1-12 『そして声が響いた』
長い長い、冗長なほどに延々と続く廊下を3人で歩く。
初めてこのアジトを訪れたとき、超巨大なショッピングモールかホテルを想起させられたが、その感覚は不十分だったとこの数日で思い知らされている。
この場所は、小さな一つの町のように機能している。
総勢三百余名、三桁もの人間と人外がここで暮らしている。その全員が社会からのあぶれ者であり、各々がリュウジン・ライに見込まれて連れてこられている。滅浄家やその下部組織との戦闘を行うのは、竜躯囚を始めとするごく限られた精鋭のみ。その他大勢は後方支援や情報収集を行っているのだ。
さほど多くは無いが、竜躯囚以外の住人と話す機会もあった。料理人や清掃班は行く先々で見かけたし、装備製作班の面々とは顔見知りになっている。名前はまだ怪しいが。
その誰もが、口をそろえて言った。
――竜神羅衣に救われた。
行く当ても無く、生きる意味も見失い、自暴自棄に陥ろうとしていた。自身を否定した社会を恨み、いっそ望み通り全てを滅して、憎悪を浄化する道を選ぶしかないと諦めかけた。
そんな彼らに、竜は道を示したそうだ。悪意に与せず、理不尽に屈さず、未来と尊厳と平和のため、戦いに生きる修羅の道を。
正直、リュウジン・ライが何を考えていて何をしたいのか、マユイには理解が及ばない。よくもまあ、理想も理念も提示しないまま勧誘しようなどと思い切ったものだ。その辺りを確認しないまま受け入れたマユイも大概だという自覚はあるが。
「着いたぜ!」
「着いたよ!」
道中もぎゃいぎゃいと騒ぎ合い、華麗にスルーされようともお構いなしに話しかけていた羽間兄妹が、到着を元気よく息ピッタリと宣言する。こうして並んだ2人の清々しい笑顔を見比べると、血の繋がりを実感させられる。
扉を開くと、そこは体育館のような木造りの空間だった。70~80m四方くらいの広い空間で、仄かに樹木の芳しい香りが漂い、鼻腔をくすぐる。靴を脱いで上がると、肌触りの良いフローリングのひんやりとした感触が足裏から伝わってきて、いよいよ体育気分になってきた。
人に話せば意外に思われるのかもしれないが、マユイは体育は嫌いではなかった。好きでもないが。
適度な運動は脳を活性化させ、気分転換という観点からも勉強の手助けをしてくれる。少なくとも、授業中の無意味な教師の雑談と比べれば、無限倍の意義を有している。
余談だが、体育の授業でもマユイはその影の薄さを発揮していた。二人組を作れという、クラスの日陰者を炙り出し公開処刑する伝統的な指示に対しては、当然の如くペア無し。ぼっちであることを教師にすら気付かれず、独りで黙々とこなしていたものだ。
時折、倉橋さんに気付かれて強引にペアやグループを組まされることもあったが、彼女もライや一颯のように直感が鋭いタイプだったのだろうか。
「体育……学校……なんか懐かしいね」
まだ1週。たった1週間しか経っていない。
木曜の夜に竜の巣のアジトへと連れてこられ、その次の日と月曜から今日まで、計5日休んだわけだ。だというのに、その実時間を吹っ飛ばし、体感時間は1か月くらい。めまぐるしい環境の変化が原因だろうか、日常は既に遠い過去のように感じている。
「というか、今更だけどなんでスズもいるの。医務室空けてていいの?」
白衣に身を包むキョトンとしたアホ顔の少女は、これでも『竜の心臓』などと称されるほどに重要な存在、戦闘能力が無くとも仕事は山積みだと聞いていたのだが。
「ダイジョブだいじょ~ぶ!怪我明け2人をほっとく方がダメじゃな~い?」
「それによ、オレ様っちも新人育成なんて初めてでよ~。スズにも協力してもらうことになったってぇわけさ」
「色々と大丈夫じゃなさそうなんだけど。人選ミスじゃない?」
「せめて今日一日やってから言ってくんねぇか?それ」
無駄な応酬をしつつ、用意を整える。端の方に寄せられていたベンチを移動させたり、動きやすい服装に着替えたり――
