何か憑いている その26
仔犬を引き寄せようと、水の中に足を踏み入れても、犬にはまだ手が届かない。
出された手を見て、豆太がこっちを向いて、尻尾を振って喜んでいる。
もう少し、もう少しで、もう少し手を伸ばせば、仔犬に手が届きそうだ。
瀬戸山さんは、一歩前、一歩前へと左手を伸ばして犬を掴もうとする。
もう水が胸のあたりまで来ている。
右手を繋いでる少女が、「もう少しだよ。おねぇちゃん、もう少しだよ」と促して来る。
もう一歩足を踏み出した時、誰かが足を掴んだ。いや、何かが足を掴んだ。
グッと、その何かが足を海中に引っ張って来た。
ブクッと顔が海中に没した。
ハッと我に返って、瀬戸山さんは自分の置かれた状況を判断し、己の迂闊さを呪った。
(ダメだ! 逃げないと引きずり込まれてしまう。このままじゃ息が出来ない。死んでしまう)
ブクブクブクと肺の中の空気が出て行く。
手で水を掻いて、体を起こそうとするがいくら掻いても体は起きない。
背中が重い。背中に何かが捕まっているのだ。
振り向かずとも感覚でわかる。さっきの少女だ。
低い、しわがれた声で「おねぇちゃん、もう少しだよ」と背後からささやきかけて来る。
もうダメだ。手足が動かず、痺れて来た。意識が遠く、周りが暗くなって来た。胸が熱い。肺に海水が入って来たのだ。
瀬戸山さんは、なくなる意識の中で、手を引かれて体が持ち上がって行くのを感じた。
「ウリャーーーァ!」俺は叫びながら走っていた。
砂浜は、足の力を吸収するので、意外と速度が上がらず脚が重い。
波打ち際まで来たときには、もう瀬戸山さんの頭が海中に沈んだのを見ていた。
波を手で掻き分け、ザブザブと海に入って行く。そして、最後に瀬戸山さんを見た辺りで、前屈姿勢になって瀬戸山さんを探す。もう日が暮れて、あたりは暗くなってきている。
その時、左手が何かに触れた。それを両手で持って引き上げる。
重い! 異常な重さだが、水面まで上がって来た。
暗い中、瀬戸山さんの顔が見えた。瀬戸山さんに間違い無い。が、重い。力を抜くと、瀬戸山さんの体が直ぐに沈んでいきそうだ。
瀬戸山さんの顔が水面に出るように、抱き抱えて立ち上がる。
やはり重い。体がバランスを崩しそうだ。
その時、俺の背中に、誰かがぶら下がって来た。そして、海中に押しつぶそうとしている。
姿は見えないが、感覚で分かる。
左右の足首も誰かに掴まれた。
その誰かが、沖の方に足を引っ張って来た。
俺は、危うくうつぶせに倒れそうになる。
「ハアァーッ」丹田に気合いを入れて、ステータスを全開にする。
妖精フローラに教えてもらった方法だ。妖精の国に居たレベルまで、身体のステータスが上がる。
グッと力を入れて瀬戸山さんを抱えて俺の肩に載せる。そして、頭を下にして背中を叩く。
グホッっと瀬戸山さんが水を吐き、噎せ返す。
俺は、陸に向かって歩き出した。腰も足も何かに掴まれて重たいが問題無い。力は十分にある。
波打ち際を抜けて、浜に上がってきた。足元もしっかりしてきたが、何かが引っ張っていることには変わりない。重たいが、先ほどよりは速度が上がってきた。
浜辺を半分ぐらいまで来たところで、みんなが応援に来てくれた。
続きを、桐崎が瀬戸山さんを背負って走り出した。横から靏見さんが回復魔法を掛けながら走って付いていく。
栃原先輩は何か別の物が見えているようだ。俺の全身を見て口角を上げて笑っている。
「ありがとう。助かったよ」俺は蘇我さんに礼を言う。
「大丈夫だった?」
「うん、ありがとう。全然、大丈夫」
走って、俺達も桐崎の後を付いていく。
