第25話 あたしが、立ちます
水神祭の夕暮れ、浜は人で埋まっていた。
篝火の列、飾り縄を巻いた船団、詰めかけた近隣村の見物人。沖には網元連合の船が3艘、帆を畳んで停泊している。春の海風に太鼓の皮の匂いが混じっていた。
「今年は、祭りができる」
村人の誰かが、そう呟いた。その一言に、皆が頷く。祭りが成立することは、この村に座る者がいることの証明だった。
「灯台守さん、今夜の合図、頼んだぞ」
カメキチが浜から灯台を見上げて叫んだ。祭りの年番の声は、喧騒に負けないほど大きい。
「任せてください。日暮れと同時に、灯を点します」
カイは灯室の窓から応えた。
ランプの周りを1周し、手順を確認する。芯、油、レンズ、分銅。異常なし。
(今日、この灯が祭りの始まりを告げる。俺は、その役目を果たすだけだ)
日が落ちた。
カイは火打ち石を打った。芯に火が点り、ランプが目を覚ます。回転装置が動き出し、規則正しい明滅が夕闇の海に放たれた。
「合図灯、点灯!」
カメキチの声が浜に響く。
「船団、灯を点せ!」
ユウサクの号令で、港の船々の灯が一斉に点った。
「一番船、灯よし。二番船、灯よし。三番船、灯よし。全船、点呼に乱れなし!」
灯台の明滅と、浜の篝火と、船団の灯が、海の上に一つの輪を作る。神輿が担ぎ上げられ、太鼓が鳴り、笛が重なった。
連合の船の上からも、歓声が上がった。重鎮の一人が灯台を見上げて呟く。
「座る者のいる村の祭りは、違うな」
その一言が、近くにいた村人たちの背筋を伸ばした。
カイは灯室から、その光景を静かに見つめていた。日誌を開き、点灯の時刻と、点呼が乱れなかったことを書き留める。祭りの夜も、務めは務めだった。
(回っている。合図が、滞りなく回っている)
それで十分だった。
* * *
祭りの熱気の中、リュウゾウは動いていた。
網元連合の重鎮たちに酒を注ぎ、言葉を選んで切り出す。
「後継の話は、もう決めねばならん。代行の旅人も、そろそろ潮時だ。祭りが終われば、すぐに寄り合いを開く。あんた方にも、証人をお願いしたい」
「連合の証人がいれば、村の信用も戻る。後継の決まらん村と、誰が長い取引をすると思う」
「リュウゾウ、その話は」
ゴヘイが静かに割って入った。
「後継の手続きには、順序がある。寄り合いは、年番と寄り合い長が日を定めて開くものだ。今夜ここで決めたことは、村の決め事にはならん。祭りの最中、酒の席で決める話でもない」
「寄り合い長。皆が集まっているこの場が好機だ。証人も揃っている。進めるなら、今だ」
リュウゾウは食い下がった。
「リュウゾウさん。あんた、手順を飛ばしてるよ」
カメキチが猪口を置いた。年番の顔は、さっきまでの祭りの顔とは違っていた。
「後継は、寄り合いで諮って、手続きを踏んで決める。この村の掟だ。よその網元を巻き込んで決める話じゃない。俺は年番として、この祭りの段取りを預かっている。その祭りを、あんたの工作の場にはさせない」
「年番、しかし」
「今は、海の神様に祈る時だ」
カメキチの声は静かで、有無を言わせなかった。
「リュウゾウ。あんたの焦りは分かる」
ゴヘイが、リュウゾウの肩に手を置いた。
「だが、焦りは祭りの神様に失礼だ。後継の話は、必ずする。祭りが終わってから、寄り合いの場で、きちんとやる。今夜は、あの灯を見てやってくれ。あの灯が、この村の営みの証だ」
リュウゾウは唇を引き結び、灯台を見上げた。暗い海を、灯が規則正しく照らしている。
長い息を吐いて、リュウゾウは頷いた。
「……分かった。今夜は、祈る」
リュウゾウは神輿の列へ戻っていった。
* * *
祭りの翌日、番屋で寄り合いが開かれた。
「後継の話を、始める」
ゴヘイが口を開いた。
「期限の話は、祭りの後まで待つと決めた。その祭りが、昨日終わった。今日は若い衆に聞きたい。灯台守の席に、立つ意志のある者はいるか」
番屋の中が静かになった。男たちが若い衆の顔を見る。ゲンタが少しうつむいている。リュウゾウが何か言おうとして、やめた。壁際では、ツギが身じろぎもせず若い衆の方を見ていた。
「あたしが、立ちます」
声は、番屋の隅から聞こえた。
ウミだった。少女は背筋を伸ばして立ち上がり、まっすぐにゴヘイを見た。
「あたしは、先代の灯台守の孫です。よそ者が祖父の席に座るのが、許せませんでした」
ウミは、深く息を吸った。
「でも、あの人が灯を守るのを見てきました。ゲンタが夜の怖さと向き合うのも、ツギ婆さんが何があっても灯を守り抜いたのも、あたしは見てきた。……あたしは、継ぐとは言いません。祖父の代わりには、なれません。でも、あの灯を、あたしの手で守りたい。それが、あたしの意志です。審査に、立たせてください」
番屋の中が、しんと静まり返った。
ゲンタが顔を上げ、ウミを見て、小さく頷いた。
リュウゾウは、最後まで黙ってウミの言葉を聞いていた。何かを言おうとして、やめて、深く頷いた。
「……お前の意志を、寄り合いで預かる」
ゴヘイが静かに言った。
「審査は、務めで見る。この子は代行の留守の間、ツギと二人で灯を守り切った。その実績は、村の皆が知っている。明日の交替で、ウミに灯を一晩、務めさせる。代行には、手を出さず、隣で見届けてもらう。それで、決める」
カイは番屋の隅で、その段取りを静かに聞いていた。
(最後の一押しは、私にはできない。私にできるのは、隣に立つことだけだ。それでいい。決めるのは、本人だ)
その夜も、灯台の灯は規則正しく明滅していた。
明日の交替を、告げるように。




