【第118話 杭を抜く戦争】
雲は厚く、重かった。
視界は白と灰に溶け、距離感が狂う。
空は広いはずなのに、狭い。
――狭い理由は一つ。
ノーグレイブの杭が、ここにある。
スカイハウル・ノーグレイブは、
浮遊要塞の外殻に噛みついたまま、
動かない。
動けないのではない。
動けば抜ける。
抜ければ――艦内の道が消える。
だから、動かない。
◇ ◇ ◇
棺桶から這い出る物は、
その杭の周囲を旋回していた。
小型。
軽量。
過敏。
操縦桿を少し倒すだけで機首が暴れる。
だがそれがいい。
この空域は、重い船が勝つ場所じゃない。
先に角度を取ったほうが勝つ。
先に“死角”へ潜ったほうが勝つ。
撃って、冷やして、また撃つ。
収束機銃は焼ける。
撃った後の空白は腕で埋める。
バルドの戦いは、いつもそこから始まる。
◇ ◇ ◇
――来た。
雲の向こうから、空気の密度が変わる。
羽ばたきはない。
推進光もない。
それでも、そこにいる。
赤銅の瞳。
クロウ。
将軍。
人の皮を被った戦争。
◇ ◇ ◇
「……杭を狙う気、満々だな」
バルドが呟いた。
クロウの視線は、バルドではなく――
杭の位置へ固定されている。
敵を倒すより、戦争を終わらせる。
戦争屋の視線だ。
◇ ◇ ◇
クロウが距離を詰める。
直線ではない。
雲の層を三枚も四枚もめくり、
視界の外から杭へ向かう軌道。
観測し、盤面を締める。
杭は固定。
逃げない。
逃げられない。
なら、そこへ“勝ち筋”を置く。
簡単だ。
――抜けば終わる。
◇ ◇ ◇
バルドは先に動いた。
杭の前へ出る。
守るために、
杭の影になるのではなく、
杭より前に出る。
この瞬間から、勝負は“反応”じゃない。
“配置”だ。
◇ ◇ ◇
機銃、収束。
チャージ。
照準はクロウの胸ではない。
当てる場所が分からないなら、線を引く。
線は答えを作る。
線は進路を曲げる。
曲がれば、杭へ届かない。
それでいい。
◇ ◇ ◇
収束射撃。
細い光線が雲を切り裂き、
クロウの進路へ走る。
当たらない。
狙っていない。
狙いは、一拍。
クロウが判断を“切り替える”一拍。
◇ ◇ ◇
クロウは曲がった。
ほんの僅か。
だが、その僅かが命を繋ぐ。
同時に、
バルドの背中を冷やす。
――曲がったのに、速い。
速さが落ちていない。
角度だけ変えて、速度を保っている。
人の飛び方じゃない。
◇ ◇ ◇
次。
機銃は冷却へ入る。
撃てない時間。
ここが一番死にやすい。
だから、腕。
バルドは操縦桿を捻り、
クローラーを雲の濃い層へ潜らせた。
白に溶ける。
見えない場所へ入る。
戦争屋相手に隠れられると思うな、と
心のどこかが笑う。
だが隠れるためじゃない。
観測を一拍だけ乱すためだ。
その一拍で、
次の配置ができる。
◇ ◇ ◇
雲の中で、空気が裂けた。
近い。
見えないのに、近い。
クロウは視界ではなく、
“空間”で追っている。
自分がどこにいるか、
こちらの方が分かってしまう。
◇ ◇ ◇
「……気持ち悪い追い方するねぇ」
バルドが吐き捨てる。
そして、笑った。
「そうでなくちゃ、仇にならねぇ」
◇ ◇ ◇
クローラーが雲の薄い層へ跳ね上がる。
同時に機銃が冷えた。
チャージ完了。
視界が開く。
――目の前。
クロウがいる。
距離が空戦の距離じゃない。
格闘の距離。
戦争屋は、最初から“殴り合い”を選んでいる。
