ケモノアンプロンプテュ
それはとても奇妙な感情だった。何故そう思ったのかは判らないが、どうしても理屈で説明できない、判然としないもやが体に巣くうような感覚。
えいねるはそれを説明できない。けれど元々そんなものなのだろう。
だって奇妙なのだから。
「ふわー」
彼はまずあくびをした。そしてその後しゃべり出す。
「では、改めて自己紹介だーね。僕は三年二組、国語係で空手部の副部長やってて今は生徒会長。うん、肩書きはこんな感じーで、その正体は猫熊の変化と人間のハーフのパンダ人間、善通寺吉宗、よろしくーね」
そう言って頭をぺこりと下げる。つられて自分も頭を下げてしまう。
パンダのことを猫熊と書く。えいねるもそれくらいは知っていたが、パンダ人間という単語は生まれて初めて聞く言葉であった。
昼休み、坤高校屋上。
変わり者の多いことで有名で、しかも屋上が開放されているという物語が展開するのに最適当でありながら、人が全くやってこない少し奇妙な場所。本来なら最も多くのエピソードが生まれるはずの舞台に、今は二人の男女がいるだけである。
つまり思い切り特殊な状況下にいるということを証明しながら、頼島えいねるは彼と相対していた。
えいねるは彼をしつこくない程度に観察する。自分とそんなに身長が違わないのに肩幅の異様な広さから威圧感のある体躯。学ランの上に白いコートを羽織り(校則に違反しないのか?)青白いとでもいえるような透き通った肌。その目の周りは睡眠不足で真っ黒になっている。誰が言いだしたのか、愛称はパンダ。そして惚けた表情、おそらく意識が朦朧として、半分寝ているのではないだろうか。無造作に伸びたぼさぼさの髪に耳が完全に隠れて、けれど頭の上には何も見えないので、ちゃんと顔の横に外耳があるのであろう。その精悍な名前に少し不健康な肉体。
生徒会長、善通寺吉宗。彼の外見はそんなものである。
吉宗は自己紹介の後、押し黙る。なんとなく苦手な間。やはり自分が何かを言う番なのだろうか。そう考え、彼女は一度名乗っているがもう一度名乗り返す。
「え、と。私、三年六組、放送委員で部活は入ってなくて、今もなんにも。それで、お父さんとお母さんが妖怪の、頼島えいねる、です」
「昨日聞いたーよ」
そうかい。
「ふぐう」
マイペースな彼と向かい合い、えいねるはため息をついた。
昨日、屋上に現れたパンダに出会い、そしてその正体である善通寺生徒会長と公衆の面前で会話をしてしまった。あの時は一方的に彼が喋ってそのまま生徒会取り巻きを引き連れて去っていったが、おかげで今日登校している道すがら、午前中の授業の合間、あの会長と会話をした女として学校中の視線を集めていた。
彼がただの生徒会長ならそれほどの噂にも鳴らなかっただろう。しかし善通寺吉宗に限っては、ただということがない。一年時から学年トップの成績、空手では全国大会に出場し、校則違反のはずの白いコートを着ていても何かに化かされているかのように誰も何も言わない。一日中激務に追われ授業中以外に座っていることがない、奇人窟の坤でなお最先端の奇妙。普通を愛する頼島えいねるを鏡に併せた真逆にいる男。そして、たった一つ本性を隠しているという共通点。
そんな彼から突然誰も予想しない相手に声をかけたという事実は、つまりもの凄く普通の事態ではなく、えいねるの最も苦手とするものだった。
一日中とぎれることのない特異な物を見る視線。。同級生の視線。窓の外から除く下級生。何より担任の先生までもの珍しそうな目で見ている。(さすがに被害妄想ではあるが彼女はそう確信している)
友人達は何故自分があの生徒会長と知り合いなのかを興味津々に訊ねてきたが答えようがない。まさか会長はパンダ人間で屋上で背中を掻いているのをばったり目撃しましたなんて言えない。
そんなわけでため息をついていた彼女の昼休み。吉宗は現れた。
「こんにちは、頼島さーん」
その声に反射的に首が回転した。
「か、会長」
えいねるの所属する三年六組教室の入り口に、皆の視線を集めて、白いコートを着た寝不足げな男が立っている。教室中の視線がそこに集まり、そして事情を知る二割ほどがえいねるに向かう。
みんなの教室が、一瞬でえいねると吉宗の舞台へと変わり
何の前触れもなく歩き始める吉宗。
何の関係もなく立ち退く進行方向上の皆様。
そしてその先にあるのは、頼島えいねるの座席。
彼女の前に、吉宗は立ち止まる。
緊張。
そして彼はおもむろに
「頼島さん、お話がしたいから、ちょっと来て欲しいんだーよ」
ざわめきの起きる暇もなく、吉宗はその場を去った。
後に残されたえいねるに総ての視線が戻る前に、彼女も逃げ出すように教室を後にする。ああ、なんでこんなに私の人生は変な方向に曲がってゆくのだろうか。昨日までの現実に逃避したかった。
