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※バカと影は使いよう  作者: 上下 左右
第一章 『竜の国』
3/18

1-2 『愚者ですら在れない』

 見飽きた校門を潜り抜け、いつものように商店街の方へと続く道を歩き出す。

 帰路ではない。放課後に自宅へ直帰したことなど、小中学生の頃も含め、いったい何回あっただろうか。誇張抜きに、片手に収まる回数のはずだ。


 別に、家に帰りたくないというわけでは無い。家に居場所がないだとか、金銭的に困窮しているからバイトに向かっているだとか、そういった事情は皆無である。


 ただ、理由が無いだけだ。


 家に帰ったところで、家族は誰もいない。仮に帰宅したところで、やることは変わらない。最低限の課題をさっさと済ませ、本を開いて物語の世界へと浸る。

 ならば、より読書に適した空間が他に存在するのであれば、そちらへ足が向くのは自然だろう。


 この閑静で物寂しさを覚える住宅街が広がる光景も、高齢者が多い地域にもかかわらず長く急勾配で不親切設計な道も、言うまでもなく見慣れている。目を閉じても鮮明に脳裏に思い描くことができるだろう。


 その先にある寂れた商店街も、マユイにとっては通り過ぎるだけの場所でしかなく、大した思い入れは無い。ここで一度買い物でもすれば、ただの経路以上の思い出ができ、多少は愛着が湧くのだろうか。


 とりとめのない思考に、ふと外部から雑音が混ざり、足を止める。


『……報です。先ほど、アメリカコロラド州のデンバーで、自爆テロが発生したとの情報が、たった今入りました。繰り返します。日本時間午後3時ごろ、コロラド州の州都デンバー、そのビル街で自爆テロが発生しました。現在確認されている死傷者は300人に上るとのことです。日本人の被害者は、今のところ確認されていません。また同時に、武力組織「レボルシオ」が犯行声明を発表しています。アメリカでのテロ行為は、これで今年23回目となります。現地と中継が……』


 音の発生源は、商店街の一画、古びた小さな個人経営の電器屋であった。店頭に並べられた時代錯誤にも程があるボックス型ブラウン管テレビから、文字通りの意味で雑音交じりのニュースが流れていたのだ。


 聞こえてきた内容に小さくため息をつく。平日の全国放送ニュース、その中で急遽流された速報は、もはや緊急で伝える必要性を感じないほどに日常と化していた。


 2034年現在、武力が世界を支配しつつある。世界中、毎日どこかしらの国では革命や改革を謳う武力集団による破壊、殺戮行為が起きている。

 2000年代から徐々に活発になり、2020年代から爆発的に増加した。今では、先進国も発展途上国も、都市部も田舎も、老若男女誰も彼も突然命の危機に見舞われる可能性があり、怯えて暮らすような世界だ。


 ――『平和大国』日本を除いて、だ。


 マユイが生まれた2016年以前より、日本は治安の良い国として知られていたらしい。だがそれはあくまでも、他国と比べて秩序が保たれているという意味合いであり、武力テロや大量殺人の少なさを主題にした謳い文句では決してなかった。


 しかしそれも、過去の話。日本は現状、テロ組織、犯罪組織等による武力攻撃を一度も受けたことが無い。議論の余地もなく、世界で最も安全な国である。


 不可解な点は、なぜ攻撃されないのか、その理由を誰にも説明できないことだ。

 「強固に整備された警備システムによって未然に防がれている」だとか、「侵攻するメリットが薄いから」だとか、果てには「日本という国はテロの温床であり、多数の国際的な犯罪組織が本拠地を置いている」など。様々な説や憶測が飛び交っているが、真相は不明である。


 名状しがたいこの現象は、『安全神話』という言葉で表現されている。本来は、安全であると信じ込むことの危険性を啓発する言葉であったのだが、その意味合いを嘲笑うが如く、今では誰もが日本の安全性を疑っていない。


 いや、疑うという行為そのものを避けているのかもしれない。たとえ理由が不明であっても、現状唯一の安全地帯であることに変わりはない。そこに疑問を挟むことで平穏の崩壊を招くことを恐れ、意識的、あるいは無意識にアンタッチャブルな話題として扱っているのだ。


 そしてそれは、マユイも例外ではない。頻発する武力抗争、その混沌とした輪の外側に在る日本。これらの情勢は、物心ついたころから今日まで続いていて、熟れたリンゴが木から落ちるが如く常識的な知識。それを敢えて疑ってかかる理由が無かった。


