手にしたジュリアマリアが近づいてきた。
「何かしら、ジュリアマリア」
「異形って、何?」
ジュリアマリアは困惑したような声と裏腹にどこまでもまっすぐフェデリカを見つめている。聡い子だ。己の無邪気を盾とし、先代王の発言を取り消させようとしている。フェデリカはわざとらしく困った表情を浮かべた。
「さぁ......先王陛下は何を仰りたかったのかしら。レナートはどこから見ても素晴らしい方なのに」
「そ、そうだよね」
「眉目秀麗で政も精力的にこなしておられて......わたくし、あの方以上に素敵な方を存じ上げないのだけれど」
「いや、ブルーノの方が私の中ではかっこいいから!」
ブルーノはね、とジュリアマリアがイゾラ公爵のいいところについて熱弁を振るう。少し離れたところでイゾラ公は真っ赤になっていた。
「ふふ、相変わらず相思相愛ねえ。ああ、そうだジュリアマリア、くれぐれも気を付けるのよ?」
「へ?」
「イゾラ公はレナートの......陛下の甥。陛下に似ていらしたら、暫く夜は眠れないものと思っていた方がいいわ」
「はえ!?」「「ぶーっ」」
ジュリアマリアは真っ赤になり、シャンパンを飲んでいた叔父と甥は見事に中身を噴き出した。周囲の者たちも噎せている。
「最近は兎も角、初めはほんとうに寝かせてくださらなかったの。朝起きるのがあれほど大変だったことはないわ......」
「お、おおおお姉様」
「ジュリアマリア、つらいかもしれないけれど、これも夫の愛なのよ。あなたの健闘を祈っているわ」
「お姉様!?」
「ジュリア!」
「わひゃあ、ブルーノ!」
ジュリアマリアは飛び上がった。夫婦揃って赤くなっている。
「あ、あの......私、寝れないの?」
「僕はそんなに絶倫じゃないから! お願い怯えないでジュリア! 妃殿下! なんてこと言うんですか!」
「あらごめんなさい、つい心配になってしまって」
扇を翳して微笑むと、イゾラ公爵はぐぬぬと唸ってレナートの方を振り返った。
「叔父上もですよ! 義姉上を寝かせてください!」
「私のせいなのか!?」
「ええそうです! 叔父上が義姉上にぞっこんなのは知ってますけど、少し穏やかにしないと嫌われますよ!」
「は!?」
フェデリカは妹夫婦と夫の言い争いを見てころころと笑った。それを見ていた参列者によって王より強い王妃とあだ名されるのは少し先のお話である。
***
「――あぁ、面白かった」
「君のせいでひどい目にあったぞ......」
所変わって夫婦の寝室である。宴が長引いたので、既に日付が変わっていた。
「ふふふ。明日から噂になりますね。絶倫王と」
「そんな称号は嫌だ」
「ですが実際どうなのですか?」
レナートは言葉に詰まった。精巣を片方切り落とされた時、レナートは20歳。当然経験はあるだろう。
「比較したことがないから何とも言えないが......その、体力は、ある方だと思う」
「よかったです。あ、けれどお手柔らかにお願いします。私は貧弱ですので」
「......何を?」
レナートは目を瞬いた。あら、とフェデリカは首を傾げる。
「抱いていただこうと思っていたのですけれど」
「......は!?」
「膣外に射精していただければ妊娠の確率は低く」
「待て待て待て」
レナートは片手で顔を覆っている。頭痛だろうか、とフェデリカは首を傾げた。
「なんでしょうかレナート。あ、もしかして私では行為に至るほどの興奮を得られませんか?」
「そんなわけ、いや、そうではなくてだな」
「はあ」
レナートは顔を上げてフェデリカを見据えた。
「......抱けと?」
「はい。どうぞ抱き潰してください」
「げほっ」
レナートは激しく咳込んだ。大丈夫だろうか。
「そうすれば、あなたが不能という噂は確実に消えます。婚姻無効の件に関しては、白い結婚だと言い張るか、ジュリアマリアの母が私の母であり、貴賤結婚の末に生まれた子だと表明すれば成立しますので心配は要りません」
言葉や態度で夫婦円満であるということは示してきたが、部屋の清掃やふたりの身の周りの世話をする侍女たちが懐疑的であることは知っていた。当然だろう。契りを交わした痕跡が、結婚から半年経った今もないのだから。不穏な噂は、今日の先王の発言と相まってレナートに牙を剝くだろう。
「白い結婚だという噂も残っています。この機に一掃するのは悪い案ではないと思うのですが」
「私の噂を鎮めるために、君の貞節を奪えと?」
「減るものでもありませんし、今後使う予定もありませんし」
視界が反転した。天蓋が目に入り、押し倒されたと理解する。レナートの解けた髪がフェデリカの頬を擽った。
「レナート?」
「噂のためだけに君の貞節を奪いたくない」
「お心遣いは嬉しいですが、あってもなくても困りませんので」
「それだけの為だけに、恋うてもいない男に抱かれると」
「流石に30以上歳の離れたご老体や樽のような巨体は嫌ですが」
「そうか。でも私は嫌だ」
「ではやめましょうか」
「君と体を重ねるなら、君の心を手に入れてからがいい」
レナートの手がフェデリカの頬をなぞる。唇に触れた指先は仄かに熱を持っていた。
「好きだ、フェデリカ。君が好きだ」
***
幼い頃から、当たり前のことが分からなかった。庭師が水を撒くと虹が出来るのも、空が青いのもフェデリカには不思議だった。
——フェデリカ、あまり父さまを困らせないでくれ。
——メイドなんで難しいことは分からないです。
——そんなことを考えている暇があれば貴族名鑑を覚えてください。
人は何も教えてくれない。数字は書いた分だけ答えをくれる。物理式は当たり前だと認識していることの原因を導ける。
甘酸っぱい恋や友人との情を育む時間をすべて研究に捧げた。他人に期待をしなくなった日から人との関わりを減らし、出来るだけ他人に対して何も思わないようにした。その方が楽だった。期待をしなければ、失望することもないのだから。
「好きだ、フェデリカ。君が好きだ」
海のような青い瞳は、獣じみた熱を宿していた。
「ご冗談を」
「冗談ではない。俺は君を愛している」
フェデリカはまじまじとレナートを見つめた。
――やはり、そうだったのか。
幾ら機微に疎くても、察するところはあった。起きた時に腕に閉じ込められているのは抱きしめられているからで、よく視線が合うのは、レナートがフェデリカを見ているからだ。
面倒くさいから、見て見ぬふりをしていたけれど。
「――申し訳ありませんが、私はあなたを愛していません。人としては尊敬しておりますが、それだけです。どうかその感情は別の方にお渡しください」
「生憎と、恋情はすぐに消えてくれるものではない」
「では消えるまでお待ちください」
「果たして消えるかな」
「私はあなたではないので判じかねます」
レナートは小さく笑った。
「この感情は暫し手放せないようだから、君を落とせるように努力する」
「はあ」
フェデリカは間の抜けた声を上げた。研究にしか目がない自分が他者を愛するなんて、想像することもできなかった。
「お好きなように」
——それから5年が過ぎる。




