【第112話 空の旋盤】
雲の腹は、白く濁っていた。
視界は短い。
距離感は狂う。
速度は裏切る。
普通なら、空戦の場じゃない。
だが――
ここは“普通”が通じない空だった。
◇ ◇ ◇
コフィン・クローラーは、雲の中で一度だけ水平になった。
小さな機体。
だが機体が小さいということは、
狙われる面積も小さいということだ。
そして何より――
バルドの手は、こういう時に強い。
落ちないための手。
落とすための手。
どちらも、同じ動きでできる男。
◇ ◇ ◇
背後。
白い霧が一瞬だけ裂け、
防衛艦の影が現れた。
細長い胴体。
短い翼。
砲口が腹に並ぶ。
速度は速い。
だが、整備された速さだ。
死ぬために最適化された速さ。
◇ ◇ ◇
「――遅い」
バルドが言った。
口に出したのは、呼吸の代わり。
恐怖を削るための言葉。
◇ ◇ ◇
操縦桿を倒す。
クローラーが横に滑る。
滑る。
旋回じゃない。
“ずらす”。
相手の照準が追いつく前に、
機体の位置だけをずらす。
レシプロじゃできない。
魔導出力の“循環”だからできる。
◇ ◇ ◇
砲光。
白い線が通った。
だが、それはもう――そこにはない。
光は雲を焼き、
霧の中に穴だけを残す。
◇ ◇ ◇
「ほら」
バルドが笑う。
「当たらねぇ」
◇ ◇ ◇
距離が詰まる。
防衛艦が機首を振る。
追い越しざまの射線を作る。
撃てば当たる角度。
撃てば落とせる角度。
――普通の相手なら。
◇ ◇ ◇
バルドは撃たない。
撃つのは“今じゃない”。
クローラーの機銃は連射できる。
だが、収束射撃は一発勝負だ。
撃った後は冷えるまで待つ。
クールタイムが生まれる。
その隙を突かれれば、終わる。
だから、撃つ場所を選ぶ。
撃つ瞬間を選ぶ。
職人が、刃物を入れる角度を選ぶみたいに。
◇ ◇ ◇
防衛艦がこちらを追い越す。
その腹が一瞬、露出する。
推進部。
導管の根元。
排熱口の縁。
――弱い。
構造的に。
バルドはそこだけを見る。
◇ ◇ ◇
操縦桿を引く。
クローラーが上に跳ねる。
跳ねたのではない。
“持ち上がる”。
風に乗らない。
風を選ばない。
ただ、空気を押し返して位置を変える。
◇ ◇ ◇
防衛艦の背中へ回り込む。
距離、短。
短すぎる。
普通ならぶつかる。
だが、クローラーは小さい。
小さいから――入る。
相手の死角に入る。
◇ ◇ ◇
「――今だ」
バルドの声が落ちる。
連射、停止。
導管、閉鎖。
魔導炉出力を一点へ集める。
収束。
ほんの一秒。
雲の中の白さが、別の白さに変わる。
“鋭い白”。
◇ ◇ ◇
収束射撃。
短い光が走る。
音は遅れて来た。
推進部が焼き抜かれる。
爆発はない。
ただ、噴射が乱れる。
姿勢が崩れる。
速度がねじれる。
防衛艦はそのまま、
雲の腹へ吸い込まれていった。
落ちたのではない。
“飛べなくなった”。
それだけで、空では死だ。
◇ ◇ ◇
「一」
バルドが数える。
職人の数え方だ。
成果を数える声。
◇ ◇ ◇
だが、クールタイムが来る。
導管が熱を吐く。
計器が赤に触れそうになる。
撃てない時間。
ここで腕が要る。
バルドは笑った。
「やっと俺の時間だ」
◇ ◇ ◇
雲の裂け目。
二隻目。
三隻目。
今度は挟む配置だ。
扇状。
逃げ道を削る。
さっきのフォティと同じ狩り方。
――賢い。
クロウの匂いがする。
◇ ◇ ◇
バルドは真正面からは行かない。
雲へ潜る。
霧へ沈む。
見えない場所で、位置だけを変える。
撃てないなら、見せない。
撃てないなら、当たらない。
それが腕だ。
◇ ◇ ◇
砲光が走る。
雲が焼ける。
穴が空く。
だが当たらない。
当てさせない。
当てられる前に、そこにいない。
◇ ◇ ◇
そして、クールが明ける。
赤が戻る。
導管が冷える。
撃てる。
バルドの目が細くなる。
「――二つまとめて、いけるな」
◇ ◇ ◇
バルドは雲の腹から飛び出した。
わざとだ。
見せる。
誘う。
“ここにいるぞ”と。
二隻が同時に寄ってくる。
狙いはクローラー。
だが、本命は――ノーグレイブの杭だ。
杭を折る前に、邪魔を落とす。
そういう判断。
そういう戦争。
◇ ◇ ◇
「よし」
バルドが小さく言う。
「来い」
◇ ◇ ◇
連射をばら撒く。
当てない。
当てるつもりで当てない。
相手の姿勢を崩すために撃つ。
相手の回避を選ばせるために撃つ。
逃げ先を“決めさせる”ために撃つ。
職人の手。
削る手。
相手の動きを、削って形にする。
◇ ◇ ◇
二隻が回避する。
右へ。
左へ。
その瞬間が、狙いだ。
収束。
一点。
短い白。
まず右。
推進が焼け、姿勢が崩れる。
次に左――と思わせて、撃たない。
撃てないわけじゃない。
撃つとクールが伸びる。
今は温存。
落ちた右の爆煙が雲を乱し、
左が一瞬だけ見失う。
その一瞬で、バルドは距離を詰める。
クローラーの機首が、左の腹へ滑り込む。
近い。
近すぎる。
だから撃つ。
連射ではない。
収束でもない。
“短い三連”。
一点に寄せた連射。
推進導管が焼け、
左も姿勢を失った。
◇ ◇ ◇
「二、三」
バルドが数える。
声は軽い。
だが肩は重い。
ここからが――本当に厄介になる。
◇ ◇ ◇
雲が裂けた。
さらに増援。
数が増える。
角度が増える。
判断が速くなる。
クロウが盤面を締めてきている。
“外”を簡単には終わらせない。
内側の狩人に時間を渡さない。
そういう意志が見える。
◇ ◇ ◇
バルドは、ノーグレイブを見る。
杭はまだ刺さっている。
扉はまだ生きている。
だから――
外の数がいくら増えても、
やることは一つだ。
落とす。
稼ぐ。
守る。
◇ ◇ ◇
「……来いよ」
バルドがもう一度、笑った。
雲の腹に、細い光の軌跡が走る。
空の旋盤が回る。
削る音は聞こえない。
だが確かに、
敵の数が削れていく。
(第112話 了)
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勤労に感謝を。働き続けた男の、転生スローライフ
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