1-5 『人外』
「はぁ……」
ため息をつく。つかずにはいられない。
人外、異能力、世界の危機。
滅浄家、竜の巣、それから――
セカイが退屈でつまらないとは常々思っていたが、だからといって唐突に盤上ごとひっくり返されても困る。情報の量と質が濁流となり、脳が処理しきれていない。
一旦、これまでのこと、廃ビル屋上以降の出来事を整理しよう。
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屋上で言葉の応酬を続けながらしばらく待つと、目の前に”裂け目”が出現した。裂け目、マユイの有する知識から言葉を選ぶと、その表現が最も適切だったと思う。
より具体的に説明するならば、空間に無数の線が現れ、まるで脆いガラスのように音も無くひび割れ、虚空に穴が開いた。廃ビルの可哀そうな窓ガラスを思い出しかけたが、忘れよう。忘れた。
とにかく、その穴の向こうは街の夜景ではなく、本棚の並んだ書斎のような部屋、少なくとも室内であることは一目瞭然だった。
そして、その部屋から――
「――定刻より7分26秒遅延。お迎えに参りました、羅衣様」
「ご苦労だ、兎毬」
ウサギの面をつけた和装の女性が現れた。和服というよりも、巫女服といった印象か。パッと見だが、マユイよりも幼く見える。14か15歳くらいか。
お面のせいで、顔の下側4分の1、口当たりしか見えない。だが、自動応答音声を彷彿とさせる無機質な声の影響だろうか、仮面の下は無表情なのだと容易に想像がつく。
「大変お待たせ致しました、お客様。我が主、竜神羅衣様よりお連れするように申し付けられている故、どうぞこちらへお越しくださいませ」
「相変わらず堅いな、お前は」
リュウジン・ライは 兎毬の横へ移動し、その頭をポンと撫でる。まるで小さな子供をあやすかのような動作に、しかし兎毬の表情が心なしか緩んだように思う。案外、リュウジン・ライは慕われているのだろうか。
「…………」
じっと、見定めるような視線を感じる。仮面越しではあるが、ひしひしと伝わる不信感。いったい何故こんなモブ感全開の一般人がここに、という疑問符が浮かんでいるのだろう。もっとも、それはマユイ自身も同様であり、この目線はマユイではなくリュウジン・ライに向けてほしいものだ。
「どうした、何か俺に言いたげだな」
「質問と文句なら山ほどあるわね。一番言いたいことなら、もう言ったけど」
「俺が嫌いってか?」
「分かってるじゃない」
出会って間もないというのに、既に何度も繰り返している負感情の言葉。辟易するこのやり取りを初めて目にした兎毬には、しかし別の何かが見えているのだろうか、どこか嬉しそうな満足そうな様子に見えた。
表情が見えないため雰囲気でしか分からないが、そんな気がした。兎毬か、あるいはマユイの目が腐っている可能性も無きにしも非ずだが。
「…………」
観察していた目線を感じ取られたのか、精巧な装飾付きのウサギの顔がこちらに向く。無言だが、確実に圧を感じる。「さっさと裂け目通って向こうへ行け」とでも言いたげな。そんな粗野な言葉遣いはしない人物だろうが、含まれたニュアンスは概ね間違いないだろう。
「早急に『門』を通って頂きたく存じます」
「そうだな、長居するとイカれた狂人の襲撃を受けかねんな」
「ええと、なんかごめんなさい」
「いえ、むしろ羅衣様に対して申し上げたのですが」
最後の兎毬の一言を華麗にスルーしたリュウジン・ライが身を翻し、裂け目――『門』を通過していく。無駄に長い手足が穴の縁、ひび割れた空間にぶつかったように見えた。が、何事もないかのようにすり抜けてしまう。見た目と実際の当たり判定がズレているらしい。
その背を追う形で、マユイも『門』の向こうへと長くない足を踏み入れる。胴も通過させると同時、妙に鳥肌が立った。少し冷たい夜の室外の空気から、管理された適温な室内の空気へと境界線で瞬間的に変化し、本来は有り得ない急激な落差に肉体も違和感を覚えたようだ。
部屋は、『門』の外から見た第一印象の通り、四方の壁一面が本棚で囲まれた、アパートの一室程の広さの書斎だった。部屋の中央あたりにマユイは出てきたわけだが、振り返ると、通ってきた裂け目はやはり二次元のように薄っぺらくポツンと空間を侵食して存在している。
『門』という呼び名の通り、やはり、ワープホールの役割らしい。
不意に、目が少し眩む。つい先程までずっと暗がりに居たわけだが、『門』の向こうの書斎は、窓も照明器具の一つも見当たらないというのに昼間の如く明るい。もともと暗所を好む性質であることも相まって、落ち着かない気分だ。