視線を逸らした時に、瀬戸山さんの背中に何か付いている。ひょっとしたら、「憑いている」かもしれない。
視線を逸らすと、視界の端に赤いスカートが写る。
それに手を伸ばすと、何かに触れた。
「えっ? 触れるじゃん」
少女は首だけを回して睨んで来た。
「触るな。今度はお前を引きずり込んでやろうか?」と言っていたらしい。
もちろん、勇人には聞こえないし、見えてもいない。
栃原先輩が笑っている。
「あんたの彼氏、無敵だねぇ」
「彼氏じゃ有りません」
デジャブーか、どこかで聞いた会話だ。
そんな会話を聞きながら、それに触ってみる。ミズクラゲのようにプニョプニョしている。柔らかさは絹ごし豆腐のようだ。
が、決して見える事はない。触れるだけだ。
ベリッと引き剥がしてみる。「驚いた。掴めるじゃないか」
(まあ、向こうから掴めるんだから、こっちからも掴めて不思議は無いかな)
「んん?」
見えないけども、俺の腰の奴も掴めた。
足首を掴んでいる奴も踏めた。
見えないけども、何かがそこにいる事は確かだった。
四匹集めて、捕まえて束ねて見た。なんだか紐が付いているので、ぐるぐる束ねていたら、紐のようなものは海から繋がっている事が分かった。
瀬戸山さんは桐崎たちに任せて、俺は海にとって返す。
浜の堤防まで来たら、四匹を道路標識に括り付けておく。そして、紐を引っ張って見る。
散々引っ張っり手繰り寄せたら、ピンと張って、もう動かなくなった。紐の先に何か海の中で重い物に繋がっているみたいだ。
流石に、向こうの土俵で戦う気は無い。
「サザン、憑依」
「サザン、頑強とステータス強化」
「はい。勇人」
俺は、サザンに頼んで、体を丈夫にし、ステータスを上げた。
「ウリャーーーァ、ウリャーーーァ、ウリャーーーァ」堤防に足をかけて、力を込めて引いてみる。どんどん紐を引くと、その何やらかはこちらに近づいて来ているのが分かる。
引き上げて見ると、古い漁船だった。形状は、底引き網漁船と言うのだろうか?
船の後ろにクレーンと巻き上げドラムが付いている。木造で、あちらこちらに貝が付着している。長い時間、海底にあったようだ。
ドラムにロープや網はもう無い。
浜の沖には消波ブロックが積んである。この船はどこを通って来たのだろう。こんな物が物理的に通る道理はない。
船首が砂をかき分け、陸に上がって来た。
バルバスハルと言って、船首の底の部分が丸く飛び出している。
このサイズの漁船でも使うんだなぁと感心する。そして、その部分が砂を掻き分け、陸に上がってくる。
俺は、完全に砂浜に上がった状態で引き上げるのをやめた。
気がつくと、横に蘇我さんが立っていた。
「ちょっと、本体を絞めて来るよ」
「瀬戸山さんは、俺らのクラスメイトだからね。そいつに手を出されちゃ黙って居れないよ」俺がカッコよくセリフを決める。男の俺でも惚れてしまうぜ。
「私も行くわ。瀬戸山さんは友達だもの」
ええ? あの中に本体がいるよ。きっと。幽霊船だよ。たぶん。
カッコよくて、男の俺でも惚れてしまいそうだよ。
そっと、蘇我さんをお姫様抱っこをして、堤防を飛び降りる。
着地の瞬間、膝を曲げて衝撃を和らげる。
サザンが居て良かったよ。普段なら、膝折れして、こけて居たよ。
真里亞は、黙って俺にしがみついている。しまった! 怖すぎて、声が出なかったようだ。
ゆっくり下ろして、砂浜に立たせる。
「大丈夫? 怖くなかった?」
「ええ、大丈夫よ」
二人して、難破船の方に歩いて行く。
さすがに、小さな漁船とはいえ、丘に上がった船は大きい。
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