そうして現在。
屋上。
「え、と。会長?」
「僕のことは名前でいいんだーよ」
「じゃ、じゃあ、善通寺、さん?」
「なーに?」
「あの、お話ってなんですか?」
どうも丁寧口調になる。同級生の男子生徒にさんづけもないだろうが、目の前で見ても正体不明なものに対していきなり気を許せるほどえいねるは心が広くない。今だって何故彼が自分を呼ぶのかまったか見当がつかない。
彼に自分と関わるべきところが思いつけない。
しかし彼は、まるでそんなことを聞かれるとは少しも思っていなかったように
「え?」
首を傾げる。
「別に。ただおんなじ妖怪どーし仲良くしたいなと思っただけだーよ?」
何故そんなことを聞くのか、と言わんばかりの言い草。しかし、えいねるは、自身を過小評価しているえいねるは、たかが同じ本性を隠しているくらいで、彼が自分と関わろうとすることが解らない。
えいねるは普通を望んでいる。それはなんのとりえもない宙ぶらりんな自分が、人生に非凡や特別を望んではいけないことだと思っているからでもある。平凡な自分に、誰からも褒められる生徒会長のような人間が、何故友達になりたいのかが本当に解らない。
「だって、会長みたいな人が、たかが同じ妖怪だってだけで、どうして私に声をかけたりするんですか?」
それこそがえいねるの疑問。
「私と知り合って、何かいいことあるんですか?」
つまり彼女は十分自分が不思議な人間であることに気付いていないのだった。
「私と知り合ってどうする気なんですか?」
「うーん」
吉宗は二秒ほどうなった後。
「頼島さんは損得で友達作るーの?」
そのあまりに直接的で、そのままで、まさにその通りの質問に、えいねるは言葉に詰まった。
あれ? 自分は何を言っているのだろう。
何かおかしなことを聞いているのではないか?彼は、別に自分に何かを求めているわけではない。ただ、話がしたいだけという、至極尤もな、普通のことを言っているだけではないのか?それならば自分こそが、おかしなことを聞いているのではないのか?
言うことが無くなったえいねると、何かを言うのを待っている吉宗。
どちらともなく沈黙がおり、青い空とコンクリートの床の間から、音が消えた。
正座し、こちらを覗きこむ男。戸惑う女。
それほど、時間は経たなかったと思う。
階段を上る足音が聞こえた。その足取りはまるで苛立ちをこめたような力強さで確実に一段一段踏みしめていた。彼と彼女が振り返る時にはもうその人物は屋上へとたどり着き、踊り場のドアを開けた後だった。
縁のない眼鏡をかけたお下げ髪の少女。その小柄な体格と制服に付いた名札から一年生と判る。特徴的なその鋭いつり上がった眼。視線。そして何より、何故か左手にのみ黒いのフィンガレスグローブをはめている。そして何もつけていない白みがかった右の手には、なにやら書類の束とノートパソコン。
彼女は、少し鋭いその目線でまず吉宗、次にえいねる、そしてまた吉宗へと移し替え、静かに吠えた。
「会長、探しましたよ」
そしてまた、目の前の会長のようにこちらの許可なんかお構いなしにかつかつと歩み寄る。抗う暇もなく吉宗の二の腕をその黒手で掴み、無理矢理立ち上がらせる。
「さあ、戻って仕事の続きです。昼休みが終わるまでに三つの議案を採決していただかねばなりません」
すると、吉宗の顔に、それまでと少し違った、「苦手だな」といった表情が見える。もちろん本当に嫌と言うより、「かなわないな」という意味での苦笑で。そしてせかされるようにして立ち上がり生徒会室に連行される吉宗は、ただぽかんとしているえいねるを一瞥し、
「それじゃーあ、頼島さん、また今度お会いしましょーお、何か用事があったら僕のこと呼んでーね」
そして振り返ることなく、コートを翻らせて颯爽と消えていった。
見送るえいねる。
固まるえいねる。
……彼女が我に返り次の行動に出ようとしたとき、
「ちょっと、あなた」
いた。
吉宗を連れ戻しに来た彼女、そう、彼女は、会長についていかずまだえいねるを見下ろしていた。
「はい」
つい、返事。
すると彼女は、その、鋭い目線を、冷たい目線に変える。
なんだろう。
えいねるはその目線に恐怖を感じた。まるで、チーターかヒョウに睨まれた草食動物の気分だ。
そんなことを考えているとは露知らず、彼女は、さらりとこんなことを聞いてきた。
「あなた、会長の何?」
「何って……」
それはこちらが聞きたい。
「普段なら執務をこなしている時間帯に生徒会室を抜け出して何をしているのかと思えば、特に何の取り柄もないただの一般生徒に会いに行っている。何故なの?」
だからそれはこちらが聞きたい。