無意識に、ヘアゴムを弄ろうと手が伸びる。が、ただ自分の髪に触れただけだった。学校でしかヘアゴムを付けないし、学校外でそわそわすることもなかったため、初めて己のクセを自覚する。
「ところで、兎毬。コイツの髪の色を答えてみろ」
「はあ?」
前置きも無い、素っ頓狂な質問。思わず、怪訝な表情で声を上げてしまう。
いつの間にか『門』は消え去り、代わりにそこにいた兎毬へと質問が飛ぶ。
確かに、そこに触れるのは分からなくはない。が、文脈が無さすぎる。そのうえ、質問相手が迷走しすぎだ。マユイ本人に聞くならともかく、第三者に見たままのことを答えさせたところで、何の意味が――
「は、はぁ……黒、ですよね?日本人とお見受けしますし、ごく一般的かと」
「いや違うけど」
両者、互いの返答に目を丸くする。一方は仮面を付けているから見えないが。
ともかく、マユイは確かに瞠目した。先ほど何かの拍子に、兎毬の目は腐っているんじゃないか、などと思ったが、その説が本当に信憑性を帯びてきた。
なぜなら。
「私の髪は白。生まれながらの白髪だよ」
――ユキシロ・マユイは白髪である。
聞いた話によると、父親も白髪だったそうだ。先天性のものは珍しく、メラニン色素がどうこうだとか、遺伝するしないだとかいう話も薄っすら聞いたような気がするが、興味が無かったため覚えていない。父親の実際の髪色も含め、真偽はどうだっていい。
今問題なのは、この特徴の塊のような髪色を兎毬が認識していなかったことだ。付け加えるならば、この有り得ない奇怪な現象をリュウジン・ライが予期していたことも。
「『有り得ない』……それは本当か?」
「人の心を読んだような言葉はやめて。気味が悪い」
「お前が分かりやすいだけだ。それはさておき、お前はその白髪を誰かに指摘されたことはあるのか?思い返してみろ」
不快感を覚えつつ、顎に手を当て、言われた通りに日常を回想する。そもそも、他者との会話は基本的に、スーパーで買い物をする際に「ポイントカードはありますか?」に断るくらいだった。会話とは呼べないか。
だが、思い当たる事例が一つ浮かぶ。
今年から同じクラスになり、ほぼ一方的に話しかけられるようになった倉橋さん。常に陽のオーラを振りまき、何かにつけてマユイに話しかけてきていた彼女が、この髪色に一切触れたことは無かった。
事情があるかもと考えて敢えて話題にしなかった可能性も無くはないが、倉橋さんなら、一度ぶつかってみて後から謝るような性格だろう。
根拠は希薄で、確証を得られるわけでは無い。それでもこれを元にするなら。
「認識、できない……認識阻害……いや」
思考のステージが、常識では有り得ない事象の域まで及び、連鎖的に気付くことがある。今日一日だけでも、違和感は多くあった。その全てが、一つの不可思議な現象に起因したものだとしたら。
「……あの時」
夕刻の廃ビル、6階から計2枚の窓をぶち破り、マユイの眼前へと飛び降りてきた大男。
彼が3階の屋内に侵入した時、マユイは全力で狭い本棚裏へと逃げ込んだ。今だからこそ冷静に分析できることだが、あのタイミングではほぼ確実に姿を見られていたように思う。
だが、実際は見つからなかった。
「その後も……」
直後、血迷った大男がマユイと同じ本棚裏へ駈け込んで来た時。彼は、一切スピードを落とすことなく突っ込んできた。まるでマユイと激突することを恐れていなかったようだった。だがそれは、恐れなかったのではなく、何かに衝突するとは思わなかったから、という可能性が浮上する。
「それに……」
最も大きな違和感は、リュウジン・ライの態度だ。大男に引きずり出されたマユイを初めて目にしたあの時、確かにリュウジン・ライの表情には驚愕が浮かんだ。ほんの一瞬ではあったが。ごく短い付き合いではあるが、この男がたいていのことには動じないタイプであることは想像に難くない。
そのうえ、リュウジン・ライはマユイに何かを求めている。唯一無二の役割を与える、とまで言い切った。つまり、マユイには他が持ちえないモノを持っており、それはすなわち――
「……私って、ある種の透明人間?」
「ようやく自覚したか。非常に特殊な事例ではあるがな」
肯定を受けて、深く息をつく。
衝撃も大きい。だが、自分の中で靄のように淀み重なっていた釈然としない出来事の数々、それらが点と点を結んで一つの解答となったことへの晴れやかな気持ちが勝る。
とはいえ、別種の疑問や不審な点も生まれたわけだが。それでも、理解できたこともある。
