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※バカと影は使いよう  作者: 上下 左右
第一章 『竜の国』
12/18

1-11 『横っ面をはたくために』

 目を覚ます。


 見知った天井、見知った壁、見知った床、見知った内装。

 全てに覚えがあるというのに、どこか落ち着かない気分だ。そう感じ、起こしかけた上体を逆戻りさせ、二度寝の構えを取る。が、後頭部が枕に触れた途端、先ほどよりも一層強く、明確な違和感が背中をむず痒くさせる。


「はあ、枕くらい持ってくるべきだった」


 仕方なくベッドの上で胡坐をかき、ひとりボヤく。その声が部屋の端まで届いたか、怪しいところだ。なにせ、マユイに割り当てられたこの個室は、豪邸の広間ほどの面積を誇るのだ。既にここに移住して数日寝泊まりしているが、落ち着かない以前に持て余している。


 自宅から必要なものは移したが、それも最低限だけ。引っ越しの準備など常日頃用意しているはずもなく、細々とした日用品やバリエーションの乏しい私服、お気に入りの本なんかをテキトーに見繕って投げ込んできただけ。その他必要な物は全て、ウサギの面の少女――兎毬(トマリ)に頼んで用意してもらっている。

 とはいえ、元々私物は少ない方なので、これ以上となると部屋丸ごと移し替える大工事になるのだが。


 マユイの要望通りにモノクロトーンのモダン風で、分不相応とはいえ広壮な部屋を用意して貰えたのだ。これ以上、些細な点を取り上げて不満など垂れているわけにもいくまい。

 仕方ないと割り切りつつ、ベッドから降りる。


 マユイが竜の巣に来てから、数日が経過していた。


 この間、身の回りを整えたり、ここアジトを見て回って幹部メンバー以外にも挨拶をしたりと、訓練らしいことは未だ何もしていない。入団テストの最後にマユイが身体を痛めたことや、指導監督を務めることになったチャラそうな男――一颯(イブキ)が療養中であることなどを理由に、自由期間となっているのだ。


 それ以外は、カフェテリアのような場所で説明を受けたり雑談をしたり、そうでなければこの自室でぼんやりするばかり。


 有意義なことを何もしないのはマユイの常だが、それは今までの話。正式に集団に属し、意味のあるであろうことを為そうとするのに、仕事をこなさずにいれば流石のマユイも気まずく感じる。

 とはいえ、一颯の負傷はどうしようもないし、マユイ自身の身体も未だ完全回復していない。仕方なく、暇を贅沢に享受している。


 まったく、この痛みには困らされている。筋肉痛に近いのだが、あの時マユイが行ったのは激しい運動どころかただの棒立ちだ。強いて呼称するなら、存在――魂的なものをぞんざいに扱った結果なので、安直だが魂痛といったところか。

 当初はピンク髪の少女――涼風(スズカ)に支えてもらわなければ歩行すらままならなかったが、数時間も経てばただの激痛までに緩和し、数日経過した今、ようやく治まりつつある。


 立ち上がり、軽く伸びをして歩き出す。現在時刻は午前5時30分過ぎ、窓の一つもないため時間感覚が狂いそうになるが、いつも通りの起床時間だ。

 洗面所へ行き、蛇口の頭辺りに軽く触れる。スタイリッシュな形状の蛇口から噴き出す冷たい水で、顔を洗う。


 タオルで拭きもせず、ポタポタと水滴を垂らしたまま、正面の鏡が提示する自分の姿を見る。


 少し寝癖のついた肩まで伸びる霜白の髪、幼少期の影響か伸び悩んだ背丈、まるで何も見えていない虚無を孕んだ瞳。

 見知った自分。見慣れた自分。だが。


「――あなたは誰」


 他人のように思えてしまう。現実のマユイが右手を上げれば、鏡の中のマユイもそれに倣う。間違いなく、そこに映るはマユイ自身だという証拠だ。それでも。


「あなたは誰」


 それでも、親近感のようなものは一切湧かない。だから、鏡は苦手だ。


 中学生の頃、『鏡に向かって「お前は誰だ」と問いかけ続ける』というようなことを日課にしていた時期があった。ネットか何かで、お手軽な精神崩壊の手法だと聞き、興味本位でやってみたのだ。毎日朝晩50回ずつほど、3年くらい続けてみたが、良いルーティーンになってくれた。高校受験の時なんか、勉強に集中するのに役立ったものだ。


「あなたは――やめ。飽きた」


 床が水浸しにならないうちに中断し、タオルを手に取る。滴った水玉を拭き取り、寝癖を最低限直して、洗面所を後にする。


 寝間着姿から着替え終わるとほぼ同時、コンコンコンと、扉を丁寧に叩く音が響く。


「失礼します、真結様。朝食をお持ちしました」


 向こう側から、丁重な幼い声が聞こえてくる。話す機会が比較的多かったため、声だけで兎毬だと判別できるまでに至っている。マユイにしては大進歩だ。

 返答し、扉を開いて招き入れる。巫女服の少女の手には、和を象徴するような食事が載った盆があった。


「わざわざ持ってこなくていいのに」


「ですが、わざわざ持ってこなければ食事を摂りませんよね?」


 身長の低いマユイよりもさらに小柄な彼女だが、どこか断り難い圧を感じるのは気のせいではないだろう。相変わらずお面に阻まれて顔は確認できないが、その下からジトーっとした目で見られている気がする。


