第38話
俺達はようやく関の近くまでたどり着いた。
空が白むころに見る関は岩でできた要塞だった。俺達のいる位置は周りに比べて高い土地であるはずなのだが、そそり立つ壁はそこよりもさらに高い。この上に、湖があるという。
「すごい落差だな」
俺は眼下に流れているだろう闇に沈んだ川をのぞき込んだ。光のまだ届かない谷底はまだ夜だった。
関の上にはいくつもの灯りが見えた。誰かがまだ夜の松明をたいているのだ。誰かが戦っているらしい気配はしない。さすがに夜ここに攻め込むような真似はできないのだろう。
「確か、ぐるりと回り込んだところに村があるの。村といっても要塞の一部みたいになっているけれどね」
リースも幼いころに二三回来ただけだという。
「中がどうなっているのかは、わからないのか?」
「あたしは父さんに連れられて、馬を納めにいっただけだから。住居の中にも入ったことはないの」
俺達はそこから崖をぐるりとまわって、さらにくらい山を登っていく。ゴローやサクヤが念入りにあたりを警戒しながら、ゆっくりと裏道をたどっていく。
しばらくして、ゴローが馬を止めた。彼はそのまま馬から下り、俺達にも促す。
「広い道に出た」
馬を後方につないでから、ゴローは先の道を偵察する。
「人はいない」
馬車が通れるほどの幅のある踏み固められた道だった。この砦にクリアテス側から入る正規の道なのだろう。朝の鳥の声があたりに響き、道の上にまだもやの残りが漂っていた。とても戦闘が行われている場所のようには思えない。
しかし、ゴローは険しい顔をして道には下りなかった。下がるように手招きをして、道伝いに森の中を行く。
道は金属で固められた門の前まで続いていた。その前は木が切り払われ、ちょっとした広場になっていた。ここにも全く人影がない。馬止めもあるが、一頭の馬もいなかった。
ここしか入り口がないようなので、俺達はこっそり脇の潜り戸のところへ走り寄る。
「?」
驚いたことに、扉には鍵もかんぬきもかかっていなかった。ゴローが中を見て、首を振る。罠の類いもなさそうだ。
裏から見る門はトンネルのようになっており、二重に間隔をおいてしめられる構造になっていた。力攻めしてもなかなかこじ開けられないようにできている。ただ今は落とし戸はあげられていて、誰でも中に入れるような状態になっていた。
ここで戦闘があった痕跡は全くない。俺達は何事もなく関の町に侵入できた。
町は静まりかえっていた。外の森のほうが鳥の声で騒がしかったと思えるほどだ。俺達は理不尽に曲がりくねった道を駆け上がった。
「おかしい」
俺は三人を枝分かれした裏道へ招き入れた。
「いくら何でも静かすぎる。この町の住民はどこへ行ったんだ?」
いくら要塞と課した軍事拠点でも、兵士以外の人は必ずいるはずなのに。そんな人の生活を感じさせる音が何一つしない。食べ物の匂い、煙の匂い、排泄物の匂い、そういう人の集まるところにつきものの生活から出る匂いもあまり感じられない。
まるで死者の町のようだ。
俺は思いきって、入れそうな裏口を開けてみた。生活感のある部屋だった。テーブルの上には食べかけの肉が放置され、洗っていない杯や酒瓶、それに雑然と椅子の背にかけられた服や下着。だが、肉片は乾いており、杯のそこに残った酒は乾きかけている。
人はいない。
音がするのもかまわず、次の家の扉を開ける。次の家も、その次の家も。
ここで働いていた人達が暮らしていたであろう部屋には人の痕跡が残っていた。でも、どこにも人の姿はない。
「なんだ、この町は?」
「こっちにも、いない」別の通りで人を捜していたゴローと合流した。「ここにいた人達、誰もいない」
「来て、こっち」サクヤが呼ぶ。
俺達はサクヤの声のする方に走る。
サクヤは奥まった塀を開けて立ち尽くしている。
奥には広い庭が広がっていた。もともとは野菜畑だったらしい。
そこで作業をしている人がいた。感情のない生気の薄い幾人もの人達が働いていた。“ナンバーズ”だ。皆一言も口をきかずに、ただひたすら穴を掘っていた。
「何かあったの?」
遅れて走ってきたリースを、俺は扉から押し出した。
「な、なによ」
「見るな。おまえが見るもんじゃない」
強烈な匂いが漂っていた。隠しようのない死の匂いだ。
扉の隙間から見てしまったのだろう。リースが口を押さえて、よろめいた。サクヤが素早く彼女を支えて、匂いの届かない場所に連れて行く。
俺はゴローと顔を見合わせて、扉を閉めた。
