第八話 作曲家「ヴェルデ」
「あたしも聴いたことある。音楽室の前、通るたびに聴こえてくるよ」
プリスが思い出したという感じで呟いた。
リディの目が、静かに細まった。
「……たぶん同じ曲だよ」
「えっ?」
私はぱちぱちと瞬きをした。
「昼休みによく音楽室で弾いてるのを、ぼくは何度か聴いたことある。ヴェルテ君だっけ」
シャルムが腕を組む。
「動画の曲はかなりアレンジされてるけど旋律は同じ」
「うん! 原曲より、少し速くて……最後に転調して明るい感じになってるよね!」
シャルムとプリスの言葉に、リディが小さく笑う。
私は端末の画面を見つめる。
リディの長いまつ毛が、伏せられる。
「入学してすぐ、一度彼に声をかけたんだ。でも……ピアニストになりたいからって、断られたんだ」
部室に、小さな沈黙が落ちる。
けれど、完全に諦めた顔ではない。
私は顔を上げ、みんなに声をかける。
「ねえ」
三人が視線を向ける。
「この曲の提供者の『ヴェルデ』さんに、オリジナル曲を頼んでみない? ……私、『ヴェルデ』さんの曲好きなんだ。なんか、春の始まりって感じがして」
空気が春色に染まるような旋律……。
「……そういえば!」
プリスが何かひらめいて端末の画面を見せた。
「ほら! 音楽のフリー素材作曲者、ヴェルデって書いてあるの。最近、動画投稿者の間で人気みたいなのよ」
画面を拡大する。
確かに、そこに名前がある。
青色と緑色のアイコン。
シャルムが小さく眉を寄せた。
「でも、有名なんでしょ? 相手にされないかも」
リディは少しだけ身を乗り出す。
「ボクたち、まだ何者でもないけど……何かきっかけを掴めるかもしれない。ボクの音楽性に彼はぴったりなんだ」
リディは、ゆっくりと端末を受け取った。
画面をじっと見つめる。
「ヴェルデ」
その名前を、指先でなぞる。
「……面白くなってきた」
小さく、笑った。
「真正面から断られたなら、別の形で関わってみよう」
薄青の瞳が、光る。
「作曲家ヴェルデ。キミを手に入れてみせる!」
その言葉にプリスは息を飲んだ。
シャルムも、何か気づき始める。
「ねえ」
私は首を傾げる。
「『ヴェルデ』って……まさか?」
リディはただ、少しだけ口元を上げた。
「ボクもそう思う」
リディは端末の画面をしばらく見つめたまま、何も言わなかった。
青色と緑色のアイコンの横に、小さな再生回数の数字が並んでいる。
「……人気、ほんとすごいね」
プリスが覗き込む。
「コメントもすごいね。『新時代の作曲家』とか書かれてる」
シャルムが、ため息をついた。
私はドラムスティックを握り直す。
「さっき演奏したとき、思ったの。わたしたち、まだ下手だけど……でも、始まった感じがしたの」
部室に、あの余韻がよみがえる。
ぎこちないリズムの中で、確かに噛み合った瞬間があった。
「まさに春の始まり、だよね?」
私はみんなの瞳を見て笑ってみせた。
「それじゃあ、お願いしてみよう!」
リディが、ぱっと顔を上げた。
その瞳は、さっきよりも静かに燃えている。
「断られるのは、慣れてる!」
「あたしもやれるだけのことをやりたいっ!」
プリスがうなずいて言った。
「……やるなら、本気で」
シャルムが短く答える。
リディは端末のメッセージフォームを開く。
指が、ぴたっと止まる。
「なんて送るの?」
そっと私は端末を覗き込む。
リディは少し考え、静かに打ち始めた。
『はじめまして。パルフェ学園でバンドを組んだばかりの四人です。
あなたの曲を聴いて、どうしても連絡したくなりました。
ボクたちに、オリジナル曲を提供していただけませんか?』
部室の外で、誰かの足音が遠くに響く。
夕陽が、もうすぐ沈む。
「……送るよ?」
三人がうなずく。
送信ボタンを押す。
小さな電子音。
それだけなのに、心臓が跳ねる。
「返事、来たらいいね」
私はぽつりと呟く。
リディは微笑んだ。
「来るよ。きっとね!」
* * *
その頃——
個別練習専用の第三音楽室に、放課後の静けさが満ちていた。
私は今日も一人、ピアノに向かっていた。
先生が期待してくださっている……。
来月のコンクールに向けた練習曲。
指が、鍵盤の上を滑る。
正確に、美しく。
一曲引き終えて、もう一度弾こうと鍵盤に指を乗せたそのとき——
ポケットの端末が、小さく震えた。
私はいったん手を止め、端末を取り出す。
新規のクライアントからのメッセージ。
『はじめまして。パルフェ学園でバンドを組んだばかりの四人です』
——パルフェ学園。
同じ学園の生徒?
バンド……あのときの……。
『あなたの曲を聴いて、どうしても連絡したくなりました』
胸が、小さく跳ねる。
フリー素材の曲を作曲していることがばれてしまったのだろうか。
『わたしたちに、オリジナル曲を提供していただけませんか?』
私は、しばらく画面を見つめた。
夕日が音楽室の窓から差し込んで眩しい。
ピアノの白い鍵盤が、オレンジ色に染まっていた。
——バンド。
興味がないといえば嘘になる。
でも私は、ピアニストになるんだ。
敬愛する先生の期待に応えたい。
それなのに——
指が、ひとりでに動いて返信ボタンに触れていた。




