第17話 三人で点す灯
見張りの村を発つ朝、カイは山の上から海を見た。
霧はすっかり晴れて、入り江が鏡のように光っている。浜では漁師たちが船の仕度をしている。サキチが小屋の前に立って、手を振っている。
カイは深く頭を下げた。それから、鞄の中の空位帖に手を触れた。
(まだ、開いていない。だが、今日、帰ったら――)
帰路は、行きよりも短く感じた。
夕方、灯台の村に戻ると、港には夕日の赤が落ちていた。ツギの小屋に着くと、中から声が聞こえた。「ウミ、油を足して」「はい!」ツギとウミの声だ。
「ただいま戻りました」
カイは戸口に立って言った。
「あら、あんた帰ったかい」
ツギが出てきた。
「ウミもいたのかい。毎日上がってきていたそうじゃないか」
「あたしは毎日じゃないよ。3日に1回くらい。ゲンタは毎日来て、点検の仕方を覚えてる」
ウミが、恥ずかしそうに言った。
「ゲンタ、あの子も変わったね。夜は苦手だと言っていたのに、今は灯台に上がってくる」
ツギが、にっこりと笑った。
「あんたがいない間に、下の当直が育ってきたよ」
カイは、灯台を見上げた。陽はまだ高い。だが、灯りがともる前の静けさが、灯台の周囲を漂っている。
「今日の当直は、どうなっていますか」
「今日は、ゲンタとウミの二人でするそうだ。あんたが戻ってきたから見学してくれと二人で頼んできた」
「二人で。私がいた時と、変わりましたね」
「人は育つものだよ」
夕方、ゲンタとウミが灯台に上がってきた。二人は互いに顔を見合わせて、それから灯台守の椅子を見た。
「俺から先に、見学か」
「あたしが先に点検する」
「あたしと、あんたで交代しながらやるんじゃなかったの」
二人はなんだかぎこちなく、だが楽しそうだった。ツギは椅子に腰を下ろし、二人を見守っている。
「カイさんはいつも、点灯前に核の周りを1周してから点灯するんだって」
ウミが小声で言った。ツギが思わず口を挟んだ。
「あんたは、いつも核の周りを1周して点灯するんだそうだよ。それを、ウミやゲンタが真似している。次に、二人で協力して点灯作業を進める」
ウミは、ランプの周りを1周して、覆いの状態、芯の長さ、油の量、火打ち石の位置を順番に確認していく。ゲンタは分銅の鎖に手をかけて、重みを確かめる。
ゲンタは分銅の巻き上げ機に手をかけ、間合いを測りながらハンドルを回した。ウミは、灯台日誌を作成する机に向かい、昨夜の点灯記録と今夜の点検結果を書き付けていく。
「あの二人も、点灯の手順を覚えてきたな」
ツギは、小声でカイに言った。
「ゲンタは分銅と記録。ウミは点検と点灯。互いに得意なところを受け持っている」
「いいことですね。役割分担ができてきた」
「三人で点す灯だよ」
ツギは、そう言って灯台を見上げた。カイはその言葉に、深く頷いた。
「じゃあ、そろそろ点灯しよう。点呼をするから、下で待ってて」
カイは、灯台の下で三人を見守った。
点灯の時刻が来て、火打ち石を打つ音がした。灯室に柔らかい光が灯る。ランプが回転を始め、規則正しい明滅が始まった。
(灯台守は一人じゃない。この村では、灯を点すのはいつも複数で、時代を超えて受け継がれてきた。俺の代行は、その長い営みの中の、一つの当直にすぎない)
カイは、夕闇に染まる海を見た。船の灯が港に揺れている。ウミとゲンタが、協力して灯を点けた。その灯りの下で、村は今日も落ち着いて眠りにつくだろう。
その日の夜、ツギの小屋で、カイは空位帖を開いた。
表紙を開くと、白紙に近い状態だった。いや、正確には記入がないわけではない。何枚かのページには、薄く文字が見える。何度も書き直したのか、墨が擦れて判読しにくい。
いざ開けてみると、あちこちに記入があることが分かった。空位が起きた集落の名と、席の名と、代行した日数と、誰が空位の情報を持ってきたか、が書かれている。
ページをめくると、その日の出来事が走り書きで残っていた。
(まだ筆跡が安定していないな)
カイは、それ以上深入りはしなかった。
夕方、ツギが来た。
「あんた、その帖、あたしにも見せておくれ」
「どうぞ」
カイは帖を渡した。ツギは黙ってページをめくり、時折ため息をつきながら、しばらく眺めていた。
「よく書けてる。とりあえず、今日のことは書いておくれ。あんたの仕事だよ」
ツギは帖を返しながら、斜めに目を落とした。
「あんたが、今、この村でしていること。全部、書いておきな」
カイは、空位帖を開き、今日のことを書きつけた。
「帰村。見張りの代行を終えた。空位帖を開いて今日のことを書き始めた」
書き終わると、カイはペンを置いた。
部屋の明かりは、灯りと炭火の光が重なって、穏やかだった。空位帖の書き記しは、まだ始まったばかりだった。