リースが落ち着けるように、比較的きれいな家の中に入って、きれいな水を探す。井戸の水をくもうとすると、ゴローが険しい顔で首を振った。仕方なく、まだ封の切られていない酒樽を見つけてなみなみとついだ。
リースはそれをごくごくと飲んだ。
停滞した時間が流れていた。家の中はとても静かだった。穏やかな朝の光が窓から差しこんでくる。主のいなくなった家の中庭は狭いながらも花が植えられていた。机の上にも庭からつんできたらしい同じ花がまだ色あせずに咲いていた。
「どうする? 監督官。これ以上奥に入るか?」顔色が戻ってきたリースに俺はきく。
リースはうなずいた。
「血とか、遺体とか、もっと見たくない物をみることになるかもしれない。それでも行くか?」
「いくわ」
リースは即答した。
俺達は砦の中に入る道を捜した。おそらく使用人が使っていただろう、裏口のようなところからこっそりと内部に侵入する。そこは厨房だった。人気のない厨房を抜けて扉を開ける。
そこは戦場の後だった。あちらこちらに、血の跡が残っていた。廊下に障害物を作ったのだろうか、家具が山になって積み重ねられている。目の前にある扉を開けようとしたが、中で何かが引っかかっているようで開かなかった。
「奥の方、まだ、戦ってる?」ゴローが首をかしげて音を拾った。
「ここ、術、使いにくい。精霊、いない? 」
サクヤが眉をしかめている。
「たぶん、魔術妨害の結界だと思う。砦とか拠点にはそういう工夫がされていると聞いたことがあるわ」リースが指をかんだ。
「ゴロー、罠があるか確かめてくれ」
ゴローはうなずいて、先に進む。俺達は慎重に先を目指した。
別の大きな扉を押すと、こちらは開いた。中は食堂のようだ。机や椅子が散乱している。大きな部屋だった。はす向かいにも半分壊れかけた扉が見えた。
その脇で誰かがうずくまっているのに気がついた俺は用心して近づく。小柄なまだ若い男だった。“ナンバーズ”、仲間だ。直感的にそう思う。おそらく歩兵種か斥候種なのだろう。
血だまりができていた。これは、もう助からない。そう思った。
しかし、男は俺達の気配に気がついて目を開けた。彼にも敵ではないとわかったのだろう。すぐに目を閉じてしまう。
「おい、何があった」俺は尋ねた。「誰と交戦したんだ?」
確か、斥候種は報告することができたはずだ。
「報告しろ」俺は付け加えてみた。
反応はなかった。
「監督官、あんたが聞いてみてくれ」
リースは男の側に膝をついて、同じことを男に聞いた。やはり、男は答えない。
「リース、彼の監督権を書き換えられないかな? そうしたら、お話ができるのではないかと思うんだ。彼が歩兵種だったら、書き換えることができるんじゃないか?」
リースは首を振った。
「たぶん、上位種だから無理だと思う。それに、わたし、やり方を知らないし。あんた達の時はコルト様が書き換えてくれたの。それに、たしか認識番号が必要だったような気がするの」
「でも、あのクソ技術官は、番号も知らずに俺を殺しかけたぜ」
「彼は上級技術官よ。ナンバーズの組織の上の方の人でしょ。わたしたちの知らないやり方を知っていたんじゃないかな。…それに、あんたの番号は知っていたと思うわ。なんどもあいつの前で番号を呼んだじゃない」
「彼はもう、駄目」サクヤが残念そうにいう。「なにか、いいたい?」
「看取りの儀式、するか?」ゴローがきく。
「なんだよ、それ?」
「人が死ぬときに、する儀式。聖句を唱える、祈る」そんな物があるとは知らなかった。ゴローも生前そうやって送り出されたのだろうか。
「そうだな、聖歌でも歌うか」
死んでいく兵士に俺達ができるのはもうそれくらいしかなかった。
ゴローが聖句を唱え、サクヤが小さな声で歌う。リースは男の手を胸の上で組ませた。
そういえば、今まで一度もこうして仲間を送り出すことはなかった。ただ、殺して、仲間の死体を残して、立ち去って、死んでいった仲間の遺体はどうなったのだろう。俺は頭を下げる。死んでいった者達のために。
俺達が祈り終わるまで、彼らは動かなかった。彼らは何を思って俺達が祈りを捧げるところを見ていたのだろう。振り返ると、無表情な顔が並んでいた。感情を持たない“幽霊”達がそこにいた。
「祈りを捧げていたのか?」
「ああ」俺は答えた。「あんたも祈ってくれていたかな。俺達の仲間のために」
コルト監督官が彼のナンバーズに混じってこちらを見ていた。




