第9話 彼女の意思よ
「ふぅ、ミラクルの影響だね」
ピエレッタクノイチことゾフィーは周りを見渡した。本来カレンとマリア、エリザベスも一緒に落ちたはずだが、いるのは自分ひとりだけだ。周りはコンクリート造りの古びた地下室で埃とカビの匂いが充満しており、周りは暗闇で自分の指も見えないほどだ。だがゾフィーの付けたマスクは赤外線センサーがあり、はっきりと見える。一体何に使っていたのだろうか。金持ちのやることは常人の予想などはるかに超えるものだと、ゾフィーは思った。
「ふむ、戦力の分断というより、私も試練に組み込まれたようね」
ゾフィーは冷静に分析していた。試練の主役はカレン・ミヨシだが自分一人だけでなく、周囲の仲間も同類と思われたのだろう。
すると床にひびが入った。そして床から何かが飛び出した。それは巨大なモグラだ。モグラのミラクルだ。ゾフィーに襲い掛かってくる。
ゾフィーは八方から攻めてくるミラクルたちに物おじせず、天井ぎりぎりまでジャンプした。ミラクルたちは衝突してしまう。
だが今度は天井から何かが飛び出した。今度はネズミのミラクルだ。空中で逃げ場のないゾフィーを食い殺そうとしている。だが彼女は体を回転させ、ミラクルの顔に蹴りを入れた。そしてモグラのミラクルの頭を踏みつけて、飛び移っていった。
ミラクルは人間の体に憑依する存在だが、動物の霊が乗り移ることがある。こちらはミラクルフェイクと呼ばれていた。
ゾフィーがかつて自分の犯行を手伝わせていたのは、人間の霊が乗り移ったもの、ミラクルナチュラルと呼ばれている。ゾフィーは大学在学中にすべてを調べ上げていた。もちろん亡き父親の書庫からミラクル関係の書物を読み、祖父のデゼラスからも話を聞いていた。
フェイクたちは獣だ。ナチュラルの命令で特定の人間を殺せと命じれば従うが、所詮は畜生なので本能の赴くままに行動する。
ゾフィーはぴちぴちした生餌のようなものだ。彼女の白い体を無残に食いちぎり、骨をしゃぶるどころか喰らいつくそうとしていた。
しかし彼女にとってフェイクは敵ではなかった。家庭農園を荒らす害獣以上の存在でしかない。女なら虫を見ただけでも悲鳴を上げるだろうが、ゾフィーには無縁である。
ゾフィーは両手に銀のメリケンサックと銀の靴を履いている。ミラクルには十分通じる装備だ。もちろん彼女ほどの力量がなければ宝の持ち腐れである。
ゾフィーはミラクルの頭を蹴ると、バチバチと火花をあげて倒れていった。暗闇でもゾフィーは真昼のような感覚で走っていく。地下の冷たい空気と体を押しつぶされる雰囲気の中、ゾフィーは進んでいった。
この手の敵は敵の数が少ないところにボスが待ち構えているものだ。人間は大勢に追い詰められれば、人の少ない方へ逃げるものである。そして逃げた先にわなを仕掛ければ完璧だ。
彼女にとって罠と分かっていても、敵がわざわざ待っていてくれるから問題はないと思っている。
案の定、ゾフィーは開けた場所にたどり着いた。ミラクルたちは追ってこない。見た感じは劇場に見えた。観客席にステージという異質な空間だ。ここで著名なアーティストを呼んでコンサートでも開いたのかもしれない。
ステージの上に銀色の人間が縛られていた。体つきは女性で、つるんとした銀の仮面を被っている。アイスクノイチだ。確か名前はアーミア・ブラウンと言うアフリカ系アメリカ人だとゾフィーは思い出した。
「あらこんなところで拘束プレイ? ゲテモノポルノしか相手にしないわよ?」
「ゲテモノで結構、襲ってくるぞ!!」
ゾフィーがからかうように言うと、アーミアは叫んだ。
ゾフィーの背後に一人の女が襲い掛かる。頭は禿げ上がっており、口にマスクをつけ、胸元はビスチェを、だぼだぼのズボンを履いていた。ミストロックだ。
「ゆーくままでぃちゃびたん。わんがミストロックやいびーん(よくここまで来ました。私はミストロックです。)」
「初みてぃやーさい。わんねーピエレッタクノイチやいびーん(初めまして、私はピエレッタクノイチと申します)」
ミストロックが自己紹介すると、ゾフィーは彼女の言葉で返した。
「……まさかドイツ人が私の国の言葉を使うとは」
「私はドイツ語だけじゃなく、英語や日本語、なんでも話せるわよ」
ここからは二人ともアフリカーンス語を話しています。
ミストロックはナミビアを口にしていた。かつてナミビアはドイツ領南西アフリカであった。1884年にブレーメン商人アドルフ・リューデリッツが土地購入を開始した。乾燥地帯で牧畜を中心とした入植が行われ、現地のヘレロやナマとの土地・水資源を巡る対立が激化したそうだ。
ミストロックがドイツ人であるゾフィーに嫌悪感を抱いていた。
「あんたはミラクルになって人殺しがしたいわけ? あんたを奴隷にした白人はもう死んでいるわよ?」
「そんな陳腐な感情ではない」
ゾフィーが挑発するようにしゃべるが、ミストロックは否定した。
