ケモノコンツェルト
頼島えいねるは高校生である。
つい昨日までは普通の高校生であった。
なら今はというと、実は正体が妖怪だったということを除けばやっぱりどこにでもいる十七歳の女の子だったりするのである。
頼島えいねるは妖怪の女の子である。
その時間、えいねるは通学途中だった。
登校風景である。
いつもなら誰か友達の一人や二人と談笑しながら目的の教室まで進むところなのだが、前日の夜に「お前は人間じゃない」などとカミングアウトされておいて朝から元気百倍モードでいられるほど、えいねるの基礎体力はなかった。
朝最悪の気分で目覚めると父と母はいちゃいちゃしていたし、妹のつむぎは何も聞かなかったように朝からひいきのアナウンサーのニュース番組を見ている。まるで何事も無かったかのような、空々しいまでの空間。しかし、そうでないことを知ってしまったえいねるには、余裕など無いし、なにより
えいねるは朝寝坊していた。
「ふぐう」
早歩きの通学途中、ため息をつく。
どうしてこうなったのだろう。えいねるは考える。つい昨日まで彼女の世界は平凡に満ちた素晴らしいものだった。どこにも特別なものや盛り上がる所なんて無い、当たり前の日常があったのだ。そう、今だって目の前には学校があって同級生達が昨日と同じように歩いていて日差しがまぶしい。自分の半径五メートルより外の世界は平和なのに。
たった一人自分だけがすべてから拒絶されている気がする。
駆け足で誰かが後ろから来る。
振り返りはしないが、足音と歩行間隔から推定、二人の女の子がこっちに来る。おそらく二年生だろう。多分。
自分の横を通り過ぎる。横目でちらり、一人はツインテールの可愛らしい子。もう一人の手を引っ張って無理矢理歩かせているらしい。寝癖がひどくどこか不思議な雰囲気が漂う相棒の女の子。こちらもかなり美人の類だ。例えば二人がスキンシップというには随分と密着しすぎているような気がしたとしても、今日からのえいねるには、とても平凡な二人だ。
えいねるは走り出した。中学時代『直流電流』などという自分には不似合いな通り名で親しまれた陸上部エースの健脚は未だ健在。短距離ならば現役にも負けない。
女の子走りなんて器用なまねはできず足を高々と上げ、腕を前後に振りながら、どんどんと加速していく。次から次に同じ寝坊組を追い抜いていき校門へと近づく。先ほどの二人組も追い抜き、自転車も追い抜き、どんどん近づいてゆく門に向かってラストスパート。
予鈴が鳴る。
そして鳴り終わる前に校門突破。頼島えいねるは無遅刻無欠席記録を更新することとなった。目指せ皆勤賞。
そして気が付く。
あれ? なんでこんなに速いんだろう。
そんな奇妙な疑問が頭に浮かぶ。
だって、こんなに足が速いわけがない。もう三年も運動なんてしていないし全力疾走なんて一年ぶりだ。いくら『直流電流』と呼ばれていた形跡があるとは言え、それは三年も前の話だ。成長期の三年は、かなり大きい。それなのになんで現陸上部部長の乗った自転車を追い抜くスピードで走っておいて、全く疲れていないのか?なんでこんなに呼吸が乱れていないのか?なんでこんなに普通じゃないのか?
ケモノの如きその走り方を、えいねるはどこか遠いことのように、漠然とした不安と判然としない感覚で捉えていた。
しかし奇妙と言うものはそんな分かり易く回答が出てくれるものではない。
突然、思いもしない時間に考えてもいない方向から現れるものだ。
だって、奇妙なのだから。
昼休み。えいねるはいつものように椅子に深く腰かけ、窓の外に見える風景を見ていた。
とても不思議な光景。
グラウンドでサッカーに励むバスケ部員。美術室で油絵を描いている筋肉質の男(美術教諭。)金髪にピアスの不良なんて呼ばれる男子生徒が子犬に餌をやっている。
自分よりも、数段まともで普通な人々。昨日までの自分だってその歯車の一部だったのだ。なのに、ほんの少しの出来事で、抜け落ちてしまった。
しかし、だからと言って何かがかわっているわけでもない。いつもどおり飯を平らげて授業を受けた。なのに、この不安は何なのだろう。一体、いつ自分に普通でないものは襲いかかろうというのだろう。
そうして転機を迎え落ち込むえいねるに声をかけた男がいた。
「頼島さん、どうなさいましたか?」
声の主をみやる。そこには、えいねるの良く知る人物、わかりやすくいうと友達が立っていた。とても大柄な、色黒で頑強な面相ををした彼。それに似合わぬ優しい表情と丁寧な口調。最悪な気分にいながらも彼の登場に心をなぐさめられる。無論、それは恋愛感情なんてものとは全く違うし、彼にはきちんとカノジョがいる。それとは全く違う、彼の人柄と笑顔が自分の心の底にたまる不安をすくい上げて取り除いてくれるような声質。えいねるはただ苦笑いして、
