第083話|ココ編【やっちゃった、やっちゃった、やっちゃった】
———リンゴ林
ココの視界に、自分の影が入った。
目元に手をかざし、太陽を見上げた。
「……そろそろ帰るわ」
そして、パックを見た。
「…………」
心臓が早鐘を打った。
「……あ……あのね……王都にはね……別れの挨拶みたいなのがあって……」
「……ん?」
唐突な話に、パックがきょとんとした。
ココが駆け寄り、ギュッてした。
「——!?」
パックは両手を広げたまま、固まった。
ココの髪の香りが、一瞬だけ鼻をくすぐった。
ココはすぐに離れ、馬へ駆け寄った。
——耳が熱い。
馬に跨り、視線を逸らしたまま言った。
「……言っておくけど、家族みたいな間柄でする挨拶だから……」
「誰彼構わずしたら駄目よ? ……分かったわね? ……じゃあねっ!」
あまりにも早口な別れの挨拶に、パックは目を瞬かせた。
「……ああ……うん。またね」
パックは手を広げたまま、まだ固まっていた。
ハッとして、辺りを見た。
アーラは少し離れた場所で、リンゴをついばんでいた。
「……」
そして、ココを見た。
ココは耳を真っ赤にしながらこちらへ手を振り、馬を走らせた。
パックは呆けたまま、胸の前で手を振り返した。
そして、ココの髪の香りを思い出した。
———馬上
「——っ」
ココは一心不乱に、馬を走らせた。
「……ヤバ……やっちゃった……どうしよう……」
「……居ても立ってもいられなくて……つい……」
「なんで、あんなこと……あぁ……もう……」
ココは何度もその瞬間を思い返した。
気づけば、屋敷へ戻っていた。
———エイルの屋敷
豪勢な馬車が、エイルの屋敷を訪れた。
中から、身なりの良い人物が降りてきた。
数人の使用人に気遣われながら、屋敷の中へ通された。
エイルの部屋がノックされた。
ひと呼吸置いて、扉が開かれた。
エイルはベッドに腰掛けたまま、来客を迎えた。
「……このままで申し訳ございません……」
「……病気でもないのに……」
貴族の男が答えた。
「……いいえ、お気になさらず」
「身重のお身体ですから、どうかご無理をなさいませぬよう……」
貴族の男が、ちらりと使用人を見た。
使用人はその意図を察すると、一礼して退室した。
短い世間話を交わしたあと、本題へ入った。
「……実は、支援団体からこのような声が出ておりまして……」
「……」
貴族の男の声が低くなった。
「……教団の次期“司教”には、ぜひともエイル様に……と」
「——っ!?」
エイルの動きが止まった。
「……そのお話は、一度お断りしたはずですが……」
エイルは笑顔だったが、声には戸惑いの色が混じっていた。
「……」
貴族の男は、瞼を強く閉じた。
「……エイル様を慕う者が、後を絶ちません……」
「……それに……」
「……今の教団については、良からぬ噂も耳にいたします」
「……民衆の未来のためにも、どうかご一考いただけないかと……」
「……」
エイルが窓の外を見た。
(……トール……あなたなら……どうする?……)
そして、貴族の男を見た。
「……教団には武力もある……」
「あなた方に危険が及ぶこともあるわ……」
「……だから——」
貴族の男が遮った。
「……承知の上でございます」
「ですが、私も治安維持に関わる身です。身命を賭して臨んでおります」
「昨今の魔族襲撃のみならず、不審な死や事件も増えており——」
扉がノックされた。
執事長の声が聞こえた。
「……エイル様。往診の医師がお見えになっております」
「……いかがいたしましょうか?」
エイルが答えた。
「……そうね。今は来客中だから、断って——」
貴族の男が席を立った。
「……エイル様。どうか、お考えいただきたく存じます」
「……本日は、これにて失礼いたします」
「では、また……」
一礼し、退室していった。
エイルはお腹へ手を当てた。
小さな命が、力強く、大きく動いた。