「私は猿だった。狩りをしてセックスをして夜が来たら寝る。そんな毎日だった。白人たちに捕まり、狭い船の部屋に押し込められ、荒野を耕せと命じられた。あの日、私は自由を得た。獣のような生活はもうたくさんだ。ミラクルとなって新しい生を受けた時、私はミラクルのしもべとなったのだ」
その言葉を聞き、ゾフィーは納得した。資本主義というか、西欧諸国は高慢な性質が多い。アジアやアフリカでは自分たちを見本にしろと風習や制度を無理やり変えてきた。今の世界情勢は奴隷を否定するが、奴隷であることを望む人間もいる。自分で考えるより命令されたほうがいい人間もいるのだ。
ミストロックはアフリカで獣と同然の生活を送ってきた。だが黒人奴隷として連れてこられた彼女はアメリカの生活に溶け込んだ。雨風を凌げる家に住めて上質な服も着れる。さらに狩りをしなくても安定して肉や野菜が手に入るのだ。彼女にとってアメリカは天国に見えるのだろう。そしてミラクルとして復活したのは、再び奴隷になれる幸福に満たされているのだ。
「なるほど、それもありね。悪いけどそこの女はどうでもいいけど、私の可愛いペットが所望なのよね」
「カレンはお前のペットじゃないぞ」
ゾフィーの言葉にアーミアが突っ込むが無視した。
「行きますよ!!」
ミストロックは体に力を入れた。すると露出した肌から霧が噴出した。マイナス百度の霧だ。暗闇に加えて霧が発生している。とてもじゃないがまともに身動きが取れない。
だがゾフィーは構わず、ミストロックに蹴りかかる。彼女のスーツは特殊な油が塗られており、北極でも普通に動けるのだ。
ミストロックはまったく慌てていない。柔軟性が高いのだ。自分の思い通りになると思っていない。常に異常事態を想定して動いているのだ。
彼女は蹴りを放つ。まるで鉈を振り回されたような切れ味だ。ゾフィーも蹴りを使うが、こちらは身体が軽いため、ミストロックの分厚い筋肉に通用しない。
しかしゾフィーの身体が鈍っていく。身体は凍らないが、寒くならないわけではない。
ミストロックの蹴りがゾフィーの腹に決まる。彼女のか細い身体が吹き飛ばされた。自動車に衝突したような感じだ。
床に倒れてげほげほとせきこむ。さらにミストロックは追い打ちをかける。彼女の仮面を踏みつけてきた。頭に衝撃が走る。まるで獣だ。ミストロックはひたすら彼女を殺そうとしている。
だが仮面の下でゾフィーの顔は笑顔を浮かべていた。ひたすら追い詰められることに快楽を得るのだ。カレンほどではないがゾフィーもマゾヒストである。有名人を殺害する際も、遠隔操作で安全な場所にいると見せかけて、実際は犯行を目の前で目撃するのが好きだった。
それ故に危機的状況を楽しむのが好きなのだ。
ゾフィーは体を回転させ、ミストロックの足を掴む。足の関節を折り、ミストロックの首の骨を折った。
「みぐとぅやいびーん(見事です)」
そう言ってミストロックの体は爆発した。
「やるな」
アーミアが自由になった。最初から囚われたふりをしてここに来たようだ。
「なんであんたがやらないのよ。私の体はカレンのものなのに」
「お前のものじゃないぞ。自由になったのはたった今だ」
ゾフィーは不機嫌だが、アーミアは冷静に突っ込んだ。
「……ミラクルがアメリカに対して悪意をむき出しにするなら簡単だが、そうはいかないか」
「先住民虐殺の末に生まれたけど、白人の真似はしたくない気持ちがFMを生んだのよ」
「ツートンカラーの思考に染まらずに済んだのが幸いだな」
アーミアの言葉にゾフィーが返答した。二人の会話は理解できている。アーミアもアフリカーンス語は得意だ。アフリカ系アメリカ人は白人に差別された歴史がある。ミストロックのような考えはあり得ると思った。エデンの園で生まれたアダムとイブは知恵の実で知恵をつけて羞恥心を覚えた。何も考えずに獣のように暮らすのが幸せなのかは疑問だ。アーミアは今の生活が気に入っているからだ。
☆
「カレン!! あなたは私が殺さなくちゃいけないの!!」
囚われたスパイダークノイチこと、アンジェリーナ・ハサウェイは、助けに来たカレンに襲い掛かる。
隣にはストームクノイチことエリザベス・バーベラが助勢しようとしたが、金髪のツインテールの妙齢の女に邪魔された。ぴっちりしたレザースーツに蜘蛛の巣をあしらったデザインが煽情的だった。目はサングラスで隠れており、見えない。
「私はシルクリーパー。邪魔はさせないよ」
「ミラクルね!! 彼女を洗脳するなんて許さないわ!!」
エリザベスは激怒した。カレンとアンジーは互いに争っている。カレンは日本刀を武器にしているが、アンジーは手袋から特殊な糸を出しているのだ。糸は防御になり、日本刀を受けきっている。
エリザベスは鎖鎌を振り回し、シルクリーパーの腕に鎖を絡ませた。
「あれは彼女の意思よ。私の話を聞けば納得できますわよ」
シルクリーパーが微笑んだ。どことなくアンジーに似ているとエリザベスは思った。




