1-9 『白と黒の二ヒリゼーション』
――それは、捜索開始から3分半経った時のことであった。
「これは……いよいよ、可笑しなことになってまいりましたの」
「そ、そうだね……真結さんは人間だって聞いてたけど……ア、異常式じゃないんだよ、ね……?」
普段から比較的悲観的な性格である蒼雅だけでなく、マイペースな純玲までも、不安に駆られ始めている。
「……なら、いやでも……」
気だるげな態度が目立つ零次も、思うところがあるのだろう。ブツブツと呟きながら、珍しく真剣な表情で深く考え込んでいるようだ。
ローラー作戦は無事失敗し、最上階である6階に全員を集めたところだ。
しらみつぶしに各階層を足で探し、2隊でダブルチェックも行った。
要した時間は3分。人間には短いだろうが、人外、その精鋭中の精鋭たる羅蓮たちにはむしろ長すぎるほどだ。端から端までじっくりと調べ、死角となる箇所の一切を露わにさせるには十分すぎた。
それでも発見が叶わなかったことで、戸惑いが広まっている。それはいい。想定内だ。
重要なのは、この困惑を即座に鎮め、次善策を講じること。
「――1分だ。皆よ、1分で情報共有と作戦立案を同時に行おう」
「「「 了! 」」」
羅蓮の一言を聞いた途端、3名の目つきが変わる。
どのような苦境であろうとも、仲間を守り、率い、突破口を示し続けてきた羅蓮の言葉には、信頼という名の重みがある。特にこの3名は羅蓮に次ぐ古参であり、数多の戦場を共にしてきた。
過度な励ましや慰労など、不要だ。ただ、次のフェイズを進む意思を見せてやるだけでいい。それだけで、彼らはついてきてくれる。
「現状最も考えられるのは、真結嬢が異常式完全耐性の体質であることだ」
「ですが、それだけでは説明が付きませんの」
「姿が見えないだけじゃあ無いなぁ。ほんの薄っすら埃が溜まってるが、足跡は一切ないねぇ。音も匂いもだ」
「み、”水”の履歴を辿ってみたけど、入口から入った瞬間しか確認、できなかった……」
「透明になっている、ということですの?五感だけでなく、アノマラムすら干渉できないような形で」
「真結さん自身がアノマラム持ちって、か、可能性は……?」
「100%有り得ないとはぁ言わないけど、ないだろうなぁ。なんせ、羅衣が否定してんだぜぇ」
「総じて、我々の常識が通用しない手合いということだ。故に、想像の跳躍、発想の転換が要されることとなる」
「想像力、ねぇ……ちょぉど僕ら4名に欠けてるモンじゃんかぁ」
「私を含め、皆さん、緻密な理論を編むことを得意と致しておりますものねえ」
「それを考慮しての人選だろう。羅衣はここまでの展開を全て予期していたのだろうな」
「じゃ、じゃあ逆に、真結さんを見つけられそうなメンバーって、誰かいるの、かな……?」
矢継ぎ早に意見を出し合い、疑問に答え合い、話を展開して整理していく。そして、最後に蒼雅が呈した問いに、全員が沈黙し、考えを巡らせる。そして、
「「「 ――羽間一颯……! 」」」
解答が、一致する。
もしこの場にいたならば真結を見つけ得るであろう者、それは竜神羅衣か、そうでなければ羽間一颯であると。
竜神羅衣は規格外が服すら着ずに走り回っているようなものだから、参考になどなるはずもない。
したがって、羽間一颯の方を攻略のカギにする。
「理論を越えた直感、野性的に鋭いカンの良さ。五感が機能しないなら、そぉいう第六感みたいなのが必要だねぇ」
「ですわねえ。とはいえ、意識してできるものでもありませんの」
「そ、そもそも、それで感じ取ったとしても、『見つけた』ことになるの、かな……?」
「今は考えても詮無いことだ、捨て置こう」
時間を意識する。
1分と予定していたが、思いの外頭を悩ませてしまい、作戦会議開始からもうすぐ1分半が経とうとしている。
この程度の簡単な管理すら疎かとは、隊の指揮役として不甲斐ない。が、反省も後回しだ。時間が惜しい。
――残り時間、5分。折り返しが迫る。
折り返し。そう、時間はまだ半分以上残っている。しかしながら、時間をかけてどうにかなる相手ではないと、この前半戦でよく理解させられた。
否、前半という表現では生温い。開始直後、異常式で即座に補足し、その後の対応を試そうなどという高慢な考えを打ち砕かれた時。あの時点で、既に勝敗は決し――
「――!」
ふと脳裏に過る、既知の感覚。
それは、先ほど感じたばかりの未知の感覚。
