第37話
体が動くようになるとすぐに俺はリースの部屋に転がり込んだ。あんな研究所にいたら何をされるかわからない。空っぽになった部屋を見てあの気違い小男が何を思おうが、知ったことではない。
「勝手に出てきたの?」出迎えた俺をリースはとがめた。「あそこにいるようにいっておいたでしょう。まだ、体と魂が分離する可能性があるってお医者様がいっていたのよ」
「医者というのは、あの、チビのことか? あいつは嫌いだ」
俺はあれが医者だなんて思ってもみなかった。どう見ても頭のねじの外れたマゾヒストじゃないか。
「シーナ、わがままをいっては駄目。今、あなたは聖女様のお慈悲でかろうじて生かされているようなものよ。その行為をむげにするなんて」
リースは、そういいながらも、俺が他の面子と一緒に部屋に居着くのを認めてくれた。
リースの部屋は快適だった。すきま風の入らない暖かい部屋だったし、毎食ちゃんとした食事が出た。まずい糧食を当たり前のように渡されないというのはありがたい。
ここにいれば少なくとも快適な暮らしが保証されていた。部屋の外に出なければ冷たい目にさらされることもない。
しかしそんな怠惰な引きこもり生活もあっという間に終焉を迎えることになる。
「おい、リース、まずいぞ」ナルサムが部屋に駆け込んできた。
「どうしたの、兄さん?」
ゴローとサクヤと床に寝そべってお勉強していたリースは慌てるナルサムに目を丸くする。
「帝国軍が関を攻撃するらしい」
リースは跳ね起きた。
「関を? 馬鹿な?」
事情を飲み込めないナンバーズ達は慌て始める監督官をいぶかしげに見つめる。
「関って、あのマフィの村から行けるかもしれないって場所のことか?」
「そうよ、大変。どうしよう」
全然事態を飲み込めていない俺達にリースはいらいらと説明する。
「関はね、関所ってだけじゃないの。堰でもあるの。あそこの上には大きな湖があってね。そこの水を調整して、大瀑布に流すのが関。元々はコサの神殿が管理していたのだけれど、近年帝国属領のクリアテス領が管理していたの。そこを帝国が攻撃するということは、下手をしたら堰を壊されるかもしれない」
「まてよ。クリアテス領は帝国領の一部なんだろう。だったらどうして帝国が攻めないといけないんだ・・・あ」
俺は思い出した。クリアテス教と王軍、つまりクリアテス領軍が手を結ぶかもしれないという噂を。ナルサムはそれを肯定していた。
「まさかだけれど、ユイ達が出て行ったのはクリアテス領軍との和睦をするため・・・」
「和睦なんてどうでもいいのよ。堰を壊されたらどうなると思う?」
あの大瀑布の水を管理している堰だ。そこが壊されたら、水があふれて下流一帯が水浸しになる?
「そうよ、その通りよ。マフィの村だけじゃない。下のコサの町とか、もっと下流の町が全部水浸しになるかもしれない」
「そんな馬鹿なこと、する奴がいるのかよ」
「いたんだよ。過去に・・・もう何十年も前だが、クリアテス国がクリアテス領になるときにあそこを占拠した帝国の将が脅したんだ。アルトフィデスの国をな。クリアテスに荷担したら、堰を壊すってな。実際にはやらなかったけれど、それで充分効果があった」ナルサムは指をかんだ。
「なんとしてでも止めなきゃ」リースががさがさと支度を始めた。「あたし達の村が、コサの町が、なくなるかもしれない」
「止めるってどうする気だ? まさか、堰に行くつもりでは・・・」
リースがぱっと顔を上げて俺をにらんだ。行くつもりだ。
「リース、先走ってはいけない」ゴローが諭すようにリースを止めた。「焦っても何もいいことはない」
さすがはゴロー。落ち着いている。大人の風格だ。
「あなたが行くときはわたしたちも行く。準備は万全にしよう」
「……」
ゴロー、この兄妹の暴走を止めるのではなかったのか。ここはサクヤに期待して……
「ちゃんと脱出の準備はしている。馬も食料も用意してある」
サクヤが部屋の隅からぎっしりと荷物の詰まった背嚢を取り出した。
「待てよ。話が飲み込めない。詳しい説明を頼む」
「あら、いつもは先頭に立って突撃していくあんたが今日はどうしたの?」
そっちを驚くのか、リース。
「いやいや、相手が大部隊で攻めてきているのなら、俺達数人がいっても無駄だろう。それに、すでにクリアテス側の誰かが堰に行っているのではないか?」
渋々といった様子でリースは俺に説明を始めた。その間も準備の手は緩めない。
この砦にいたクリアテスの勢力は新しいもっと帝国寄りの拠点に移った。このあたりに出没していた帝国の偵察隊は寡兵であり、こちらに攻め込むほどの戦力ではないと判断したからだ。
「そいつらが、関に現われたらしいのよ」
「別に不思議じゃないよな。今関を仕切っているのは王軍で、王軍は帝国軍と仲よしなんだろう?」
「王軍と交戦状態になったといったら?」
「どうやったら交戦状態になるんだよ。仲間だろう?」