「別に、一食くらい抜いたって」


「初日もそのように仰っていましたが、それで何食抜きましたか」


「えっと、どのくらいだっけ」


「――八食。二日半もの間、何も食べませんでしたよね?」


 一歩、詰め寄られる。


 確かに最初の2日、何も食べずに過ごしていた。料理担当もいるようで、頼めば食事は作ってもらえるらしいし、キッチンは自由に使えるため自分で作ることもできた。が、単純にあまり空腹でなかったので食べなかった。

 業を煮やした兎毬に無理やりねじ込まれなければ、もう1日は記録を伸ばしていたことだろう。


「食事はご自由ですが、真結様は度が過ぎます。使用人として見過ごせません」


「分かった、ちゃんと食べるよ」


「近々、基礎身体訓練が始まるのですよね?三食摂らなければ、体が持ちませんよ」


 もともと少食な方で、2,3日何も食べないことも多々あった。食べるとしても、食パン一切れや栄養補助食で済ませたり、一時期はサプリメントオンリーだったこともある。

 食事は生活の彩りなどと言うが、マユイにとってはただの栄養補給の行為でしかない。味覚は正常に機能しているし、美味しいものを食べれば美味しいと感じる心はある。が、美味しいこと、食事を楽しむことに意味を感じられない。


 とはいえ、彼女の言う通り、体作りのためにも今後は規則的な食事を摂る必要があるだろう。これも、修行の一環といったところか。


 恭しく一礼して去っていった兎毬を見送り、卓上で食事の用意をする。用意と言っても、受け取った盆を置いて箸を取り出しただけだが。

 湯気立つ白米に美しく巻かれた卵焼き、香ばしい鮭の塩焼き、豆腐とわかめの味噌汁。家庭科の教科書に載っていそうな品のオンパレードだ。


 心の中で小さく「いただきます」と呟き、手を付ける。

 いつも通り美味しく、いつも通りどうでもよかった。



␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ 



「おっっはよ~!調子はどう? ご飯はちゃんと食べた!? 今日はどこ見に行きたい!!?」


「おはよう、スズ。聞くなら一つずつにしてほしいかな」


 朝から天真爛漫テンションMAX、質問を重ねるたびに声のトーンが上がっていくサイドテールの少女――羽間涼風(ハザマ・スズカ)に、苦笑しながら挨拶する。

 裾が床に触れそうなほどぶかぶかな白衣を着た涼風を目にするのも、初めは違和感があったがもう慣れた。ここは医務室で、彼女は回復担当(ヒーラー)なのだ。


 詳細は聞いていないが、涼風の異常式(アノマラム)が治療手段に応用できるようだ。自己回復能力を持つ者はそれなりにいるが、他者に適用できるのは非常に稀少だとか。たぶん、それが理由で『竜の心臓』などといういかにも重要そうな呼称を与えられているのだろう。

 本人はアホ毛を立てて能天気な顔をしているというのに。


「ど~したの?あたしの顔じっと見て、何かついてる~?」


「米粒がついてるね」


「えっ!ウソ~!?どこどこっ!?」


 少なくとも、目を白黒させてあわあわしながら顔をペタペタする姿からは、キーマンとしての威厳は欠片も感じられない。


「オイオ~イ? オレ様っちは蚊帳の外ってか~?」


「あ、いたんだ」


「ひっでぇお嬢ちゃんだ。最初っからベッドに寝転んでたってのによ~」


 おーいおいおいと似合わない泣き真似をしてみせるのは、治療のためここにいる羽間一颯(ハザマ・イブキ)。革ジャンは脱いでシャツ一枚になっているが、意地でもサングラスは外すつもりが無いらしい。


「オレっちもよぉ~やく全快だってっから、今日から修行開始ッ!ってことで~ヨロシク!」


「ノリ軽くない?まあ、問題ないよ」


 上半身を起こし、歯を見せて笑いながら親指を立てる一颯、それを横目に呆れた顔を見合わせる少女2人。

 突然もいいところだが、特に予定らしき予定はないため問題なし。むしろ暇と広い部屋を持て余していたところだ、ようやく訪れた機会を有難く思う。


「というか、連れてきた本人が担当するのが筋でしょう。テストを終えて以来、あのバカ、見かけてすらいないんだけど」


「あのバカって……まさかァ、羅衣のことじゃあねェよな」


「他に誰がいるの?」


「ぷふっ!あっははっ!!」


 聞いていた涼風が腹を抱えて笑い出し、一颯も「ハハ、マジか~」と遠い目をして引き攣った笑みを浮かべている。

 それほどおかしいことを言ったのだろうか。誰彼構わず罵倒するような趣味は無いので、マユイがバカ呼ばわりするのはリュウジン・ライくらいなものだが。


「だって、そうでしょう。自分で連れてきておいて、説明不足にも限度がある」


 言いつつ思い浮かぶのは、学校や住居等に関する手続きの話になった時のことだ。


 当然と言えば当然だが、このような非合法な活動、ある種の仕事をするのだから、学校になど行っていられない。今ここに住んでいるように、転居もした方がいい。その決断をすること自体は躊躇ゼロだったが、手続きをどのように進めるべきかと勝手に悩んでいた。


