【第117話 白翼の迎撃】
誘導灯は、迷いなく点いた。
床に引かれた光の線が、
曲がり角の先へ、先へと伸びていく。
急げ。
迷うな。
――遅れるな。
セラの導きは、温度のない手で背中を押していた。
◇ ◇ ◇
通路の白が変わっていく。
消毒の白。
薬品の白。
冷却の白。
そして――
“祈り”の白。
救済を名乗る白だ。
白いほど、汚れは目立つ。
白いほど、罪は隠れない。
隠れないくせに、隠す。
それが教団の白だ。
◇ ◇ ◇
白い扉。
他の区画と材質が違う。
厚い。
冷たい。
逃がさない白。
監視眼が一基。
映ったはずだ。
だが警報は鳴らない。
赤灯も回らない。
扉の解錠音だけが、静かに鳴った。
――カチ。
内側から。
◇ ◇ ◇
ルコールは深く息を吸わない。
吸えば匂いが肺に刺さる。
刺されば思い出す。
思い出せば足が止まる。
だから呼吸を浅くして、扉を押した。
◇ ◇ ◇
白い光が視界を満たした。
照明が白いのではない。
壁が白い。
床が白い。
器具が白い。
汚れを隠す白。
それでも匂いだけは隠せない。
薬品の奥に、腐った甘さ。
生き物を煮詰めた匂い。
ドクターの部屋だ。
――だが、もう“人の気配”はない。
鍵は死んだ。
情けだけが残った。
◇ ◇ ◇
中央に拘束台がある。
だが“拘束”は意味を失っていた。
鎖は裂け、
金具はねじ曲がり、
台の縁が溶けている。
力で壊した跡。
――彼女が。
◇ ◇ ◇
白い翼が、すでに開いていた。
折り畳まれていない。
逃がす気がない形だ。
羽ばたきは静かだ。
だが圧は重い。
肺が押し潰される。
呼吸が浅くなる。
空間そのものが、こちらを拒む。
◇ ◇ ◇
そこに立っていたのは、セナだった。
“形”だけは。
髪は白い。
栗色はもう残っていない。
白は綺麗すぎて、
逆に残酷だった。
彼女の色が奪われた証。
彼女の人間が削られた証。
それでも顔はセナのままだ。
迎えられる形。
見られる姿。
救いの形をした檻。
◇ ◇ ◇
瞳は白金。
淡い水色ではない。
その奥に冷たい光がいる。
光が“人”を押しのけ、
表に出ている。
――そこにセナがいるはずなのに、
そこにいるのは、セナを使う意志だった。
◇ ◇ ◇
白金の光が収束する。
空気が一段冷える。
次の一撃は逸れない。
制御が整っていく。
兵器として完成していく。
“抗う意識”が薄いほど、
攻撃は正確になる。
その事実が、何より残酷だった。
◇ ◇ ◇
白い翼が裂く。
音が遅れて来る。
床が溶けた。
爆発ではない。
破壊でもない。
融解。
世界が形を保てなくなる種類の攻撃。
◇ ◇ ◇
ルコールは、退かない。
退ける。
逃げられる。
だが、退かない。
ここで退けば、
この距離が二度と手に入らないと知っている。
空母の中は都市だ。
都市は一度迷えば、戻れない。
そして――
今のセナは、追ってくる。
退いた先で、もっと殺せる形になる。
だから、退かない。
ここで“対峙し続ける”。
◇ ◇ ◇
ルコールは《レゾナンス》へ手を伸ばした。
抜く。
金属音は小さい。
だが、その瞬間。
レゾナンスの刃が、淡い金色に脈打った。
粒子のような金光が、刃の縁から静かに舞う。
理由は分からない。
だが確かに――この艦の白の中で、
その金は“反応”している。
まるで、どこかにある光と共鳴するみたいに。
◇ ◇ ◇
白金の一撃が来る。
避けない。
斬らない。
――いなす。
レゾナンスの刃を、紙一重で差し込む。
衝突は爆発ではなく、溶解の圧だ。
刃の縁で、白金が“流れる”。
融解が、刃に吸われるように向きを変える。
床を溶かすはずの光が、
壁へ逸れ、天井へ逸れ、器具へ逸れる。
破片が落ちる。
白い床が飴のように歪む。
だが、ルコールの足場だけは残る。
◇ ◇ ◇
次。
間がない。
セナは躊躇しない。