「属領軍といえどもクリアテスの民だ。本国の連中とは折り合いが悪い」当然だろうとナルサムはいう。「それに、クリアテス教と王軍との手打ちの話も流れている。この交渉が行われているのはほぼ事実だ。帝国正規軍はそのあたりのことを探りに来ていたのは間違いない。彼らが黒だと判断したら関を占拠しようと思うんじゃないかな」
話をきく限り重要な拠点らしい。もめたあげく戦闘が始まったということか。
「でも、今さら俺達が行ってもすでに決着がついているのではないか?」
「正規軍の数は少ないといったろう。戦闘が始まったという報告だった。関が落ちたという報告じゃぁない」
俺は考えた。まず、何をするべきだろう。俺達の第一の任務はマフィの村を守ることだ。
そう考えてから、はっと気がつく。これって呪の影響だよね。まだまだ、俺は奴らに影響されているということか。
「この情報は、もうみんな知っていることか?」
「いや、この砦に救援を求めに来た早馬が情報源だ。だから、まだ誰も知らないと思う」
「じゃぁ、村の人達はまだこのことを知らないんだな。まず、誰かがマフィの村と連絡を取る必要があると思う。ディーやキーツにこのことを知らせるんだ。村の人達が逃げる時間は必要だろう」
「俺が行く」ナルサムがうなずいた。「俺はこのあたりのことはよく知っている。飛ばせば、一日もかからずに村に着く」
「それで、俺達なんだが」
「あたし達は、関に向かうわよ」リースは俺の言葉を遮って宣言した。「馬で行けば、そんなに時間はかからないわ」
「あの、俺達は歩兵種……」
「いまさら、歩兵だから馬に乗れません、といっても聞かないからね」
乗馬が苦手なのはあんただけだといやな事実を突きつけられる。
駄目だ。どうしても行くつもりになっている。ゴローとサクヤも行く気満々で、俺一人ではどうしても止められない。
「いいだろう。ただ一つだけ、約束してくれ。監督官」俺は条件をつける。「もし、敵に関が落とされていたら、そのときはあきらめて引いてくれ。帝国兵は強い。俺達だけで突撃することはできない。必ず引き下がると、そう約束してほしい」
「わかったわ。無謀な突撃はしない。約束する」リースはそういって笑いかけた。
「不思議ね。いつもはシーナが突っ走って、あたし達が慌てて追いかけていくのに、今回は逆。死にそうになって、少しは改心したのかしら」
「突っ走る? 俺はそんなことをしたことはないぞ」
失礼な。いつも俺が考えなしにことを進めているみたいじゃないか。
今回は本当に気が乗らないのだ。なんなのだろう。とても変な感じがする。何かが足らない気がするのだ。
この場所にいるせいだろうか。ここは、何かが微妙におかしかった。マフィの村で感じていた異質な場所に来てしまった感じとは違う。奇妙に現実がねじれ齟齬があるのに、それが何であるのか定義できない。何かを忘れているような、そんな感覚にずっと付きまとわれているのだ。
俺達の脱走を止めるものは誰もいなかった。早馬の持ってきた知らせで、居残り組は右往左往していて、とてもではないが俺達のことをかまっている余裕がなかったのだろう。砦からだいぶ離れて、追手がいないことを確認すると俺達は二手に分かれた。
「兄さん、気をつけて」リースが馬上で挨拶をする。
「おまえたちこそ、気をつけろよ。相手は帝国軍だ。危なくなったら、すぐに逃げるんだぞ」
ナルサムは馬の向きを変えて、草原を走って行く。俺達が向かうのは森と山がある方角だ。
「急ぐわよ」リースが俺達に声をかける。
「遅れたら、置いていくからね」これは俺に、だ。
俺達は緩やかな足取りで、馬を山のほうに進めた。だんだんと草が、木に変わり、木の数が増えていき、少しずつ道が険しくなっていく。
最初のうちは道を確かめるように、進んでいたリースだったが、途中からためらうことなく道を選んでいく。
「昔、このあたりによく遊びに来ていたのよ。母の実家があったの」
その日は、廃墟となった小屋で休んだ。なんとサクヤは結界の張り方をいつの間にか覚えていた。
「魔獣よけ。ディーもやっていた」
そういえば、隠蔽の呪とか、追跡の呪とか、かけていたな。俺はそのことをすっかり忘れていた。
サクヤが低い声で歌っている。歌に会わせて、精霊達が浮かび上がってくる。こいつらには本当に世話になった。あのとき、彼らが力を貸してくれなかったら、俺達全員処分されていただろう。
野営の支度はゴローが率先して行った。結界を張るのはサクヤ。おそらくこの二人は、生前のも似たようなことを繰り返してきたのだろう。魂にまで染みついた行為が、今も繰り返されている。
火のはぜる音がした。元のこの家の住人もこうして炉に火を入れて体を休めていたのだろうか。
ほんの少し目を閉じたつもりだったのだが、次に目を開けたときには火が消えていた。あたりが明るくなりかけている。すでにリースが起きて外の様子を見に行っているようだ。
彼女は、木の切れているところから山の向こうに目をこらしていた。
「あっちの方角に関があるはずなのよ。見える?」
俺は目をこらしたが、朝靄で煙る森の向こうを見渡すことはできなかった。