明らかにそこには存在しないはずの存在が、いるかのような感覚。
意識を集中させなければふっと消えてしまいそうな、一瞬の記憶の中にしかない頼りないその感覚を手繰り寄せながら、羅蓮は仲間たちの顔を見据える。
「私の我儘に付き合ってくれんか、皆よ。――捜索箇所を、1Fの玄関正面に絞りたい」
事実と理論に基づき、王道を往く。
その、羅蓮の信条に反する提案を敢えて持ち掛ける。
「アノマラムによる探知を諦めた時のことだ。先述した地点にて、異様な感覚に襲われたのだ」
「なぁるほど、羅蓮はそれが、真結に対して働いた直感だってぇ思ってんだろぉ?」
「な、なら、ボクは賛成するよ。今、それが唯一の手掛かり、だから……」
「私も異論はありませんの」
三者、異口同音に羅蓮への同意を示す。それは、思考放棄でも、責任転嫁でもない。
彼らは、簡単に命が吹き飛ぶような本物の戦場であろうと、意にそぐわない内容であれば平気で反論してくる。まったく、生意気な後輩たちだ。
その後輩たちが賛同したならば、それは彼らの確固たる意志で間違いない。彼らの論理、あるいは直感が正しいと思ってくれたのだ。
「皆よ、行くぞ。――二分で正確な地点の特定を済ませる」
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息を吸う。
息を吐く。
それでは不十分だ。
呼吸とは、生物が行う動作である。こんな遮蔽物も無い空間に堂々と生物が突っ立っていれば、見つかってしまうではないか。
ゆえに、呼吸の禁止を己に課す。
空気を動かす。
大気を揺らす。
それでは不十分だ。
本当の意味で酸素の供給を停止してしまえば、ただの人間でしかないマユイは死んでしまう。供給のためには空気の移動が必要となる。
だから、限りなく自然に行う。空気の流動に身を重ね、自分自身が空気と化したイメージを強く抱く。
蠢く空気となる。
揺らめく大気と成る。
抱いたイメージを、現実へと昇華させる。
人体を空気へと物質的に変化させるような錬金術は習得していないので、空気には成れない。なんてことは忘れよう。
なぜなら、錬金術なんかより遥かに異常で、異質で、無法極まりない力がマユイにはあるのだ。たぶん。
そこかしこに存在する透明で不定形な流体へと身を委ねたなら、次は。
――虚無そのものへとなる。
自身の姿を、音を、匂いを、味を、触感を、存在を。それを秘匿したいのであれば、存在そのものを消去してしまえばいい。だが、完全に消去してしまえばそれは死だ。
生きながら死ぬ。死にながら生きる。
可視と不可視。生と死。存在と非存在。全ての境界線を溶かし、侵食し、ぐちゃぐちゃにメチャメチャに曖昧に崩壊させ破滅させ消滅させ。
しかしながら、問題がある。空気も、その次のステージである虚無も、思考などしない。思考能力を有する限り、真に無へと至ることは有り得ない。『我思う、ゆえに我有り』という格言の示す通りだ。
ならば、思考を捨てるか。
断じて否。
――虚無主義、という哲学的な考えがある。全ての物事には、意味など無いというものだ。
マユイは、ニヒリズムは本質を捉えていると考える反面、意外にも好きというわけでは無い。
「だって、浪漫に欠けるじゃない」
理由を問う。意味を求める。それはマユイの信条だ。だが、それは無意味無価値だと断じたいためではない。意味がある、理由があると思いたいから。そう思わせてほしいから。
だから、存在を虚無に帰そうとも、思考を止めるだなんてしたくない。
それに、実用性を考えるならばなおさらだ。
ただ隠れられればそれでいい、などという状況は極めて稀。潜伏したうえで目的を達成することが求められる場面を想定すべきだ。
そのような状況想定において、思考能力を放棄するなどそれこそ本末転倒というもの。
ゆえに、ユキシロ・マユイは目を開く。虚無のイメージを抱くのに瞑目は役立つが、その状態を維持し続けはしない。
暗闇の世界に逃げ込んだつもりになったところで、視覚情報を遮断する無能が棒立ちしているだけだ。
他者からの感知は拒否し、周囲に対しては五感を研ぎ澄ます。素人の人間であるため不恰好だろうが、最大限研ぎ澄ます。
――全て見ていた。
潜伏開始から1分が経過した時点、予定より4分も早く羅蓮率いる4人が玄関口から入ってきたことを。
――全て聞いていた。