兵器の“正確さ”が、呼吸の間を許さない。
ルコールは呼吸を削る。
呼吸を減らし、
動きを減らし、
判断を増やす。
狩りの速度。
一定。
一定の中で、
刃だけを動かす。
◇ ◇ ◇
白金が、二条。
角度が違う。
逃げ道を削る角度。
戦争屋の匂いがする。
戦場を設計する匂い。
ここにクロウがいなくても、
クロウの“戦争”は置かれている。
◇ ◇ ◇
ルコールは、いなす。
一本目を刃で受け流し、
二本目を外套の翻りで“切る”。
クロスシェードが焦げる。
熱が走る。
皮膚が裂け、血が滲む。
痛みは慣れている。
痛みは集中を助ける。
だが、胸の奥の痛みは慣れていない。
――セナの顔が、セナのままであることが痛い。
◇ ◇ ◇
白い翼が一度だけ震える。
距離が消える。
踏み込みではない。
空間が折れる。
圧が来る。
視界が歪む。
足元の白が遠のく。
落下感。
ここは室内なのに、
落ちているように感じる。
圧の支配。
空気の支配。
それだけで人は崩れる。
◇ ◇ ◇
ルコールは崩れない。
崩れないための筋肉ではない。
崩れても戻るための手順で支える。
重心を落とし、
膝で衝撃を殺し、
刃を中心に置く。
翼ではない。
瞳だ。
白金の瞳の中心に、
ほんのわずかな揺れがあるかどうか。
◇ ◇ ◇
揺れはない。
完璧だ。
完璧であるほど救いがない。
そして――強すぎる。
手加減なしでは、対峙し続けられない。
その現実が、喉を締める。
◇ ◇ ◇
だからルコールは、手加減を“しない”。
ただし、殺さない。
矛盾を抱える。
抱えたまま、勝つためではなく、
“生かしたまま止めるため”に動く。
狩人の矛盾だ。
◇ ◇ ◇
レゾナンスが金色に脈打つ。
白金の光と金色の光が、
白い部屋でぶつかり合う。
爆発ではない。
融解と、切断。
溶かす力と、流す刃。
相性は最悪だ。
最悪だからこそ、
刃の角度だけがすべてになる。
少しでも間違えれば、
刃は溶ける。
足場は溶ける。
身体も溶ける。
◇ ◇ ◇
白金の一撃が、刃を舐める。
レゾナンスの金光が強まる。
刃の内部導管が一瞬、白金寄りに輝く。
金が白に近づく。
――同調。
武器だけが、白を呑み込むように光る。
そして、白金の一撃は“割れて”流れた。
床を溶かすのではなく、
床の上を滑って消える。
空気へほどける。
◇ ◇ ◇
白い翼が、さらに裂く。
今度は三条。
逃げ場が消える。
部屋が溶ける。
壁が飴のように崩れる。
器具が落ち、管が千切れ、
白い床に液体が散る。
生命維持の液体か、
ただの冷却液か。
どちらでもいい。
どちらにせよ――ここは人を扱う場所だ。
人を壊す場所だ。
◇ ◇ ◇
ルコールは、いなす。
三条のうち二条を刃で流し、
一条を壁へ誘導する。
壁が溶け、向こう側の通路が見える。
逃げ道が開く。
だが――逃げない。
逃げ道は“保険”だ。
逃げるためではない。
ここで死なないための手段だ。
死ななければ、迎えられる。
迎えられるなら、戦える。
◇ ◇ ◇
セナが、また距離を消す。
白い翼が影になる。
影が刃になる。
刃が圧になる。
圧が、身体の芯を折りに来る。
ルコールは受ける。
受けて、ずらす。
肩が裂ける。
血が落ちる。
白い床に赤が点になる。
白いほど、赤は目立つ。
罪が目立つ。
教団の白に、ルコールの赤が染みる。
◇ ◇ ◇
ルコールは声を出さない。
出した瞬間に願いが混じる。
願いは判断を鈍らせる。
判断が鈍れば死ぬ。
死ねば迎えられない。
だから、声は出さない。
代わりに、刃で答える。
いなす。
流す。
止める。
殺さない範囲で。
◇ ◇ ◇
だが、限界は見えている。
いなし続ければ、いつか刃が溶ける。
いなし続ければ、いつか足場が溶ける。
いなし続ければ、いつか身体が折れる。
対峙し続けるだけで、消耗が積み上がる。
セナは消耗しない。