 そしたらなんと、羅蓮がどこかに電話を一本入れると「これで問題ない」と言い出すではないか。その後聞いたところ、『竜の巣』およびその所属者は日本政府から秘密裏に特権を与えられており、大抵のことは電話一本でどうとでもなるとのこと。

 役所的な情報処理を筆頭に、個人情報の閲覧、警察組織への命令、挙句、活動上必要な範囲での殺害行為までもが許可されている。それもこれも、竜の巣、ひいてはリュウジン・ライこそがこの『安全大国』日本の最後の砦、唯一にして絶対なる守護竜であるからこそ実現されている。


 恐ろしいのは、日本政府に対して交渉を持ち掛け、これらの権力を有する組織を実現させた7年前、リュウジン・ライは11歳だったという事実。

 これだけで、あの守護竜が名実ともに怪物であると理解できるだろう。


 他にも、後から他者の言葉によって判明した事実は多々あるし、未だ不明な点も星の数。それを全てほったらかしてトンズラとは。


「凄いのは間違いないけど、でもバカじゃない」


「嬢ちゃん、オレは今、心から本気で尊敬したぜ。スゲェよ、大物になるな~こりゃ」


 神妙な顔をして、パチ、パチ、とゆっくり拍手をする金髪の男の姿は、いっそ滑稽に思えるほどに真剣であった。

 妹の涼風も同じ様子なのかと思い、目を向ける。そこにあった表情は、むしろ今のマユイにそっくりだ。鏡でもあれば、それをはっきりと確認できるに違いない。


「はあ、そういうヨイショはいいから……結局、ライはか弱い新人を放り出して何してるの?」


「アイツもあれで、多忙を極めてんだよ。オレ様っちぁ、ここ来て3年ちょいだけぇど、アイツが寝てるとこなんか見たことねぇな~」


「そもそも、アジトに居ること自体、珍しいしね~」


「最近、どこもかしこも大盛況だ。羅衣のヤツ、宗教やら政治絡みのメンド~な案件も抱えてるらしいしな~」


 うんうん、と頷きながら賛同し合う兄妹。どうやら、竜は神出で鬼没なようだ。

 思えば、最初の日に出会ったメンバーは、ここにいる2人と兎毬以外、慌ただしく各地へと飛び回っているようであまり顔を合わせていない。トップであるリュウジン・ライがそれ以上の過労スケジュールであることは、考えてみれば当然かもしれない。


 ”竜躯囚(りゅうくしゅう)”と呼ばれる、竜の巣のいわゆる幹部メンバー。竜の一部を称号として与えられた実力者。好き放題に暴れる野良の人外や国家を攻撃するテロ組織に対抗する中核を担う彼らに、休息らしい休息は無いのかもしれない。

 『竜の影』になったマユイも竜躯囚の一員という肩書きも背負うことになったが、今のところ惰眠を貪っているだけなので、余計に気まずさが増している。


「それを払拭するためにも、修行しないとね」


「ところで嬢ちゃんよぉ~」


「なに?」


「嬢ちゃんの能力と任務を考えりゃあ、筋トレやら動体視力なんかはそんな重点置かなくたってよくね~か?」


 一颯が問うてきたのは、修行に関する内容。彼が考案したものを昨日提示され、その際に要望を伝えたのだ。基礎身体能力の向上を目的としたメニューを増やしたい、と。

 もちろん、能力の制御訓練も十全に行う。どちらも怠るつもりは無い。


「こう言っちゃ~なんだけど、普通……って表現は違うか、まあ~なんだ、人間のマユイが肉体を鍛えても多分通用しないぞ?」


「それでも、インドアの運動不足よりはよっぽどマシになると思うよ。それに」


 腕を肩の高さまで上げ、自分のそれを観察する。陽の光にほとんど晒さずに真っ白で、細く平たく、ぽっきりと折れてしまいそうな頼りない棒切れ。

 それを軽く振り、自分のか弱さを再確認しながら告げる。


「――いつか、竜の横っ面を(はた)いてやろうと思ってね。そのために、少しでもパワーは欲しいな」


「やっぱ、嬢ちゃんは大物になりそうだなぁ~こりゃあ!」


 ユキシロ・マユイが影になって、はや1週間。新たな生活が、本格的に幕を開ける。

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