【第116話 王は名を残さない】
通路は、白いままだった。
白い壁。
白い床。
白い扉。
だが、さっきまでの白と違う。
白が“薄い”。
空気が軽いのではない。
重みが抜けたわけでもない。
ただ――
冷たい。
温度が一段、落ちた。
◇ ◇ ◇
誘導灯は点いている。
セラの導きだ。
床に引かれたような線が、
曲がり角の先で、次の灯りへ繋がっていく。
進め。
急げ。
そう言われている。
はずだった。
◇ ◇ ◇
灯りが、一拍遅れる。
いつもなら、
ルコールが歩けば次が点く。
呼吸に合わせるように、点く。
だが今は違う。
点くまでに“間”がある。
わずかだが、
確実に。
誰かが触れている。
導きを、撫でている。
乱している。
◇ ◇ ◇
ルコールは歩く速度を変えない。
速くもしない。
遅くもしない。
一定。
一定こそが、生き残る。
一定こそが、狩りの姿勢だ。
◇ ◇ ◇
曲がり角。
視線を上げる。
そして――
そこにいた。
最初からそこにいたように。
壁の白さと同じ密度で。
影の薄さと同じ存在感で。
“いる”ことが、すでに不自然な男が。
◇ ◇ ◇
ノクターン。
名乗りはない。
だが、名乗らない圧がある。
こちらに名を与える圧だ。
この空域の主。
この艦の主。
そう理解させるだけの密度が、そこにあった。
◇ ◇ ◇
「……ドクターが逝ったか」
声は静かだった。
嘲りでもない。
怒りでもない。
ただの事実確認。
「彼の研究成果は、なかなかに面白いものだった」
一拍。
「少し惜しい」
惜しいのは人ではない。
成果だ。
研究だ。
数字だ。
その言い方が、逆に“王”だった。
◇ ◇ ◇
ルコールは何も言わない。
言葉を返すことが、相手の盤面に乗ることになる。
ノクターンはそれを知っていて、
こちらの沈黙を当然のように受け取った。
◇ ◇ ◇
「……ルコール君」
名前だけを、丁寧に呼ぶ。
丁寧さが、刃だ。
「君は私を楽しませてくれるのかね」
問いの形。
だが、答えなど要らない問い。
“観測”の宣言だ。
◇ ◇ ◇
一拍。
ノクターンは、ほんの少しだけ首を傾けた。
「迎える覚悟は決まったかね」
その一言が、
胸の奥へ沈んだ。
知っている。
ルコールが“迎える”と言ったことを。
その覚悟が、
どこで生まれたかを。
そして――
その覚悟が折れる瞬間を、見たいのだ。
◇ ◇ ◇
ルコールの喉が僅かに動いた。
言葉が出かける。
だが、出さない。
出すべきは、答えではない。
進むことだ。
導きの先へ。
セナの場所へ。
◇ ◇ ◇
ノクターンが、最後に言った。
「君が“人間”のまま、どこまで耐えられるか」
一拍。
「見せてくれ」
優しい声だった。
優しい言葉だった。
だからこそ、悪意が深い。
◇ ◇ ◇
次の瞬間。
ノクターンは“消えた”。
消えたのではない。
そこにいた事実だけが、薄くなる。
空気が元に戻る。
温度が戻る。
影が戻る。
白が戻る。
――まるで、最初から何もなかったように。
◇ ◇ ◇
誘導灯が、強く点いた。
乱れが消える。
遅れが消える。
焦れているように、
次、次、次と点いていく。
セラが急かしている。
今のは“干渉”だった。
王が触れた。
だから、急げ。
◇ ◇ ◇
ルコールは、一言だけ吐き捨てた。
「黙れ」
届かなくていい。
これは自分に刺す言葉だ。
余計なものを切り落とすための言葉だ。
◇ ◇ ◇
狩人は歩く。
一定の速度で。
誘導灯の線を踏んで。
白い都市の奥へ。
迎えるしかない光の元へ。
(第116話 了)
※他作品も連載中です。
勤労に感謝を。働き続けた男の、転生スローライフ
https://ncode.syosetu.com/n1113lt/