「え、うん。ちょっと色々あってね」
すると彼はただ一言。
「そうですか」
それっきり黙る。なんとなく、話したくないことだということを悟ってくれたのだろう。
そしてまた外を見やり、沈黙。
「頼島さん」
彼はまた声をかける。顔をあげて、目線があった彼がもう一度言うには
「気分が晴れないのでしたら散歩なんてどうでしょうか?今日はとてもいい天気ですし、屋上が開けていて誰もこないはずですからゆっくりと考えことが出来ますよ」
人生の達人は言うことが違う。
「まあ、たまには変なこともしてみるに限ります。地球は大して普通に回ってますから」
ということで、反対する理由もなく、えいねるは屋上に向かった。
何故かえいねるは走っている。
階段を上りながら、なんとなく、高校三年生になって初めて青春をしているような、おかしい気分になりながら、誰もいない屋上を目指しているえいねる。
少し気分が晴れてきた。彼のおかげだ。
一階踊り場から、屋上五階まで駆け上がる。
運動不足のえいねるは二段とばしで息が切れていたはずだが、もう今では五段とばしで駆け上がれる脚があるなっている。
確かに少しずつ、自分が変わっていくのを自覚した。
それはとても怖いことだろう。それまで信じていたものが全く無意味なもののように思えてくる。けれど、それでも認めるしかない。これからは、それが普通なのだから。 妖怪で女子高生。それが自分だと受け入れることを、頑張ってみよう。
頼島えいねるは、俗に言う大人への階段を駆け上っている。今屋上を目指して走っているように、イメージと違う自分を受け入れようとしている。俗に言う、新しい世界への扉を開こうとしているのかもしれない。今、屋上に着き、ドアノブに手をかけている。
深呼吸。
これを開けて、一面の青空を見たとき、何かが変わる気がした。
自分は生まれ変わる。
そんな青臭いことを考えている自身に苦笑しながら
そして握る力を強め、思い切り、ドアを開けた
そして目の前には青い空がいつものように横たわり
そしてパンダが座っていた。
…………。
…………。
…………。
戸を閉める。
戸を閉めた。
落ち着け、落ち着きなさいえいねる。なんで学校の屋上にパンダがいる?
見間違いだ。きっと見間違いだ。そりゃあ、私のお父さんは馬だしお母さんは鹿だ。私はウマシカかもしれない。けれど、さっきのパンダは服を着ていなかったじゃない。日本語をしゃべらなかったじゃない。パンダ人間なんて、まさかいるはず無いじゃない。
そう、地球はいつも通りに回っているのよ。
…………。
…………。
…………。
戸を開ける。
戸を開けた。
パンダがこっちを見ていた。
世界は広い。
硬直。
どうやら向こうもびっくりしているらしい。そりゃあこんなところにくる変わり者はそういない。そんな彼の第一声は
「見られちゃったんだーよ」
語尾が間延びしていた。日本語を喋られてしまう。
「ごめんなさい」
思わず謝る。
「別に気にすることないんだーね、見られて減るもんじゃなーいし」
妙な喋り方だ。どこの地方の方ですか、と訊ねたいところだが、聞くべきことはもっとある。
「あの、なんでパンダさんがこんなところにいるんですか?」
確かにパンダだ。白と黒の毛並みの猫熊と書いてパンダ。現在は希少種となってしまい、しかも日本語を喋るパンダとなれば珍しすぎて初めて見る。
するとパンダは前足を顔の前に持ってきてちゃうちゃうというように振る。
「僕はここの生徒だーね、多分知ってるはずだーよ」
知らない。普通に知らない。こんな目立つものがいたらそれだけで目立つだろう。第一人間でないのに高校入学だなんて暴挙を教育委員会が認めるはず無い(この際自分のことは棚にあげておく)
するとパンダは首を傾げる。あ、ちょっと可愛いかも。
「僕はパンダ獣人種なんだーよ。普段は人間モードで暮らしてるわけなんだーよ」
停止。
え、とこういう時はどう反応するんだったかな、……うん。
驚愕。
「え?あなたも!」
本当に驚く。昨日カミングアウトされたばかりなのに、いきなり別の獣人にエンカウントである。ちょっと展開が速すぎる気もするがこの際それは忘れておく。
「ん? すると君もパンダなーの?」
語尾が変だが、一応疑問文なのだろう。
「違うよ、私は。その」
さて、なんと言おう。
「馬と、鹿の子だよ」
「ふーん」
パンダは納得してくれたらしい。
「ではウマシカ女さん、お名前聞いてもいいよーね」
多分これも疑問文なのだろう
「え、と。私は、頼島えいねる……だけど」
しかし今の御時瀬見知らぬ人に自分の情報を教えるのは危なくないだろうか?