「ちょいちょい待て待て嬢ちゃん!ここど真ん中、オレっちの真正面!早まるんじゃねぇ服脱ぐな」
「あ、やっぱ見えてるか。んー難しいね、動きながらだと」
「その練習を今日からやるんだろうがい!」
顔を真っ赤にし、顔をそむけたまま大声で咎める一颯。透明化に失敗すれば確実に反応を示されるだろうと踏んで脱衣をチョイスしたわけだが、それにしても大袈裟すぎやしないだろうか。全裸になったわけでもないし、下着もかなり面積が広く飾り気の無いモノ。
チャラ男の代表格みたいな外見をしておいて、案外こういったことには免疫がないのだろうか。
「オイ無言で続けんじゃねぇ!スズ、こっち来い!嬢ちゃんをどぉにかしてくれぇ~!」
一颯の悲鳴がこだました。
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「それで、マユちゃん、何か言うことは?」
「どこかのタイミングでは着替えなきゃいけなかった。つまり私は悪くない」
「ここキメ顔するシーンじゃないよ!?」
あの後、爆速で駆け付けた涼風によって迅速に服を着させられ、修練場のど真ん中で正座させられてお説教タイムとなった。
完全に体育気分になっていたせいだろう、いつもの癖が出たのだ。影の薄い何をマユイが何をしたところで誰も気にしていないので、体育の際の着替えはいつも、教室で行っていた。男子は教室、女子は更衣室で着替えることになっていたのだが、更衣室が体育館からやけに離れた謎の造りになっていて移動が面倒なのが理由だ。
それを中学と高校の5年と少し続けていたせいで、人前で着替えることへの抵抗が限りなく薄れていたと、今ようやく自覚した。もっとも、目の前でガン見されていようが、下着まで脱がない限り気にも留めないが。
「そもそも、私の貧相な体を晒したところでなんだっていうの」
「そりゃぁ貧相かもしれねぇが、大事にしねぇとな~。な、スズ」
「女の子に貧相って、おにぃサイテー」
「梯子外すんじゃねえ!どっち側なんだよ!」
「もちろん、可愛い子の味方に決まってるじゃんっ!」
ふんすっと腰に手を当て宣言する涼風。「ここドヤ顔するシーンじゃないね」という言葉が浮かんだが、それを口にすると再びお説教に戻りかねないのでチャック。
紆余曲折あったわけだが、これで修行の準備は整ったわけだ。
「その服装は整ったって言えんのか?」
「ライといい、人外って心を読む能力が標準装備なの?」
「んなわけねぇ~。なんとなくそう思ってる気がしただけだよ。それぁともかく」
マユイの頭から爪先まで視線を一通りスキャンさせたのち、胸のやや下辺りで停止させる。
「……その服で合ってんのか?」
「これしか無いんだよね、動きやすい服」
自分でも確認する。真っ白なTシャツ、だが完全な無地ではない。胸のやや下辺りに刻印された、キャラ物のシャツ。それも、ニンジン。もう一度言おう、人参だ。
棒人間のような雑な手足が生え、幼児が付け足したような真ん丸の目は焦点が合わず、狂気すら滲み出ているように感じる。フキダシで台詞も付けられているが、『Go To Hell』とは、なかなか物騒というかロックというか。
「その服、え~っと、変わってる……じゃない、個性的で、意味不明……芸術的で~」
「意味不明で変でしょ。中学の頃にテキトーに買ったヤツなんだよね、これ」
いつぞや、部屋着を買おうと思っていた折に、偶然足を運んだ小さな雑貨屋でこれを見つけたのだ。白髪のお爺さんが道楽で切り盛りしていた店らしい。全体的に絶望的なセンスの品揃えではあったが、それでも幾らかこれよりマシなものはあった。が、なんとなくこのニンジンTシャツを選んだ。
結局、家で過ごす時も基本的には制服を着ていたし、そもそも就寝のためにしか家には寄らなかったので、着ることはほとんど無かったのだが。
中学時点でほぼ身長が止まっているため、サイズも変わらずピッタリである。
