第19話 祭りの後まで
三月に入り、海風がわずかに緩んだ。
番屋では朝から寄り合いが開かれていた。議題は前回紛糾した、後継決定の期限の扱いだ。男たちは机を囲み、誰もがリュウゾウの口元を見ている。
「寄り合い長。俺の動議を取り下げる」
リュウゾウが静かに言った。
「先日は、期限を切って後継を急がせようとした。だが、あれは性急だった。……旅人が隣村で、この村の名を上げてくれたことも聞いた。あの男を期限で追い立てるのは、村の恥だ。俺が間違っていた」
番屋の中がしんと静まった。網元の男が寄り合いの席で自分の非を認めるのは、珍しいことだ。
「急にどうした、リュウゾウ。先日はあれほど言い張ったのに」
若い衆の一人が訝しむように言った。
「考え直した。何度もな」
リュウゾウは机の木目を見つめた。
「村の旗が戻らんのは事実だ。だが、焦って埋めた席で村が立つなら、先代の代からとっくに立っておる。……先代への冒涜だ、とゴヘイに言われた。あの一言が、腹に残って離れなんだ」
リュウゾウは一度、拳を膝の上で握り直した。
「ゲンタのこともだ。叔父の俺が急かして、あの若者を潰すところだった。夜が駄目なのは、あいつの怠けじゃない。席には、向き不向きがある。それを一番知っておるのは、俺のはずだった」
「リュウゾウ。よく言った」
ゴヘイが深く頷いた。
「では、後継決定の話はどうする。延期か」
「延期だ。水神祭の後まで、決めずに待つ。春の大市も祭りも、この村の大事な節目だ。その間に若い衆が育つ。ゲンタも、ウミも、灯台の仕事を続けておる。時期が来れば、道は開ける」
「よかろう。後継決定の議題は、水神祭の後に改めて寄り合いで諮る。それまでは、代行に灯台の務めを託す。異論はあるか」
男たちは顔を見合わせたが、誰も反対しなかった。リュウゾウが引き下がった以上、期限を急ぐ声はもう出ない。
「決まりだ。手続きを重んじる。焦らず、しかし怠らず進める」
ゴヘイの声が番屋に響いた。番屋の隅では、書記役の男が延期の決定を帳面に書き留めている。囲炉裏の煙と、男たちの着物の潮の匂いが、低い天井の下にこもった。
男たちが三々五々、番屋を出ていく。その背中を見送りながら、誰かがぽつりと言った。
「となると、祭りそのものが決着の場になるわけだ」
「祭りが終わるまで、静かに済むといいがな」
* * *
その日の夕方、カイは灯台の下でウミの仕事を見ていた。
点灯前の点検だ。ウミは灯台の入口で靴の泥を落とし、手すりを拭きながら螺旋階段を上る。カイが留守にしていた間、ツギやゲンタと当直を回して灯を守り続けた経験が、少女の手つきを確実に変えた。
「灯室の鍵、開けるわよ」
ウミは慣れた手つきで灯室の扉を開けた。以前はどこか遠慮がちだった。よそ者の仕事を「見張る」と言いながら、本当は触れてはいけないものに触れるような緊張があった。今は違う。
(手が迷っていない。あの子はもう、この灯台の仕事を自分のものにしている)
ウミはランプの覆いを外し、芯の状態を確認した。指先が焦げた芯をそっと摘まみ、鋏を入れる。油壺の残りを目盛りで確かめ、分銅の鎖に手をかけて重みを確かめる。無駄な力が入っていない。芯を切る角度が先代のそれに近い。だがそれはカイの教えではない。あの子自身が日誌と記憶から学び取った手つきだった。
「あんた、何じっと見てるの」
ウミが振り返って言った。
「すみません。上手くなったと思って、見ていました。留守の間に、ずいぶんと」
「当たり前だ。あんたがいない間、あたしたちが点してたんだから」
ウミは少し照れたように言った。
「ゲンタと当直を回して、ツギ婆さんも毎晩上がってきて。婆さん、腰が痛いのに無理して。階段の途中で膝をさすってるのを見て、あたし決めたんだ。点検は全部あたしがやる。婆さんには、灯を点けるところだけ見ててもらうって」
「そうだったんですか」
「あの婆さん、あんたが帰るまで絶対に灯を消さないって、意地張ってた。雨の日も、風の日も。……あたし、婆さんに教わった。灯台の仕事は、点けるだけじゃない。守ることだって」
カイは黙ってウミの言葉を聞いた。
「あんたのやり方と、婆さんのやり方は少し違う。でも、どっちもちゃんと灯を守ってる。あたしは、それを両方覚えたい。継ぐとか、継がないとか、そういうのはまだ分からない。でも、灯を守る手つきは、あたしのものにしたい」
ウミはそう言って、ランプの覆いを被せた。その動作があまりにも静かで確かだった。
「あなたの手つきは、もう十分にあなたのものです」
カイは静かに言った。
「私がいなくても、あなたならこの灯台を守れます」
ウミは一瞬だけ嬉しそうな顔をして、すぐに真面目な表情に戻った。
「……あんたがいなくなる話は、今しなくていい。あんたはまだ、ここの代行なんだから」
「そうですね。すみません」
ウミが火打ち石を手に取った。カイは一歩下がり、その手元を見守る。
火花が散り、芯に火が点る。灯がゆっくりと回り始めた。
ウミは覆いから手を離し、灯をまっすぐ見上げた。その目にもう戸惑いはなかった。




