第008話|トール編【手が、震える……】
パックの熱は既に引いていた。
使用人が運んできた朝食を、もりもり食べるパック。
「美味しい」
口の中をいっぱいにして喋った。
使用人が優しく言った。
「落ち着いて食べてね」
——エイルの部屋
トールが上着に袖を通した。
「パックが食べ終わったら出る」
「……ありがとうエイル」
エイルは焦った。
「待って……何か、他に方法があるはずよ」
「……落ち着いて、考えれば」
「そうだ」
「私も、一緒に———」
トールが首を振った。
「それは、ダメだ」
「……君を必要としている人たちがいる」
「これは……俺と、パックの問題だ」
エイルはトールの胸に額を当てた。
「……だって、あなたは」
「やっと、戦いから解放されたのに」
「……それなのに」
(行かないで……)
エイルは必死にその言葉を飲み込んだ。
トールはエイルを優しく包んだ。
「……心配ばかりで、すまない」
トールの腕の中で、エイルの肩が震えた。
そして、声を漏らした。
小さな滴が、床を濡らした。
トールはマントを深く被った。
エイルの部屋を出る足取りは重かった。
食事を済ませたパックを迎えに行った。
「息子がお世話になりました」
「朝食まで頂いてしまって」
「……感謝、致します」
そう言って深々と頭を下げた。
パックもそれにならった。
エイルは見送りには来ていない。
使用人たちに見送られて、エイルの元を離れた。
視線を感じ、トールは振り返った。
エイルは二階の窓から、トールを見ていた。
——世界が止まった。
短い時間。
握った手に、無意識に力が入った。
そして静かに目をつむった。
トールは向き直り、そのまま歩き出した。
エイルはカーテンを握り締めた。
その場から動けなかった。
やがて、抑えていた感情が溢れ出した。
全身が震えた。
手で必死に口を押さえた。
隙間から声が漏れた。
「……私は、あなたがいれば……それだけで……」
——エイルの身体には、トールが残した優しい温もりだけが残っていた。
———森
二人は、ひたすらに進んだ。
会話は少なかった。
二人は人の温かみに、後ろ髪を引かれていた。
パックが呟いた。
「……ご飯、美味しかったよ」
トールはパックの髪をくしゃっと撫でた。
「……そうか」
また静寂が訪れた。
「——!」
トールは人の気配を察知した。
手の平を下に向けて下げた。
パックはそれを見て、体勢を低くした。
だが、その気配には殺気が無かった。
村人が、山菜を採っているようだった。
そのまま少し様子を見た。
演技では無い事を確認した。
パックはそのすぐ後ろで、静かにその様子を見ていた。
トールがパックの方を向いた。
パックは黙って頷いた。
2人は警戒を解いて歩き出した。
トールは怪しまれない様に軽く挨拶した。
「やあ、この辺りは獣も出る。気を付けて」
村人は汗を拭った。
「旅の人かい?ありがとう、気をつけるよ」
その瞬間トールのマントがふわりと隙間を作った。
欠損した左腕が少し見えた。
村人の動きが止まった。
「っ!!」
「し、失礼ですが……"勇者様"……でしょうか?」
トールが黙った。
「………」
村人は少し震えていた。
「あの……私は、ここから西の村の生き残りでして……勇者様に、家族を救われた者です……」
トールの警戒が解けた。
「……あの村か」
「被害も多かったが……助かったなら、良かった」
村人の目から涙が溢れた。
「……まさか……お礼が言える日が来るとは……思いませんでした」
パックはトールの背中を見つめていた。
心の中に、まるで"草原に爽やかな風が吹き抜ける"ような感覚を覚えた。
自分に向けられた"感謝の意"では無かったが、何故か誇らしかった。
村人が改まった。
「……あの、何かお礼をさせて下さい」
トールは笑顔で返した。
「先を急ぐから、大丈夫だよ。気持ちだけで充分だ。」
村人は涙を拭いながら言った。
「では、僅かばかりですが……これを」
そう言って採れた山菜を差し出した。
トールは一瞬躊躇ったが、受け取ることにした。
「ありがとう、感謝します」
村人は何度も深々と頭を下げて2人を見送った。
村人は村に戻ったが、まだ手の震えが止まらなかった。
興奮しながら、家族に今日の出来事を話した。
開けられた窓の外で、巡回中の教団兵士が足を止めた。
“勇者”という言葉に反応した。
村人の話に聞き耳を立てた。
そして、扉がノックされた。
村人が不用心に扉を開けた。
——教団の兵士だった。
村人の笑顔が引きつった。
「……あ、うちに、何か?」
教団の兵士の声は低かった。
「……今の話、詳しく聞かせてもらえませんか?」
村人は、兵士の雰囲気に喉を鳴らした。
「……失礼します」
許可も得ずに家に入ってきた。
村人は気圧され、後ずさった。
家族全員が硬直した。
教団の兵士には表情が無かった。
子どもが泣き出した。
———教団本部
自身よりも背の高い、豪華に装飾された椅子。
そこからはみ出すように座っていた。
磨かれた大理石の長いテーブルに、豪勢な料理が並んでいた。
前菜よりも先に、分厚い肉にナイフを通した。
突き刺されたフォークからは、肉汁が滴り落ちた。
それを分厚い唇の隙間に差し入れた。
広く、静かな空間に咀嚼音が響いた。
———そこに急ぐ足音。
跪く兵士指揮官。
「報告します、"元勇者トール"の居場所を突き止めました。」
ナイフが止まった。
———静寂。
ワインに手が伸びた。
喉が動いた。
グラスが置かれる音が空間に響いた。
唇を光らせていた油をナプキンで拭った。
「……ようやくですか」
「あなたには褒美を与えましょう」
側近に目配せした。
「下がって良いぞ」
兵士指揮官
「……はっ」
戻る足音には、疲労の音が混じっていた。
側近は目を伏せた。
「準備は出来ております。いつでも御命令を」
サンデルは弛んだ顎に手を添えた。
「……ふむ……相手は、トールか……」
「……聖騎士団、第3隊・第4隊・重装歩兵・弓隊・術師隊を出しましょう」
側近は目を見開いた。
「———っ!!」
「……大規模過ぎますと、住民の反感を買う恐れが……」
サンデル
「魔族の大規模掃討作戦の名目で派兵すれば良い……」
側近はゆっくりと目を伏せた。
「……」
「……承知、致しました」
(……勇者殿……同情致します)
サンデルは指輪を光にかざした。
そして、目を細めた。
「……それから」
「跡形もなくな……」




