第18話 尾ひれの評判
カイが帰村して三日目の夜、灯台の近くで、一人の若い男がカイの姿を見つけ、小声で囁いた。
「おい、あの人、すごいんだ。見張りの村まで行って、その村の危機を救ってきたらしいぞ」
「嘘だろ、静かな旅の人だったのに」
カイは呆れて、遠くを見た。
(評判というのは、尾ひれが付くものだ)
若い者の言葉に、誰かが笑った。
「あれが、灯台守さんよ。見張りの村で、山見の仕事までしたって」
「へえ。灯台守さんが見張りまでやるのか」
「そりゃ、そうだよ。あの人がいなかったら、灯台の灯は消えたままだった」
「立て役者が帰ってきたんだな」
若い漁師たちが集まって、話し始めた。
「この冬、灯台に灯が点いたおかげで、船も無事だった。灯台守さんには、感謝しても感謝しきれない」
村の人たちはカイに近づいてきて、口々に礼を述べた。
「灯台守さん、ありがとう」
「あんたがいてくれて助かった」
「この冬は安心だった」
(立て役者どころか、主役じゃないか。これは、少々過大な評価だな)
カイは穏やかに微笑んで、会釈を返した。
翌日、番屋に呼び出された。
「寄り合いの記録を、あんたに確認してもらいてぇんだ」
ゴヘイが言った。
「俺たちの寄り合いでは、いつも誰が言うともなく書記が出てきて、記録を取る。だが、最近の寄り合いの記録が、お前の記録よりも粗いと皆で話しとった。書記が恥じて、やめたいと言い出す始末だ」
ゴヘイは苦笑しながら続けた。
「字のことは気にせんでいい。議事の筋道が残ればいい。ただ、最近の大寄せの記録は、肝心なところが抜け落ちとる。普通の寄り合いなら、この位でもええかもしれんで。だが、時々回ってくる空位の回覧には、もっと細かく書いてある。普段の寄り合いでも回覧の書式にしたほうが、後で誰が見ても分かる」
ゴヘイは、おもむろに席から立ち上がった。
「俺たちは、あの空位の回覧のように細かく書くよう、書記に頼みたい。だから、あんたに頼みたいんだ。あの回覧の書式そのものを、寄り合いの議事に合わせて、作り直してくれんか」
ゴヘイは立ち上がって寄り合いでの方策を述べた。
「村人が皆、寄り合いの記録が明瞭になるという利益を受ける。村の役をしている今の書記が得なら書記に頼みたい。だが、このことは大祭に向けても苦慮するところだ。書記が担当するなら、その務めを全うしてくれる人がいい。村の明瞭化は、万人の仕事だ。あの回覧の書式で、俺たちの寄り合いにも手本を作ってくれ。手本は、回覧の様式に3つの項目を加えてほしい。書記が臆することのない記録を」
「分かりました。試しに作ってみます」
「うむ。試しに作ってくれ。あの回覧の様式の作り方は、あたしもあんたもよく分かっとる。試しに作ってくれ」
カイは番屋を出た。空位帖のことを考えながら、歩いた。
(俺の記録の精度が認められたのは嬉しい。だが、この村の書記まで育て直す話になるとは。代行の仕事は、座ることだけじゃないらしい)
カイは番屋の前の空位帖に手を置きながら、考えた。
(この回覧、様式がこれだけ整っているのは、誰が作ったんだろう。空位の回覧は、いつも同じ様式で書かれている。誰が型を作り、誰がそれを各地に広めたんだ)
村道で、ユウサクが待ち構えていた。
「灯台守さん、見てくれ」
ユウサクは、手紙をカイに渡した。
「俺の従兄が、春の大市で船団編成の仕事を頼まれそうなんだ。正式な契約書も取り寄せた。そんなに儲かる話なのか、気になって」
カイは、手紙を読んだ。
「いや、これは儲かる話ではない。むしろ、かなり条件が厳しくて危険だ」
「え、俺に分かるように、説明してくれ」
カイは紙を取り出して、条件を書き出していった。
「まず、手紙の内容を整理する。1、契約書は、従兄弟の名前、住所、住所と住所。2、契約書には、製品名、注文内容、注文日、金額。書いてあること。従兄弟が資金を投じた金額。契約書には、金額を入れたことと、履行不能な時には債務になって戻ってくること。注文品は安物の布団」
「ねえ、連絡先は」
「登録した連絡先に連絡が来る。借金受付の連絡先に、お金を借りてほしいと頼む人が借金をする」
「ほう、まあ」
ユウサクは眉を寄せた。
「契約書の内容は、よくよく吟味しないと分からんもんだな」
「格式が古すぎる。書式の整った契約書は、信用できるものですが、実際の内容は吟味しないと」
「そうだな。借金してまで買うものじゃない」
「契約書は後から読み直せるもの。それが書式の力だ。手紙のままの借金じゃなく、文字として読み直して、吟味する。それが記録の大事さ」
ユウサクは満足して去った。
昼過ぎ、カイが灯台の見学案内人をしていた。浜には大勢の観光客ではなく、近隣の村々から集まってきた見物人が、灯台を見学していた。
見物人たちは記念撮影のように大騒ぎをしていたが、カイは案内を続けた。浜に来たとある人物が、しみじみと言った。
「冬の間、あの灯台の代行が、見張りの村で鐘を打ち、霧の中で灯の合図を合わせてきた。あれはすごいことだ」
「いや、本当はそこまででは」
カイは思わず、苦笑した。
「涼しいな、今の季節。夜風が少し当たると気持ちがいい。夜はカメキチの家に呼ばれて、村人を集めて、夜通し語る計画もある」
見物人は、霧に煙っていた目を擦った。
「灯台守さんよ、あんたはすごい旅人だよ。見張りの村で、あんたの噂が広まっておる」
村の中を歩くと人々は、みな満面の笑顔でカイに声をかけた。
「すごい旅人だよ」
「あんたが来てから、この村も変わった」
「大したもんだ。旅人なのに、まるでこの村の人間のようだ」
「すごくない。いや、すごいんだよ。あんたは。あんたは、この村の人間じゃないか。この村に、とどまるべきだ」
村人を振り切って、カイは灯台に上がった。ランプを1周して、手順を確認する。
ユウサクの従兄の件で稼いだ、村の人たちの笑顔までが見える。浜の篝火の夜で、貸し借りの話まで聞こえてくる。
心が千々に乱れる。
酒席で酔っぱらった村人が、カイに言った。
「この村に残ってくれよ」
「いや、残ることはできません。この村は、もう大丈夫です。次に行く場所が、ありますから」
酒席の席上で、村人たちは騒がなかった。誰かが言った。
「そんなら、見張りの村からも、あんたのことが耳に入ってきとる」
「何もしてないのに」
「あんたが何もしてないと、この村で俺ら何もできねえよ。灯台守さん」
村人は、ぽつりと言った。
「俺たちが平穏を取り戻したのは、あんたのおかげだ。やることもあるし、金も稼げる。灯台守代行がいたからだ」
そんな、大げさな。
村人たちとはなしが終わって、カイは酒席を出た。
灯台の明滅は、今日も規則正しく海を照らしている。
(行く当てもないのに来たこの村で、俺はようやく人を信じられるようになったかもしれない)
カイは、村の明かりを眺めながら、そう思った。