「まさか会長に恋人が? と思ったけれど、とてもそんな魅力は感じないし」
なんだかさらりと非道いことを言っている。もう少し礼節はわきまえましょう。いや、それより
「あ、あの」
勇気を持って質問。
「何でしょう?」
「あなた、誰ですか?」
すると呆れたような顔をされた。
「あなた、昨日会った人間の顔も覚えていないのですか?」
呆れるというより、もう、すでにそれは見下していると言っていい。
それでも親切に、彼女は自己紹介する。
「生徒会副会長 島田燕です」
「あ」
思い出した。というか、知っている。
一年生でありながら生徒会副会長に就くその手腕と中学空手部時代、コンクリートに正拳で穴を開けたという伝説から付いた二つ名が『やり手』。
右の遣り手と左の槍手 島田燕。
「思い出せました?」
昨日、吉宗に会った時に後ろに彼女が控えていた。しかしこんなに目つき怖かっただろうか。
「頼島えいねる先輩ですね?」
「え? あ、はい。そう、ですけど」
やっぱり一年生にも敬語で喋ってしまう。これからはもうちょっと気を強く持とう。すると燕の視線がえいねるの体を撫で回すように、見る。その隠すことのない値踏みするような見られ方はとても嫌だったが、悲しいかな何も言い返せない。
「ふむ」
何かを勝手に頷く。
「まあいいわ」
何が良いのか、そして燕は後ろを向く。もう、えいねるを視界に入れる必要はない。その動作はそう感じた。
「じゃあ、忠告しておきます。あなたがどう思っているのかは知らないけれど、これ以上会長に近づくのはやめてください」
はい?
「え、そんな私は」
近づいていない。近づいてきたのは、むしろ彼の方だ。
だがどうしても、それを言うのは気が引ける。その沈黙をどう受け取ったのか燕は続ける。
「何が狙いか知りませんが会長のことを嗅ぎ回るのは控えてください」
甚だ誤解だ。
けれど……けれど。今思うのは、彼女が、燕が今自分に言っていることは、自分が吉宗に言ったことと、何か、似ていないだろか?
「あの、もしかして会長の、その秘密って言うか、そういうの知ってるんですか?」
うっかり訊いてしまった。
「はい」
すがすがしいほどに即答だった。
「会長は、あなた達と違って普通じゃないの」
そして島田燕は去っていった。
気がつけば、放課後。
青い空は徐々にその色彩を変化させている時。夕刻。
えいねるは生まれて初めて授業をさぼった。
何故か動くことが出来なかった。考えることも出来なかった。
ぼうっとしていたのでもない。まるで、自分の時間だけが停まったように、スイッチを切られていたかのように、我に返れば夕刻が迫っていた。
普通じゃないと言い切った燕。その普通じゃない人間(人間ではないのだが)に仕える(その表現がぴったりだった)彼女は、どうなのだろう?
えいねるはその手に握る一枚の紙切れを覗き込む。
それはなにやらの会議の資料のようである。
先ほど目の前に落ちているのに気付き、拾い上げる。
誰の?それを考えたとき、一人の彼女の姿が浮かんできた。
片手一杯に紙の束を抱えたこの学校の副会長。
落とし物。
無論、届けた方がいいのだろう。けれど、ぶっちゃけ彼女に会うのはいやだった。
別に燕のことが嫌いなのではない。むしろ普通扱いしてくれたことが嬉しいくらいだ。そして、そういうこととは別に、えいねるは彼女に恐怖を感じていたのだ。
それが一体いかなる感情なのか、えいねるにはどうしてもわからない。理由が無く、ただ、えいねるは島田燕という存在に恐怖を抱く。
だから、生徒会室にそっとお邪魔して、そっと置いて気付かれない内に変えることにした。吉宗に会ってしまうのも、燕に遭ってしまうのも、どちらもまずい気がするし。
放課後、人気のなくなった校舎。おそらく叫び声をあげたところで何人に届くか?というような閑散をした気配。
学校第一棟の一階一番奥。そこに生徒会室はあった。妙にいい造りの戸がそびえ、ドアノブにてをかけるのも気が引けるがここで立ち尽くしているわけにもいかない。えいねるは右手を持ち上げた。
かちゃと音がして、戸は開いた。さすがに古めかしいぎい、などと言う音はしなかったがそれでも結構響く音である。どうか中にいる人が気付きませんように。
開いた隙間から中を覗き込む。
いない。
人がいなかった。どうやら皆出払っているらしい。これならさぼってでもいない限り生徒会役員には会うことはあるまい。(それにしても誰もいないのにかぎをかけないとは不用心だ)
抜き足差し足、生徒会長席めざし歩く。とっととこれを置いてさっさと帰ろう。それがいい。
そしていつも吉宗が座っているだろう光沢のあるよさげな机に近づき、そして何かが動くのを見た。
「!!!」
全身の毛が逆立つ気分。
「???」
な、何だ?