杭を抜くために。
杭の前に立つものをどかすために。
◇ ◇ ◇
バルドは撃たない。
撃てばいい、じゃない。
撃った後に冷える。
冷えた瞬間に杭を抜かれる。
だから、撃つのは“今じゃない”。
今は――角度を奪う。
操縦桿を倒す。
機体を半回転。
クロウの体を“避ける”のではなく、
クロウの進路を“ずらす”。
ぶつかるかぶつからないか、紙一重。
その紙一重を、
操縦で作る。
◇ ◇ ◇
空気が鳴った。
骨が軋む音がした気がする。
クロウの腕が伸びる。
人間の腕じゃない動き。
掴むための腕だ。
握るための腕だ。
そして――杭へ投げるための腕だ。
◇ ◇ ◇
「させるかよ!」
バルドが叫ぶ。
叫んだ瞬間に悟る。
叫んでる時点で、追い詰められている。
だが叫ぶ。
叫ばなきゃ手が震える。
震えたら、杭が抜ける。
◇ ◇ ◇
機銃、収束射撃。
至近距離。
細い光線が、雲の白を裂く。
クロウの胴体を貫かない。
貫くはずがない。
だが、赤銅の光が一瞬だけ乱れた。
“空を掴む密度”が揺れる。
落ちない。
だが、止まった。
止まれば、杭へ届かない。
◇ ◇ ◇
バルドはその一拍で離脱する。
撃った反動を操縦で殺し、
機体を沈め、杭の真上へ落とす。
杭の真上。
杭とクロウの間に、自分を置く。
盾になる配置。
戦争屋相手に、盾になる配置。
最悪だ。
でも、これが最善だ。
◇ ◇ ◇
機銃は冷却へ入る。
撃てない。
腕で稼ぐ。
バルドは雲の流れを読む。
読むと言っても、目で読むんじゃない。
皮膚で読む。
頬に当たる風圧の変化で読む。
この瞬間だけ、
自分の身体が機体になる。
◇ ◇ ◇
クロウが動く。
止まったはずなのに、もう動く。
回復が早い。
乱れが戻るのが早い。
人間なら“一拍”の乱れは致命傷だ。
だがこいつは違う。
一拍を“一拍”として扱わない。
一拍の間に、次の盤面を作る。
◇ ◇ ◇
クロウの軌道が変わる。
杭を抜くのではない。
杭そのものを“折る”位置へ回り込む。
なるほど。
抜けないなら、砕く。
砕けば、抜ける。
戦争屋は解決が早い。
◇ ◇ ◇
「そう来るか……!」
バルドの喉が鳴る。
杭は鋼だ。
だが永遠じゃない。
外殻との摩擦。
衝撃。
振動。
そこへクロウが圧を叩き込めば――
折れる。
折れた杭は、抜ける。
抜けた瞬間、終わる。
◇ ◇ ◇
機銃の冷却が終わらない。
撃てない。
腕で稼ぐしかない。
バルドは、歯を食いしばった。
そして、軽口を吐く。
「いいぜ、将軍」
一拍。
「棺桶ってのはな――」
言葉を切る。
次の言葉を言えば、縁起が悪い。
だが言う。
「中に入れたい奴がいるから、守るんだよ」
◇ ◇ ◇
クロウの赤銅の瞳が、こちらを射抜いた。
視線が濃い。
“理解した”視線だ。
杭を守る理由を理解した視線。
理解したから潰す視線。
◇ ◇ ◇
雲の腹で、
戦争屋が杭へ回り込み始める。
バルドは、それを止めるために、
撃てない時間を“自分の体”で埋める。
最悪だ。
だが、これが戦争だ。
死に方が設計される前に、
生き方を設計する。
腕で。
角度で。
配置で。
◇ ◇ ◇
杭が、遠くで軋んだ。
ノーグレイブは、まだ刺さっている。
だが――
次に鳴る軋みが、
“最後の音”になるかもしれない。
(第118話 了)
今年もなかなかの暑さを感じます。
すでに軽度の熱中症気味ですが、支障が出ない範囲でやります。