彼らが信じられないスピードで移動しながら、各階層を調べ上げていくその足音。情報共有を行う声。
――全て感じていた。感じている。
数分ほど経過した今、見当をつけたのだろうか。上階にいたはずが、全員揃ってここ最下層まで降りてきて。
羅蓮の体が、マユイの身体をすり抜けた。
␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣
「――――」
2分も要することはなかった。想定の半分、1分ほどで真結の居場所は掴めた。
「……この感覚、先ほどと同じだ」
ほんの数分前に感じたものと全く同じ、悪寒のような背筋の凍るような、全身の産毛が逆撫でされるかのような不気味な感覚。
羅蓮の直感、第六感を頼りにした強引な捜索だが、その効果はすぐに現れた。
「先ほどと、寸分違わず同じ地点。すなわち、最初から真結嬢はここにいたのだろう」
「だ、だけどやっぱり、見えないね……」
「それに、触れることも叶いませんわねえ」
ビルの1階、正面玄関。扉からほんの5、6m離れた地点。廊下の中央、本棚が並ぶ部屋と階段への分岐点のど真ん中が、羅蓮が特定したポイントである。
一見、何もない。手を伸ばしたところで、透明な”何か”にぶつかることも無い。それでも、羅蓮の生存本能が警鐘を鳴らすのだ。このポイントは危険だと。
それを理解し突き止めたところで、遥か高くそびえる新たな壁が待ち構えている。
――干渉不可。
かくれんぼ、という遊戯を羅蓮は経験したことが無い。とはいえ、知識としては当然持ち合わせている。
ゆえに、この”技”がかくれんぼにおいて反則級であると重々理解させられる。
かくれんぼにおいて、捜索側は潜伏者を発見したことを宣言することで、勝利条件を満たすらしい。その勝利宣言のためには、発見という行為が必要であるわけだが。
「現状、『見つけた』とは呼べないよねぇ」
位置は特定した。しかしそれはただの直感でしか無く、存在の証明になどなるはずもない。ならばどうするか。
「我らの知る限りではあるが、この怪奇現象に対抗し得る力があるとするならば」
「異常式、ですわね」
「でもぉ、素直には通じないぜぇ?」
「そう、だね……――そうだね」
雲を掴むよう、という表現が正しいだろうか。人外にとって、雲まで物理的に手を届かせるのはそう難しいことではなく、それをさらに物理的に掴むことの出来る者もいる。だが、虚無を掴むなど、どうすれば。
理論で考える。それは無駄だった。
本能で感じ取る。ただ靄のような輪郭を幻視したに過ぎない。
もはや、真結への試験や見定めなどと言っている場合ではあるまい。彼女の力は凄まじく、今の竜の巣にとって重要な存在であることは疑いようもない。
それを認めたうえで、挑戦者として――
「――っ!急げ!取り返しが付かなくなってしまう!」
「おぉい、どぉしたんだよ羅蓮」
零次だけでなく、蒼雅も純玲も気付いていないようだ。
本当にマズいことになった。試験や見定めなどと言っている場合ではなくなった。先程とはまた異なる理由で。
「このままでは、真結嬢が消滅しかねん!」
␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣ ␣
ビル、夜凪蒼雅、廃ビル、玄関扉、加々宮純玲、本棚、本、最下零次、緋凍羅蓮、ローブ、黒ローブ
シロと、クロの、セカイ
衣擦れ、話し声、足オト、風、反響オン、
シン臓の鼓動、聞こえ、ナイ
手を伸ば、す、届か␣ナイ、触れられ、ナイ、伸ばす手も、ナイ、ジブンの、手、は、ドコダ
思考、散り散␣り、に、ダメ、かきあ␣つめ、ま␣とめ、ナイ、でき、ナイ、
考え、␣ろ、考␣、え、ろ␣、かん␣が␣えろか␣んが␣えろかんがえろかんがえろかんがえろ考えろ考えろ
わた、しはここ、にあ 「本当に?」
␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣「――世話の焼けるやつだ。嫌いじゃないがな」␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣␣
わた、しは
わたしは
私は
「私は嫌いだけどね。あなたも、私も」
「そのままでいろ。とは微妙に言い難いな、その言葉は」
「でも、感謝はする。たとえ嫌いな相手でもね」
色を取り戻したセカイ、見慣れた灰色のビルの中に、竜が君臨した。