「じゃー、頼島さん」
「はい」
パンダは背中を向けた。
「はい?」
「お願いがあるんだーよ」
そうしてその前足を背中に持ってゆく。爪の先で、背中のある部分を指している。
「ここ、ここら辺を掻いて欲しいんだーよ、僕は体が硬いかーら、届かないんだーよ」
どうしたものか。
しかし一生懸命届かない背中に手を伸ばしているパンダも不憫ではある。
近づく。
で、しゃがみ、パンダの背中に爪を立ててみた。
「え、と。こうですか?」
「あー、あー」
どうなのだろう?
「いー感じだーよ、とっても気持ちいーよ」
喜んでいるらしい。
「あとで頼島さんにお礼しなくーちゃ」
「結構です」
即答しておいた。
しかし本当。自分は何をやっているのだろう。
えいねるは呆れてしまう。考えことをしようとやってきた屋上には先客がいて自己紹介をしても相手は無視して背中を掻くよう頼んで、掻いてあげる。何をやっているのだろう?
こんな所を誰かに見られたらとてもじゃないが……
ふと振り返る。
後ろを向く。
いた。
それは朝出会ったツインテールの女の子と寝癖のひどい女の子。なんでそんなに仲よさそうにしてらっしゃるの。
ドアノブに手をかけたままの所を見ると自分と同じように戸を開いた次に見た映像に戸惑っているらしい。そりゃそうだ。学校の屋上で一番最初に見えるのがパンダの背中を掻いている女子高生だったりしたら。
二人は無言で戸を閉め、すごい音をたてながら階段を下りていった。
え、と。こういう時はどういう反応をするんだったかな? ……、うん。
「うわああああああああん」
最悪だった。
放課後。
すごく落ち込んだ気分で教室にいるえいねる。もう授業は終わり教室に残る生徒はほとんどいない。まだこの時期では居残り勉強をするような生徒は坤高校にはいない。
「ふぐう」
ため息。
「ふぐうう」
それもかなり深刻な。
もう、何も言えない。
何も考えられない。
まだ二十四時間も経っていないのに、変な世界にいよいよ両足を突っ込んでしまった。とんでもないところを見られた。きっと明日にはものすごく噂が立つぞ。三年の頼島えいねるは屋上でパンダを飼っている、とか。
机に突っ伏す。元々えいねるは困難に立ち向かうバイタリティなんて持ち合わせてはいない。五時間目と六時間目と補習を受けきったのは奇跡に近い。
立ち直るには時間がいる。とてもいる。
帰ろう。
席を立ったのは良いけれども、帰ったら帰ったで今日は食事当番だ。なんだかどっと疲れが出てきた。
とりあえずは現実逃避。もう今日は晩ご飯の献立以外は何も考えないようにしよう。
そして廊下を歩き出すえいねる。
もう、あんなパンダのことは忘れよう。
そう心に決め帰路への第一歩を踏み出したえいねるの視界に何かが入る。前方から大勢の人間が来るのが見えた。
廊下を歩いていた生徒達が次々に壁によりそのグループに道を譲り、廊下の真ん中を彼らは悠々と歩いている。総勢で二十人ほどだろうか? 何か資料のようなものに目を通しながらずらずらと歩いてくる。どこぞの院長総回診でもしているのかというような集団も、この学校ではそんなに珍しくない。
生徒会の権限が強い坤高校では生徒会長もそれなりにハードスケジュールだそうで会長は分単位で朝早くから夜遅くまで動いている。それでも時間は足りず移動時間も惜しんで秘書のように副会長が寄り添い、その後ろに生徒会役員が何人も付き人として追従している。
噂では聞いていたがここまで大勢の人間を引き連れる会長とは一体どんな人間なのだろう。
壁に寄りながら、注目。会議行列の先頭。副会長の燕さんとやりとりをしている彼が生徒会長なのだろう。こんなに近い距離で見るのは初めてだ。
なるほど、噂通りに肩幅が極端に広く制服の上に校内でも白いコートを着て、睡眠不足故に目の周りが真っ黒。確かに言われているようにパンダみたいだ。
……。いや、私今なんて言った?
すると、生徒会長はえいねるの目の前で止まり、彼女のほうを振り向く。行進が中断され、廊下に静けさが戻る。
「善通寺会長、どうされました?」
副会長は会長の顔を見た後、えいねるの方を向く。後ろの取り巻き連中、さらにその廊下中にいた生徒全員がその行軍停止に視線を集中させる。
背が高いわけでもないが、パースが狂ったように広い肩幅のせいで巨大に見える。目の周りが真っ黒で肌は着ているコートのように白かった。
そしてこの階で今最も目立っているえいねるに、生徒会長はこういった。
「自己紹介がまだだったーね。善通寺吉宗、やっぱり僕のこと知ってるんだーよ」
凹んだ。
こうして頼島えいねるの妖怪ライフは、不運と衝撃の協奏曲が終わることなく夕方の学校に響いていた。