 つまり、今しがた聞こえてきた速報も、やや規模が大きいという以外には新鮮味の無い内容であり、どうしても他人事のように思えて仕方ない。

 どこか、次元でも隔てた異なる世界の出来事のような感覚に陥ってしまうのだ。


 ゆえに、数十秒、あるいは数秒という短い時間、古臭いテレビの前で足を止めただけだ。

 驚愕も、悲嘆も、何も感じることなく、マユイは商店街を離れて行った。



␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣



 空に赤みが増してきた午後5時ごろ、辿り着いたのは古びたビルだった。マユイの自宅からは3kmほど離れた、川沿いにポツンと建っている6階建ての鉄筋コンクリート造り。


 マユイの祖父が所有しており、かつてはオフィスビルとして貸し出していたらしいが、現在では小さな図書館――というよりは物置のように使われている。

 祖父とマユイの私物、主に大量の本が置かれており、読書用のスペースや保存食、寝泊まり用の寝具や日用品なんかも多数揃えられている。

 清掃もされているし、こうやって利用もしているわけだが、マユイは勝手に『廃ビル』と呼んでいる。


 いつものように、両開きのガラス戸を引く。梅雨時の生暖かい空気が、室内の少しひんやりした肌触りのいいものへと変化する、この感覚が好きだ。

 それを崩さないよう、自分自身も空気になったかのようなイメージで中へと立ち入り、見慣れた下駄箱と、奥の方に立ち並ぶ本棚を視界の端で捉える。


 今日も、無人だった。


 一応、第三者も自由に利用可能にしているらしいが、マユイ自身以外に人が出入りしているところを見たことが無い。


 当然だろう、何せ、外観はほぼ廃ビルなのだ。そのうえ、図書館と銘打っているわけでもなく、看板一つすら設置されていない。ほんの少し常識を備えた者であれば、足を踏み入れることは100%無いだろう。用事もなく、その辺の住宅のドアを開かないのと一緒だ。


 祖父は、近所の子供なんかが遊び場にするようなことを想定していたらしいが、発想があまりにも昭和すぎる。今の時代、怪しげなボロいビルを探検して、あまつさえそこを秘密基地にするようなわんぱく小学生は絶滅している。

 しょげていないで、むしろ空き巣対策でもして欲しいものだ。


 しかしながら、異様で特殊な事情を持つこのビルは、マユイにとって最高の環境を提供してくれている。


 まず、静寂が保たれている。これだけで優秀極まれり。静謐な空間は、読書という個人で完結する行為に重要な環境、その第一項目である。

 周囲の喧騒から隔離され、外部から干渉を受けないことで、本に内包された世界観を自分の想像力とリンクさせ、自分だけの世界に深く入り込むことが可能となる。


 新しい世界への扉、未知への冒険、現実では決して経験し得ない興奮。これらの疑似体験こそが、小説を読む最大の喜びと楽しさと言える。

 本を読むのが好きな人であれば、きっと共感してもらえるだろう。マユイはあまり人と話さないため、こんなことを語り合った経験など皆無だが。


 だが、ただ静かであればそれで良いというものではない。重要なのは、"趣”のある静けさだ。


 長時間本を読んでいると時々、前触れなくふと我に返り、現実に意識が戻ってきてしまうことがある。飽きたというわけでは無いが、人間の集中力には限界があるのだ。

 そんな時、ページから目を話して顔を上げ、伸びでもしながら辺りを見渡した時に目に飛び込んでくる風景。それも、読書環境においては重要な要素ではないだろうか。


 その点、この廃ビルはマユイの要望を適度に満たしてくれている。


 階段を上り、いつもの2階の角部屋の隅、一つだけ除け者のように離れて置かれた椅子に座る。

 いつも通りだ。 


 いつも通りの殺風景な室内。


 いつも通りな心落ち着く川の音。


 いつも通りに遠くに見える賑やかな繁華街。


 それらを認識し、意識の外側へ追いやり、本の続きを開――



 