「普段着てるワンピースとかは、スッゴ~く可愛いのに」
「ああ、あれは全部お祖母ちゃんが選んだヤツだから」
先ほど、雑貨屋のお爺さんのセンスを貶したわけだが、マユイ自身もファッションセンスの壊滅度合いには自慢だが自身がある。でなければ、あんな店で服など買わない。ゆえに、育ちの良い祖母が勝手に買ってきた服をそのまま着ている。もっとも、そちらもあまり使用していないが。
「ナルホド、道理でな~んか似合ってなかったわけだ」
「間違ってないけどバカにしてる?」
「違ぇ、そうじゃなくてだ。ひらひらしたワンピース着てるより、今の方が嬢ちゃんらしいって話だよ」
「それなら今の服を褒めれば……は無理があるか」
もう一度、自分の服を見る。貶す以外の選択肢がコマンドに現れない。買う時にコレをベタ褒めしていた店主のお爺さんは末期も末期、もう助からないだろう。
「さーてと、歓談はここらに、嬢ちゃんの情操教育は放棄して、そろそろ始めっか!」
「逃げたね~、おにぃ」
「逃げたね、センパイさん」
「無視だムシ!はいそこ2人!こことそこに立って向かい合う!」
強引に推し進められ、指示通り配置に着く。途中から何故か一颯が苦境に立たされていたが、元を辿ればマユイが説教喰らっていたのだ。体よく従っていれば掘り返されはしないだろう。というか、いつまでも無駄話を続けているわけにはいかない。
「ん?私だけじゃなくてスズも一緒に?」
「あぁ今からヤんのは、2人の模擬戦だかんな~」
「ド~ユ~こと?おにぃ」
模擬戦とはまた、唐突な展開だ。とはいえ、揉めている最中にかくれんぼ大会などと言い出すリュウジン・ライよりはよっぽどマシだと言える。それに、今回はある程度意図も推測できる。
「鍛えるっつったって、現状が分かんねぇと何を鍛えりゃいいのかも分かんねぇ。ならば、実践に放り込めば解決よ!」
「それ、解決はしてないでしょう。そのための一歩ってだけで」
「細けぇこたぁいいんだ。まあ、難しいことは考えず、キャットファイトしてくれりゃ~いい」
どこまで深く考えての提案かはやや怪しく思うが、理には適っている。
身体能力を向上させたいとは言ったが、マユイ自身も自分の能力を把握しきれているとは到底言い難い。前提として必要な能力も想像でしかなく、どこまでやれるか未知数。現場を知っている本職に目視で判断してもらうのが一番だろう。
「分かった。ルールは?」
「ステージはこの室内全域、流血沙汰はナシで、武器と異常式もナシ!分かりやすい格闘戦だな。あとはぁ……ま、どっちかが床に倒れるかオレっちが止めるまで継続ってコトで~」
「テキト~だなあ」
本気で殺し合うわけではないとはいえ、初めての戦闘行為。当然と言えば当然だが、他者を物理的に傷つけるための技術など日常生活で学んだことは一切ない。一方の涼風は、基本戦場に駆り出されることはなく身体能力も一般人レベルというが、それでも最低限の護身術程度は竜から教わっていることだろう。
身体能力も戦闘技術も無いマユイに可能なせめてもの工夫があるならば。
「相手の観察、頭を回すくらいかな」
「んじゃ、オレ様っちの合図で始めっけど、準備はいいか~?」
「いつでもお~け~、バッチコ~イ!!」
意識を研ぎ澄ます。冷たく、鋭く、透き通らせて。
「――始めぇ!」
␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣
合図と同時に、涼風が猛然と飛び出す。格闘技の試合で見るようなステップではなく、純粋な走行である。彼女の天真爛漫な性格から、十分想定できた初動だ。
対するマユイは、重心を低めにしてどの方向にでもすぐ動けるよう、その場に足を付けたまま。
「――――」
開始地点の距離は20mほど離れている。一方がその場にとどまり、もう一方が一直線に向かえば、相手の動きを注視する時間は十分稼げる。無論それは涼風も同様だろうが、観察という点においては停止中のマユイの方がアドバンテージは大きい。