それは最初、書類の山のせいで見えなかった。しかし近づき見る角度を変えたことでその紙の束の合間を縫って机に突っ伏している
島田燕がいた。
正鵠を期すなら燕が机に突っ伏して、眠っていた。
寝息をたてて、本当に無防備に、何をしているのだろう?
ほんの少し考えればわかること。あれだけ大柄で丈夫そうな吉宗があれだけ眼の下にクマを作るような仕事に追われていて、こんな小柄な、しかも一年生が平気な顔をしていられるはずがない。おそらくは、あの見た目からしてのんびり屋の吉宗以上に神経をすり減らして、ただの性格がキツいお嬢さんでは出来ない執務を、普通なままではやりとおせない激務を、やり通しているのだろう。
あのどこか全てに対していらいらしているような態度も睡眠不足によるのかもしれない。
そう思うと、いつのまにか、彼女への恐怖がなりをひそめ、その、随分と穏やかそうな寝顔を覗き込んでいるえいねるがいた。
燕の顔をみやる。あれだけ鋭かった目も尖りを失い、あれだけいからせていた肩もしぼむ。反り返る背筋は、猫のように丸くその頭の上からはえる二つの耳はぺたんと降り、スカートの下から垂れたシッポも力無くだれ下がり……。
……ってょっと待った。今何かとても変なことを言わなかったか? 頭の上の耳?
シッポ? ちょっと待て。それがホモ・サピエンスの体のパーツか?
もう一度凝視。
しかし結果は最悪たるもの。それ以外にも口元には肉食動物特有の鋭く伸びた犬歯。そして、今やっと気付いたが、彼女の髪は、さきほどの黒髪はどこへやら、金色の、黒いブチの入った、豹柄に染まった髪まで発見した。
落ち着け、落ち着きなさいえいねる。彼女だってたまにはイメチェンするだけよ。頭の上に耳があったりシッポが生えてる人間だってこの広い世界にも……。いないよねえ。
見る。
やっぱりネコ耳(いやこの場合は豹耳か)はある。
なぜ?
触ってみた。柔らかい。それはぬいぐるみにみられる綿の肌触りではない。こりこりとした生物的な感触。これでカチューシャということはなくなった。マジで耳らしい。そこで、ふと燕の体つきに気が付く。
背は自分よりも小さいくらいだが、その手足はすらりと長い。
その姿は豹というよりも、そうチーターに近い。両種は同じネコ科ではあるし、なかなか区別うをつけることもないがチーター亜科とヒョウ亜科に別れるくらいなのでわかる人にはわかる。乾いた大地を猛スピードで駆け抜けるあれだ。
そんな知識を引き出していたが、それも中断される。
「何をしているの?」
燕が目を覚ました。
状況確認。
起きた燕。何故かいるえいねる。
人の耳を勝手に触っているえいねる。もろに見られてはいけないところを見られた燕。
……。うん。
ぴーんち
「貴様、見たな」
燕の眼が、金色に、ケモノの色に光っている。それは、もう全てが違っていた。昨日の吉宗を相手にしていた時の事務的な態度、自分を相手にしていたときの嫉妬、そんな生易しいものではない。
「生かしておけん」
「……」
『槍手』のグローブを『遣り手』で外す。
「殺す」
「うわあああああああん」
何故いきなり殺人宣告を受けているのだろう。そんなことを思っている暇はない。本気だこの人。慌てて逃げ出すが、まるでネコのように飛び上がった燕はえいねるの背中に飛びつく。
「きゃあ」
そして飛びついたと同時に、その爪をえいねるの背中につきたてた。
ザクリ
え? 今の、何の音?