兵器は疲れない。
疲れるのは――人間だけだ。
◇ ◇ ◇
ルコールは、狩人の計算に切り替える。
勝つためではない。
“生き残るための勝ち筋”を作る。
ここで必要なのは、決着ではない。
条件だ。
僅差へ持ち込む条件。
止められる形へ持ち込む条件。
迎えられる瞬間へ持ち込む条件。
◇ ◇ ◇
白金の光が弾ける。
直撃に近い。
ルコールは刃を立てる。
レゾナンスが金色に燃える。
刃が白金を受け止める。
受け止めた瞬間、
刃の縁が熱で歪む。
溶ける寸前。
だが――流れる。
白金が刃を伝って逃げる。
床へ落ちるはずの融解が、
壁の向こうの空間へ逸れる。
部屋がもう一段、壊れる。
だが、ルコールは立っている。
◇ ◇ ◇
立っている。
それだけで、意味がある。
セナの前で立っている。
殺さずに立っている。
逃げずに立っている。
それが“迎える覚悟”の形だ。
◇ ◇ ◇
そのとき。
照明が、わずかに揺らいだ。
室内の白い照明そのものが、
一拍、呼吸を止めたように落ちる。
セナの翼が、一瞬だけ止まる。
白金の光が乱れる。
攻撃の“正確さ”が、一拍だけ崩れた。
◇ ◇ ◇
頭の奥へ落ちてくる。
(……だめだよ)
柔らかい声。
幼い声。
(兵隊さん)
セラだ。
見えない。
触れない。
それでも確かに“いる”。
そして――触れた。
この艦の内部に。
◇ ◇ ◇
セナの白金が、ほんの一瞬だけ乱れる。
瞳の奥に、
青い残光が走った。
ほんの一瞬。
だが決定的だ。
セラが触れた。
“止めた”。
セナの兵器化の速度を、一拍だけ遅らせた。
◇ ◇ ◇
ルコールは、その一拍を“攻め”に使う。
逃げではない。
撤退ではない。
踏み込む。
距離を詰める。
刃を振り下ろすのではなく、
刃の腹で――翼の角度を“ずらす”。
翼の根元に直接は触れない。
触れれば斬れる。
斬れば終わる。
終わるのはセナだ。
だから、ずらす。
翼を折るのではなく、
軌道を変える。
攻撃の線を、外へ追い出す。
◇ ◇ ◇
白金が壁へ逸れる。
壁が溶ける。
通路が開く。
逃げ道ではない。
“味方が入れる穴”だ。
誰かが来る。
来なければ終わる。
ここで一人で勝つのは不可能だ。
だが一人で“条件”を作ることはできる。
今それをやっている。
◇ ◇ ◇
セナが動く。
止まってはいない。
一拍遅れただけだ。
その一拍の後に来る反撃は、さらに正確になる。
セラの干渉が“遅らせた”ぶん、
兵器は次の正確さを取り戻そうとする。
つまり――ここからが本番だ。
◇ ◇ ◇
ルコールは《レゾナンス》を構え直す。
淡い金の粒子が、刃の縁に舞う。
床に落ちても燃えない。
ただ、白い床の上で静かに光る。
光は静かだ。
だが、静かな光ほど怖い。
それは、制御された暴力だ。
◇ ◇ ◇
ルコールは短く息を吐いた。
言葉は出さない。
出すなら、最後でいい。
ここはまだ、戦場だ。
ここはまだ、迎える前だ。
迎えるために――耐えて、いなして、条件を作る。
そのための時間を、刃で買う。
◇ ◇ ◇
白い翼が裂く。
白金が収束する。
白い部屋が溶ける。
金色の刃が流す。
互いに譲らない。
互いに殺せない。
そして、互いに止まれない。
◇ ◇ ◇
外殻が、遠くで鳴った。
杭が軋む音。
ノーグレイブがまだ刺さっている証拠。
外で誰かが戦っている。
――バルド。
その音が、ルコールの背中を押す。
まだだ。
まだ終わらせるな。
まだ迎えるな。
迎える瞬間は、最後に取っておけ。
◇ ◇ ◇
白翼の迎撃は続く。
そして、狩人の刃も折れない。
折れないまま、
ただ一つだけ確かなことが増える。
――このままでは、勝てない。
だから、勝てる形を作る。
そのために、
ここで本気で対峙し続ける。
(第117話 了)
117話を大幅に変更しました。
全く別物と言っていいです。