 上を見上げる。いつもとは異なる動作だ。

 思わず椅子から立ち上がる。これも、いつも通りではない。


 日常の中でイレギュラーが発生した時、それを無視できるかどうかはイレギュラーの大きさに依るだろう。

 今回の"イレギュラー"は、ビル上階の方からの大きな物音、そして建物の小さな揺れだった。一瞬、地震かとも思ったが恐らく違う。半ば物置になっている5・6階で何かが盛大に倒れでもしたのか、何にせよこの廃ビル内で完結する出来事だ。


 唐突なことで驚いたが、多分、大したことではないだろう。大事な物や高価な物品なんかは置いていなかったはずだ、後で帰る前に少し様子を見ればいい。

 そう思い直し、改めて本を――


「いや、違う……足音が聞こえる」


 耳を澄ませ、意識を集中させて音を拾う。足音は一つ、走り回っているようだが、自身の存在を隠そうとする意思があるように思える。鉄骨コンクリ構造、しかも耐震工事もされていない古い建物だ。もっと大きく音が響いてもいいはずなのに、辛うじて聞こえる程度の反響音しかない。


 もしや本当に、空き巣でも入ったのだろうか。もしくは、本当の意味での廃ビルだと思って入り込んだ浮浪者かもしれない。祖父は入院中だから上階に居るわけなどなく、第三者なのはほぼ確定だ。