えいねるはいつの間にか倒れていた。自分に乗りかかるように燕が、うつ伏せ故姿は確認できないがおそらく燕が、うつぶせに倒れている自分の背中を裂いていた。
その右手で、その前足で、背中を斬っていた。
「え? これどういうこと?」
仰向けに体を動かしながら、おもわず口に出し、思考が止まる。
そこには、人間はいなかった。
そこにいたのは、金色の毛並みに黒い模様の刻まれた、すらりとした獣影。
そこにいたのは、一匹のチーター。えいねるを襲う一匹の四足歩行肉食獣。
「え、と。あなた副会長?」
燕は答えた。
「そうだと言ったら?」
ああ、そういうことか。
えいねるは理解した。
何故彼女をこれほどまでに怖がっていたのか。
それは、自分の中に流れる馬か鹿の血が、本能的に嫌っていたのだろう。
それにしてもチーター女がこんなに凶暴だなんて、知らなかった。
さて、こういう時はどういう反応をすればいいのだろう……。うん。
「うわあああああん、やめて、やめてよおお」
ケモノの下で暴れる。自分程度の非力な体ではなんの意味も無いかもしれない。けれど、あきらめてされるがままなんて訳にもいかない。
なんとか、なんとか話だけでも。ケモノは、人間の声で応える。
「あなたは見てはいけないものを見た。死んでもらうしかないわね」
「わ、私何も見てないよお」
「ふん、じゃああなたの目の前にいる化け物は何? 今あなたを襲っている動物は? 島田燕はどこよ。わからないなんて言わないわよね?」
「言わない、誰にもいわないからああ」
「そんな言葉を信用できるほど私はお人好しではないの」
「私を信用してよお」
「これ以上の問答は止めましょう。話が噛み合わないから」
だからといっていきなり咬もうとするのはどうだろうか? しかしそんなことは没交渉に、ケモノはその顎を、開く。したたるよだれ。尖る牙。暗い暗い暗い喉の奥。
「うえええええん」
泣いてみた。
「大丈夫よ、楽に殺してあげるから」
「うええええええん」
もう一度、泣いた。
それを一喝するかのように吠えたケモノ。
目の前で獰猛に脅され、恐怖で身がすくむ。停止。
そして泣き声と抵抗が止まったところで、牙がゆっくりと、近づいてきた。
逃げる、逃げなくちゃ。どうにかして逃げなくちゃ。けれど、体を押さえつけられ、恐怖に身をすくませ、今のえいねるに出来ることは助けを呼ぶことくらい。
けれど、誰に?
大きく開かれた口の中が見える。肉色の生々しい赤。きっとこれからここを通って燕の胃の中に入ってしまうのか。
普通、などということを論じ、思考する暇もなくえいねるは死ぬこととなったはずだ。
けれど、彼女は思いだしていた。
こんな時に、思い出してしまった。
『何か用事があったら僕のこと呼んでーね』
だから、かすれた声で、呼んでしまう。
「助けて、善通寺さん」
別に本気だったわけではない。それでも呼ばずにはいられなかった。
そしてその声は聞こえた。
「はーいー」
いた。
生徒会室。女の子。チーター。そして、白いコートを着たパンダ。
頼島えいねる。島田燕。そして、善通寺吉宗。
奇妙な場面がそこにある。
そして、ここからはえいねるの許容範囲をさらに超える。
ケモノは、燕は何を思ったのか、自分に向けていたその視線を、牙を、吉宗に向けた。どこか血走った眼。我を忘れて飛びかかる。
来るのがわからなかったのか、パンダは動けなかった。
いや、違う。来るのがわかったから、吉宗は動かなかった。
ザク、と音がして、燕の剣歯を吉宗の二の腕が飲み込む。けれども、パンダは動じない。
そしてこの時、床に倒れていたえいねるは、最も最も恐怖した。
普通でなくなることを望まないえいねるは、自分が人間でないことも、目立つ真似をすることも、言いがかりを付けられることも、人間でないものに襲われることも皆怖かった。
けれど、自分の危機にやってきてくれたひとが、庇ってくれたひとが血を流すと言うことに比べれば、そんなものはなんでもない。そんな普通でないことをやってしまって、えいねるは、えいねるは……
「声がしたかーら慌てて来たんだけーど」
ピンチに突然現れる、そんなキャラでもないだろうに。
「駄目だーよ燕ちゃん、人咬んーじゃー」
噛み付かれて、血を流しても微笑んでいるようなことしなくてもいいだろうに。
「ふぐう」
えいねるは、そんな彼にドキドキしている自分を知った。
タイミングの良いのか悪いのかわからない即興曲が、夕暮れに鳴り響く。




