第四十一話 婚儀
大学から帰還すると、季節は夏めいてきた。イルミナーティ天文台の協力を得て実験も進んでいる。まだまだ精度をあげなくてはいけないので頭を抱えることが多いが。
また砂の皇国から驚くべき報せが届いた。なんでも皇帝が暗殺され、犯人捜しで皇宮は荒れに荒れているそうだ。皇太子と帝位を争っていた皇子が亡くなって皇太子の仕業だと騒がれたり、重臣たちが足の引っ張り合いをしているという。傍若無人な現王朝に反感を持つ部族たちが不穏な動きを見せているらしい。これは前王朝の血筋を探すどころの話ではないのでは、と考えて、フェデリカは安堵した。
「眠そうだな」
「実験資料に目を通していたら眠れなくて......今日はうたたねもできないから寝ようと思っていたのですが、つい」
「妹夫婦の誓いの儀式の最中に寝たら大惨事だぞ?」
「流石に大丈夫です! 多分......」
からりと晴れ渡った6月の末、ジュリアマリアとイゾラ公爵の婚儀が行われた。新郎の地位の高さとは裏腹に、親類や友人だけを呼んだ小さな式であった。
「ジュリアマリア、結婚おめでとう」
「来てくれてありがとう、お姉様」
晴れやかな笑みを浮かべるジュリアマリアは、とても幸せそうだ。ジュリアマリアの夫となるイゾラ公も、いつもより柔らかな笑みを浮かべてレナートと話している。
「嬉しいけれど、私少し緊張しているの。公爵夫人なんて恐れ多いなって。7月には領地に行って視察とか財産管理が始まるけど、上手くできるか分からないし。せめてお姉様みたいに偉そうに振るまえたらいいんだけど......」
軽食を摘まみながら、ジュリアマリアは溜息を零した。
「大事なのは笑顔よ。取り敢えず笑っておけばなんとかなるわ」
「それはお姉様の笑顔に迫力があるからよ!」
「そうなの?」
「そうよ! 全くお姉様は無自覚よね......折角綺麗なのに、王妃様になる前は全然着飾らないし化粧もしないし」
「貶すか褒めるかどちらかにしてちょうだい」
「じゃあ貶すわ」
「どうして???」
ふたりでくすくす笑っていると、不意に後方から悲鳴が聞こえた。反射的にそちらを向いて、フェデリカは顔を険しくした。
「許さぬ......ブルーノが......ロザリアと余の子供が王になるのだ......」
神殿の大扉の前に佇んでいるのは、骨と皮ばかりに痩せ細った先代王であった。その瞳は焦点を結んでおらず、握った剣をやたらめったら振り回している。
「騎士、罰は与えないと約束する、取り押さえろ!」
「皆、落ち着いて檀上近くまで来なさい!」
声が重なった。視線が絡み、すぐに逸れる。
「お、お姉様。どうして、陛下が」
「イゾラ公爵夫人! あなたが落ち着かずしてどうするのです!」
ジュリアマリアはフェデリカの叱責に目を見開いた。小さく頷いたのを見て取り、その場を任せる。イゾラ公爵と入れ違いにレナートの元に駆け寄った。
「レナート」
「ああ。騎士を脅迫して来たのだろうな。後程謝罪の場を設ける」
「誰が結婚式の情報を漏らしたのか調査させます」
「放せ......! 余は国王であるぞ! ええい、全員死刑にしてくれる!」
騎士に捕縛された先代王は喚き散らしている。レナートが近寄ろうとした時、それを制する手があった。
「――陛下。先王陛下と話をする許可を」
「相分かった」
イゾラ公爵である。後方に足を進めると、床に押さえつけられた先代王の傍に膝をついた。
「――先王陛下」
「おお、ブルーノ! 可愛い子よ! 無力な父を許しておくれ。だが、時間がかかろうとも必ずやそなたを王に」
「私は王位を望んでおりません」
「......は?」
先代王は呆然と目を見開く。
「王たれと育てられ、ご期待に沿えなかったことは申し訳なく思います。ですが私は愛する人を得て幸せになりました。陛下――弟が死んでから、陛下は笑わなくなりました。何をしても褒めてくれず、ただ1番にならねばならぬと教えられました。何かしても足りない、まだだと怒られた。叔父上と、婚約者と比較され、至らぬところだけを見咎められた」
「おお、そうとも! レナート、あやつが最も危険なのだぞ! 知恵もあり、人望もある。そなたではとても勝てない! だからこそ余が手を下してやったのだ!」
フェデリカはレナートの手を握った。掌は暖かく、握り返される力は強い。見上げた横顔は穏やかだった。
「私は一度だってそんなことを望まなかった。叔父上のことは尊敬していたし、大好きだった。乳母子だって大切だった。なのにあなたは、私が大事にした人だけを奪っていった」
「ブルーノ、そなたは気づいていないのだ。余の他はみんな敵だ! どうして分からぬのだ!」
「あなたと暮らした日々は――ひどく、息苦しかった」
ジュリアマリアが進み出て、イゾラ公爵の背に手を当てた。ふたりは視線を交わし、微笑む。
「ジュリアマリアと出会って、ようやく私は穏やかに笑えたのです」
「貴様......! 貴様がブルーノを誑かしたのだ! ああ、ああ、1日とて忘れることができなかったその顔! 忌まわしい娘よ!」
「これ以上ジュリアを罵倒するのはおやめください、先王陛下。私はもう、あなたが望む操り人形ではありません。私は、母上ではないのです」
違う、違うのだ、と譫言のように先代王は呟いた。
「仕方のないことなのだ! ブルーノ。そなたは王になるべき人間なのだ! 皆、そなたの地位を狙っている! 誰も信じてはならぬ!」
「陛下。あなたは多くの方の人生を狂わせた。継承権の剥奪を迫り、職も......命さえも奪った。これ以上は、どうか何もなさるな」
イゾラ公爵は立ち上がり、レナートに深く一礼する。
「陛下。お時間をいただきありがとうございました」
「構わない。離宮からの脱走を許したのは王家の不手際だ――騎士、先王を丁重に白の塔までお連れしろ」
白の塔というのは、王宮の敷地のすぐ近くにある小さな塔だ。罪を犯したり精神を病んだ者が入れられる。イゾラ公爵は目を見開いたが、すぐに頷いた。
「レナート、許さぬ、許さぬぞ! 男のふりをした異形が! 子を作ることもできない無能が!」
最後に先代王の叫びが聞こえて、扉が閉ざされる。参列者の視線は自然とレナートに集まっていた。レナートは視線を物ともせずに微笑む。
「――さて、とんだ闖入者に皆も驚いただろう。しかし、宴はまだ続く」
「っ......どうか、皆この宴を楽しみ、我ら夫婦を祝福していただきたい!」
イゾラ公爵がうまく後を引き継いだ。ジュリアマリアが楽団に合図し、ぎこちないながらも宴が再開される。フェデリカは段を一段登り、怪訝そうな顔をしたレナートに手を差し伸べた。
「――レナート。わたくしと踊っていただけますか?」
レナートは目を見開き、次いで微笑んで掌を重ねた。