 どちらにせよ、か弱い女子高生はそっと逃げ出して助けを呼ぶか様子を見るべき。


 そうすべきだ。


 そうすべきでしかないのに。


 ――ユキシロ・マユイは愚者である。


 『平和大国』日本で生まれ育ち、大規模な武力攻撃はおろか、軽犯罪すら万引きや信号無視くらいしか遭遇したことのない、平和の飼い犬は数多い。

 いざ非常時となれば右往左往するしか能がなく、目まぐるしく悪化していく状況に身を委ね、ただ祈る事しか許されないような弱者も星の数ほどいる。


 ならば、愚か者とはいったい何だ。それすなわち――


「――行ってみよう」


 思い立ったが吉日、即座に行動を開始する。

 足音を、息を、気配を押し殺し、五感を第六感をフル稼働させ、何の役にも立たないであろう読みかけの本を御守りとして抱えて、するりと階段へ這い寄り上っていく。


 自分の存在が侵入者に、世界に知られぬよう、一歩踏み出すごとに足膝腿腰腹胸腕頭、その全ての神経を鋭敏化させ、ほんの少しの息遣いにさえ細心の注意を払う。

 これほどまでの緊張と高揚、いったい何時以来だろうか。生まれて初めてかもしれない。


 3階に辿り着き、一通り部屋を軽く見て回る。おそらく音の発生源はさらに上階だから、それほど注意深く調べる必要は無いだろう。

 実際、昨日見たものと全く同じ光景が広がっており、何の異常も無かった。夕日がカーテンの隙間から差し込み、その赤色が空だけでなく室内も侵食している、それだけだ。


 見回り終えて小さく、誰にもバレないほど小さく息をつく。

 この上、4階以上に向かえば、もしかしたら危険かもしれない。引き返すなら今が最後の機会だ。

 戻れと主張する理性に大胆な行動を阻害され、立ち止まる。


 ――耳障りなガラスの破砕音が、盛大に鳴り響いた。まるで、マユイの停滞を狙い澄ましたようなタイミングで。



␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ 



 ――なぜ。



 行動は迅速だった。

 『ガシャン!』だったか『パリン!』だったか思い出せないが、それを聞いた瞬間、放たれた矢の如くコンクリートを蹴った。足音なんか気にする余裕は無かった。


 目についた物陰、地震対策で天井につっかえ棒が設置された本棚の裏の僅かなスペースに身を滑り込ませた。小柄な体格だとこういう時に有利だ。

 だが、御一人様用のこの空間は、角度によっては丸見えなうえ、奥川は部屋の反対側や通路に繋がらない行き止まり。


 それに気づき、慌てて潜伏場所を変更しようとするも、状況がそれを許さない。



 ――なぜ、ここに来たのか。



 二度目の破砕音、先刻と同様にガラスが割れたその音は、しかし先程とは異なり、発生源までの距離が近かった。


 なにせ、すぐ目の前、夕日に照らされた窓ガラスが割れた、割られたのだから。


 それだけには留まらない。

 破壊された窓、未だ空中で舞い散るガラス片が不吉なほど赤みを帯びたオレンジに染まる中、人影が現れた。

 窓枠部分に足を乗せしゃがんだ体勢で、大きく揺れるカーテンに遮られてシルエットのように見える。


 それを認識したと同時、移動しようと踏み出した足に思い切り力を込め、バネの如く後方へと跳びはねる。本棚裏への強引な逆戻りを実行。

 多少の苦鳴が漏れ出るが、気づかれたか否か、気にする余裕は無い。



 ――なぜ、いつもと異なる行動を取ったのか。



 運の悪いことに、さっきまで窓だった風穴は、マユイの隠れる本棚裏の入り口側にある。そのおかげで即座に人影に気付けたわけだが、見つかるリスクの方がよほど大きい。

 パッと見でバレはしないだろうが、少し覗き込まれたら即アウトだ。


 一連のアクシデントを整理する。

 まず、正体不明の大きな音と、それに伴う建物の揺れ。微かに聞こえる足音の主を追おうと3階を軽く見たところで、上階で恐らく窓が割られた音。その数秒後に目の前でも窓が割れ、その窓枠には人が立っている。


 すなわち、5階か6階辺りで内側から窓を突き破り、重力に従って落下、しかしながら地面に叩きつけられる前に3階の窓を割りながら着地を決めた。それが謎の侵入者の行動ログだろう。

 まるでアクション映画のスタントマンのような行動、にわかに信じがたいが、しかしこれが正解だろう・


 これ以上のことは分からない。これ以上のことを知りたいならば、情報が必要だ。

 見つかることの無いよう、細心の注意を払いながら様子を窺う。


 人影――大柄の男は、既に窓枠から降りて完全に部屋に入っていた。軍にでも所属していそうな、屈強な体躯。しかしながら、その身体はなんだか小さく縮こまっているような印象だ。


 息遣いは荒く、しきりに周囲を見渡す様子が見て取れる。有体に言うならば、『何かに怯えている』といったところか。


 目が、意識が、鮮やかな赤を認識する。大男の左腕からは、かなりの出血があった。


 血。生命の維持を支える象徴的なもの。血を見て、ようやく実感する。


 マユイは、命の危機に晒されているのではないか、と。



 ――なぜ、自らの意思で非日常を選んだのか。


 いつものマユイであれば、「面倒だ」と言って即座に逃げ出しただろう。いや、まったく意に介さず読書を続けていたかもしれない。

 どちらにせよ、危険な可能性に自ら首を突っ込むようなことはこれまで一度も無かった。


 狭い本棚裏に居る今も、いつものマユイではない。心臓に刃を突きつけられているような緊張はあれど、恐怖はさほどなく、むしろこの状況に胸が高鳴る自分がいる。

 でなければ、見つかる危険を冒して大男の様子を見たりなどはしない。


 これは、今感じている感情は、壮大な冒険記を読んでいる時に抱くものと似ているが、リアリティが段違いだ。

 それも当然、読書で得られる高揚感は登場人物たちに感化されて抱くもので、自分自身がその場で直接経験して得るものではないのだから。


 いわば、読書とは感情を借りて楽しむ行為なのだ。


 ならば、これが、この薄い胸の中で渦巻いて煮え滾ってうるさいほどに主張する混沌とした”これ”が、『ホンモノ』なのか。


 ――ユキシロ・マユイは愚者である。

 現実に失望し、物語の世界に憧れ、しかし自身が偽物だと認め、本物を求めて現実で物語のマネゴトをするのだから。


 ――ユキシロ・マユイは愚者である。

 自身が無能であると知りながら、自覚しながら、それでも一時の感情に従って高みを望むのだから。


 ――ユキシロ・マユイは愚者である。

 己が現実について無知であることを肯定しながらも、今この瞬間、現実を物語に見立てて『読もう』としているのだから。


 知恵も無く、力も持たず、経験すら乏しいマユイではこの場を切り抜けられないだろう。

 それでもいい。逃げられるなどと本気で思っていない。


 ただ、何かが欲しかった。


 ユキシロ・マユイは愚者である。そう自身を定義――



「――『愚者は己を賢いと思い、賢者は己が愚かと知る』とは、シェイクスピアの言葉だったか」


 黒い声が響き、時が止まる。

 階段の方へ移動しようとしていた大男は立ち止まり、マユイの自己定義は遮られる。


「逃げ切れる、なんて本気で思っているならば、お前は愚者だ」


 優雅に窓枠に降り立つ二人目の男――黒い男の黒い声が、図らずもマユイの自己定義を否定した。

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