右か左か。こぶしか蹴りか。実際に身体を動かすための時間も考慮すれば、観察と判断に要せる時間は合わせてほんの1秒程度。
行動を見極めようとしていることを悟られぬよう、あたかも完全なカウンター狙いであるかのように偽装するために、半身を後方に引き、どっしりと構えているフリを作る。目を見開いたりなどしない。
極限まで思考を加速させ、走馬灯の如く引き延ばされた時間を駆使して視覚から聴覚から嗅覚から触覚から一挙手一投足を逃さない。
「――――」
ほんのわずか右に寄った目線、目に映る警戒の色、若干弱まった突撃の勢い。接触まで、目算あと5歩といったところか。
カウンター狙いの姿勢だと気付いたのだろうか、少し動きに迷いが現れている。
その光景が、ふと記憶の中の光景が脳裏に浮かぶ。それこそ体育の授業の一幕、涼風と同じくとりあえず突進しがちな明るい彼女の顔が目の前のピンク髪の少女とオーバーラップして――
咄嗟に、後ろに引いていた右足を一歩、大きく前へと踏み出す。上半身も戻し、完全に前進の姿勢だ。
それを見るや否や涼風はいったん停止、今度は軽やかなステップに切り替え、小刻みに左右に小さく振りながらも前進はしない。腕もボクシングスタイルを彷彿とさせる形に構える。リズミカルに、しかしテンポを目まぐるしく変えながらいつでも前進も後退も出来る姿勢。
その視線はしかし、マユイの足に向いている。
それを確認したマユイは、また一歩、大きく左足を出して接近する。接触まではあと一歩、しかし涼風は動かない。
スス、と音がした。
「――っは……!」
右足を踏み出し、掴みにかかる。その足が地面に着くその瞬間。
「せや~っ!」
神速、待ってましたと言わんばかりに渾身の足払いをかける涼風。こぶしを構えた腕も、軽快なステップもマユイの踏み込みの直前に消え去り、摺り足の柔道スタイルへと早変わり。柔道ほど密着していないが、多少体ごと足を伸ばせば十分射程圏内、スタイルに縛られない技だ。
前方へ大きく体重移動していたマユイは、その荷重の大半を支えるはずだった右足を大きく外され、そのうえ身体も掴まれ、為す術無く倒れ込――
「残念賞」
「ふぇ?」
掴まれていた腕に力が込められるより早く、自身の腕で払いのけ。
内側に払われた右足を素早く地面に打ち込み、つま先立ち。
外側に重心が大きく傾いた勢いを、バランスを保ったまま利用して全身丸ごと素早く回転。その最中、左足を大きく伸ばし――
「はっ!」
マユイに届かせるために長く足を伸ばしたことで、涼風にも隙が生じていた。足払いに失敗したまま体勢を戻しきれず、軸足に全体重が載っている。それを、回転の勢いのまま伸ばされたマユイの左足に引っ掛けられ、支えを失う。
形勢逆転、涼風の身体は完全に傾き、もはや持ち直せはしない。
マユイの勝――
「うおおぉ!」
「わっ」
倒れ込む直前、払い除けられた腕をもう一度懸命に伸ばし、マユイをがっちりホールド。力任せの道連れに、マユイのパワーでは振り切れず、たかだか40kgの体重では踏ん張ることも出来ず。
ドスン、となんとも華のない衝撃音が修練場に響いた。
「は~いそこまで!両者同時、引き分けかなこりゃ」
床に打ち付けた体の痛みを感じつつ顔を上げると、頭を掻きながらそう告げる一颯の困ったような顔がすぐそこにあった。
次いで真横、ほぼ抱き合っている状態の涼風を見遣る。
「………………」
綺麗な金糸雀色の瞳が、ほんの10cmくらいの距離でパチパチと瞬いている。
ポカンと開いた口を見てまたアホ面という単語が浮かんだが、今回はそうも言えない。きっと、マユイも同じ表情をしている気がする。
「ぷっはっ!あぁっはははっははっ!」
「……ふふっはっははっ」
満面の笑みで大笑いする涼風と、小さく、しかし確かに口元を綻ばせるマユイ。
2人の少女の声が、先ほどの衝撃音よりも綺麗に、そして大きく響き渡った。