「だから、勧誘したわけ?私がその、特殊事例の"人外"だから――」
「お前は、人外じゃない。人間だ」
否定。また否定。竜は、マユイが人外であるとすら認めてくれはしないらしい。既に『影』とは言われているが、その真意も未だ不明だ。
「その辺りも含めて、改めて話をしよう」
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「はぁ……」
深く息をつく。
このセカイは退屈でつまらないと常々思っていた。だが実態は、予想以上に複雑で底無しの闇に包まれている。そう、理解させられた。
――人外。
創作物でお馴染みの、ゴブリンや蜥蜴人のような亜人だったり、ドラゴンのようなファンタジーチックな怪物を想像させられるが、それらとはまた異なる。
『人外と呼ばれている存在は、生物学上は紛れもない人間であり、人の形をしている。俺や兎毬のようにな』
ならば、いったい何が彼ら彼女らを人外たらしめているのか。
それは、異常な身体能力、並外れた脳機能。そして。
――異能力、通称
異常と式の造語らしいが、誰がそう呼び始めたのかは不明だそうだ。
アノマラムは、いわゆる特殊能力だ。炎で攻撃したりだとか、重力を操ったりという、バトルアニメや少年漫画のお約束のアレだ。
兎毬の『門』も、彼女のアノマラム《界既月蝕》によって作られたものだ。なんでも、亜空間を生成し、その出入り口を現実の座標と重ねて設定することで、疑似的なワープを行っているのだとか。説明不足で詳細はさっぱりだが。
肉体性能、脳機能、異常式。
これら3つのうち、どれか一つでも異常発達していれば、めでたく人外認定だ。
ちなみに、兎毬はアノマラムのみ、リュウジン・ライはフィジカルと脳機能に特化しているらしい。
人外の能力は先天性のものだが、それ故に生まれた悲劇も多い。
例えば、超人的な腕力を与えられた者は、幼弱なはずの幼少期に思いがけず他者や物を傷つけてしまい、周囲から危険人物と恐れられるケースが多い。
適切な力加減を知るには、一度その力を振るう必要がある。その一度が、フィジカル特化の人外にとっては致命的なのだ。
頭脳の発達の場合でも、結末は大きく変わらない。文字通り人間離れした能力は、一般人からは気味悪がれ、疎まれ、遠巻きにされる。
アノマラムを生まれ持った者など、もはや言及するまでもないだろう。
『――人外は、迫害されるために生まれた。……そんな風に嘆く奴もいる』
少なくとも、"人外"という呼称は確実に、迫害の影響を受けて差別的な意味合いを含んでいるだろう。存在そのものに悲観するのも、やむなしというべきか。
その報復、なのだろうか。
――世界の危機。
今、世界中で多発している武力テロ。その中核を担っているのが、迫害を受けて人間から見捨てられた、人外たちだという。
社会的立場は低くとも、能力は確実に人外の方が上なのだ。反旗を翻せば、勝利を手にするのはそう難しくはないだろう。
だが現実は、世界――いや、国家転覆すらマトモに進行していない。そればかりか、日本は一切の攻撃を受けていない平和大国として、安全神話を築き上げている。
その舞台裏では、大別して、2つの組織の熾烈な攻防が繰り広げられていた。
――滅浄家
世界を憎悪と復讐の炎で焼き尽くし、人外という新たな支配種族による楽園を造り上げんとする者たち。
各国を襲撃するテロ組織の大半は、便乗した普通の人間、あるいは流浪の人外である。統率も、連携も無い、ただの烏合の衆たち。それが世界を脅かす大きな脅威となっているのは。
『崩破……俺と一対一やって戦いになる、唯一の存在だ。アイツの狂気と強さ、それだけが烏合どもをまとめ上げるカリスマだな」
滅浄家とは、崩破を筆頭とする圧倒的な強さを誇る人外の集まり。組織として体系化されているわけではなく、明確にどこまでが滅浄家であるか、その線引きすら曖昧。
それでも、いや、だからこそと言うべきか。アウトローを束ねる敵幹部として、成立している。
そして、それに立ち向かうのは。
日本政府と秘密裏に契約を交わし、限られた特権と引き換えに滅浄家の脅威への対抗を命じられた者。
日本政府に秘密裏に契約を持ち掛け、世界を破壊する滅浄家を滅するための地位を手にした人外。
人に忌み嫌われ追放され、人を守るため同胞を殺す、竜とその仲間。
「――竜の巣へようこそ、雪代真結。お前には、俺の、竜の影になってもらいたい」
竜神羅衣――日本の守護竜は、透明な影に向かって手を差し伸べた。




