【第110話 二つの狩場】
白い部屋は、静かだった。
静かすぎた。
血が落ちても、床は白いまま。
叫びが出ても、壁は白いまま。
ここは――
人間の熱を受け止めない場所だ。
◇ ◇ ◇
ルコールは、距離を詰めない。
詰めれば終わる。
終わるのは自分ではない。
“鍵”が壊れる。
ラドクリフが死ねば、セナの制御は行き先を失う。
それが狩りを歪ませる。
だから――殺さない。
生かして奪う。
狩人の戦い方として、最悪に難しい条件だった。
◇ ◇ ◇
ラドクリフは笑っている。
人間の顔のまま。
人間を捨てた目で。
「いい。いいよ軍曹」
呼び方だけが、昔のままだ。
「君は“殺さない戦い”が一番苦手だ」
指先が動く。
黒い爪。
骨のない関節が、空気を撫でる。
その一撫でで、
白い空間の圧が変わった。
◇ ◇ ◇
――来る。
ルコールが判断した瞬間、
ラドクリフは消えた。
いや、消えていない。
動きが間に合っていないだけだ。
目の前に“結果”だけが現れる。
◇ ◇ ◇
爪が迫る。
ルコールは避ける。
だが避けた先に、もう一つの爪。
読めない。
動きの筋が人間じゃない。
関節が、骨格が、力の出し方が違う。
避けるだけでは詰む。
だから――
ルコールは“当てる”。
◇ ◇ ◇
掌底。
武器を抜かない。
刃で斬れば切断が起きる。
切断は“致命”に繋がる。
必要なのは、破壊ではない。
拘束。
鈍らせること。
◇ ◇ ◇
掌底が、ラドクリフの腹へ入る。
だが――手応えが違う。
柔らかいのに、戻る。
肉ではない。
生体素材の“反発”。
「……っ」
ルコールは一歩引く。
反動を殺す。
ラドクリフは後退しない。
笑ったまま、囁く。
「効かないよ」
一拍。
「“人間の腹”じゃないから」
◇ ◇ ◇
ルコールは言葉を捨てる。
代わりに目を細める。
観察。
反射。
次の一手。
狩りの時間へ戻す。
◇ ◇ ◇
ラドクリフが、床を蹴る。
白い床が一瞬、凹む。
異常な圧。
その瞬間、ルコールは確信する。
――この男は、もう“人体の常識”で止まらない。
だから止め方を変える。
“殺さずに止める”。
鍵ごと奪うために。
◇ ◇ ◇
ルコールは外套を翻し、距離を取った。
白い空間に、黒い影が走る。
ラドクリフは追ってこない。
追う必要がないのだ。
ここは自分の部屋。
自分の土俵。
逃げ場を閉じれば勝てる。
勝つために動いていないのが、逆に怖い。
◇ ◇ ◇
そのとき。
部屋のどこかで、低い振動が鳴った。
艦が“また”軋んだ。
――杭。
ノーグレイブが刺さっている。
外が動いている。
時間が削れている。
◇ ◇ ◇
ラドクリフが、楽しそうに言う。
「聞こえる?」
「将軍が動く音だ」
クロウ将軍。
盤面が締まる。
逃げ道が消える。
狩場が完成する。
その前に――ここを終わらせなければならない。
終わらせるのは“殺し”ではない。
確保だ。
◇ ◇ ◇
ルコールは息を吐く。
短く。
そして、心の奥でだけ言う。
(……来い)
誰に向けた言葉か。
分かっている。
外の連中にだ。
◇ ◇ ◇
――――――――――
◇ ◇ ◇
一方。
雲の腹。
浮遊要塞の外殻へ、杭のように刺さったノーグレイブは、
震えながらも“止まって”いた。
推進は落ちていない。
魔導炉は唸り続けている。
いつでも抜ける。
いつでも離脱できる。
だが、離脱すれば次はない。
この一瞬が、全てだ。
◇ ◇ ◇
「……防衛艦、回り始めた」
オズマが計器を見る。
雲の外周。
小型艦の影。
砲座の再点灯。
完全停止ではなかった。
“止めてる”窓が、閉じ始めている。
◇ ◇ ◇
「引きつける」
バルドが即答した。
操縦席に座ったまま、肩を回す。
この男は整備士であり、同時に操縦士だ。
飛ぶことと壊さないことを、同じ手でやる。
「俺が外を掴む」
一拍。
「お前らは中へ行け」
◇ ◇ ◇
「一人で?」
フォティが言いかける。
バルドは鼻で笑った。
「一人じゃねぇ」
操縦桿を叩く。
「ノーグレイブ様がいる」
一拍。
「それと、俺の機嫌次第だ」
◇ ◇ ◇
冗談の形をしている。
だが本音は真逆だ。
緊張を薄くするために笑っている。
バルドも分かっている。
ここからが本番だ。
◇ ◇ ◇
「突入班は三人」
オズマが確認する。
「俺、ミラ、フォティ」
ミラが頷く。
フォティも頷く。
ただ、フォティの指先はまだ少し震えている。
災害の光を思い出した震え。
それでも前を見る。
“人でいたい”まま、戦場に立つ。
◇ ◇ ◇
「ミラ」
オズマが言う。
「さっきの声……まだ聞こえるか」
ミラは小さく首を振った。
「……もう、はっきりは」
でも、と続ける。
「……あっち、って感じはある」
確信じゃない。
感覚だ。
それでも今は、それが道になる。
◇ ◇ ◇
「よし」
バルドが言う。
「ハッチ開けるぞ」
ノーグレイブと外殻の間に生まれた歪み。
裂け目。
“扉”。
棺桶じゃない。
扉だ。
◇ ◇ ◇
ハッチが解放される。
冷たい風。
白い霧。
金属の匂い。
要塞の内側の匂いが、こちらへ流れ込む。
ミラが一瞬だけ顔をしかめる。
白い匂い。
消毒の匂い。
あの“救い”の匂い。
◇ ◇ ◇
「行くぞ」
オズマが先に出た。
王子としてではない。
逃亡者としてでもない。
戦友として。
そして、責任者として。
◇ ◇ ◇
フォティが続く。
最後にミラ。
ミラは一歩だけ躊躇して、振り返った。
バルドが操縦席から手を振る。
「戻ってこい」
軽い声。
だが、重い命令。
「戻ってきたら――」
一拍。
「坊主、変な服は全部燃やす」
◇ ◇ ◇
「えっ」
フォティが思わず振り向く。
ミラが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
笑ってはいない。
でも、“壊れていない”。
その小さな変化だけで、十分だった。
◇ ◇ ◇
三人が裂け目へ降りる。
内部へ。
白い通路へ。
そこはもう空ではない。
敵の都市の中だ。
◇ ◇ ◇
バルドは操縦桿を握り直した。
外殻に刺さったまま、機体姿勢を微調整する。
防衛艦が寄ってくる。
砲座が点く。
迎撃が戻る。
窓が閉じる。
「……上等だ」
バルドが低く笑った。
「棺桶じゃねぇところ、見せてやるよ」
ノーグレイブが唸る。
外の戦場が、再び動き出す。
◇ ◇ ◇
内側では、狩人が鍵を追っている。
外側では、扉が守られている。
二つの狩場が、同時に始まった。
(第110話 了)
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勤労に感謝を。働き続けた男の、転生スローライフ
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