第003話|トール編【さあ、選べ】
暗闇の中、トールの体に稲妻が迸った。
——次の瞬間
トールは風を置き去りにした。
生い茂る木々がトールを避けた。
枝は折れない。
葉は散らない。
ただ、触れる寸前に左右へ流れた。
「……パック……風が教えてくれたぞ」
「……今いく」
——パックの自宅
パックが水瓶から水を掬おうとしていた。
すると、いつもは黙っているだけの水の精霊が、トールの姿を映し出した。
「……トール?」
「こっちに向かってるの?」
映し出されたトールの表情を見て、事態の深刻さを察した。
パックはあたふたしながら出掛ける準備を始めた。
すると、物音で起きてきた主人に出くわしてしまった。
「パックス!こんな時間になにやってるんだ!」
「……ん?どこに行く気だ?」
パックは後ずさった。
「……ごめんなさい、ご主人様」
「……何でもないんです」
主人は詰め寄った。
「何でもない訳ないだろ」
「……そんな格好して……ちょっとこっちに来なさい」
パックが両手で頭を庇った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ぶたないで!」
その時、突風が家の扉を開けた。
「———っ!?」
パックは反射的に駆け出した。
主人は慌てて追おうとした。
だがその瞬間、水瓶が"ぐらり"と傾き、目の前で割れた。
「うわぁっ、何だ急に、何故倒れた」
主人が混乱しているうちに、パックは一心不乱に走った。
パックは風に返事をした。
「……えっ?トールは南から来るの?」
路地を曲がり軌道修正した。
——森の中
地形も2人に味方をした。
山道を疾走していたトールが、谷間を進む松明の灯りを先に捉えた。
トールは祝福を消して、木陰から確認した。
松明の灯りに乱れは無く、真っ直ぐに村へと向かっていた。
「……」
「……待ってろよパック」
トールは祝福を使わずに、暗闇に紛れて村へと向かった。
——パックの村
主人は松明をかざし、周囲を探した。
「……パックスのやつ、どこに行きやがった」
「このままじゃ、報酬が貰えねぇじゃねぇか」
「……俺だって、食っていかなきゃならねぇんだ」
南に向かっているパックが足を止めた。
街道の奥に複数の松明の灯りが見えた。
「……あれは……」
「たくさんいる……トールじゃない」
路地を引き返そうとしたその時——
背後から腕を掴まれた。
主人が眉間に皺を寄せていた。
「捕まえたぞパックス」
「……お仕置きだな」
主人は松明をパックの腕に押し付けようとした。
「——っ!!」
パックは恐怖で目を瞑った。
「……」
熱くない。
松明の火は消えていた。
「……あ?、何だ?何で消えた?」
「ったく……何なんださっきから」
主人はそう言って、松明を投げ捨てた。
転がる松明。
その先に人影。
その人物には左腕が無かった。
「……その子を離してあげてくれないかな」
「……はぁ?、誰だお前は」
主人は目を凝らした。
「……私は、その子の“友達”だ」
その時、パックが叫んだ。
「トール!」
主人はパックを見た。
「……あ?……トール?トールってまさか……」
「……勇者様?……何でこんなところに?」
「……ハハ……」
笑いは引きつっていた。
「……コイツはうちの子でして、家に連れて帰る途中なんですよ……」
パックが叫んだ。
「トール!助けて!」
「パックス!!お前は黙ってろ!!」
主人は慌てた様子で頭を軽く下げた。
「……勇者様、すみません。お騒がせして……」
トールは歩を進めた。
一歩。
また一歩。
主人は、迫力に気圧されて、パックの腕から手を離した。
「トール!」
そう言ってトールにしがみ付いた。
「……もう、大丈夫だ」
主人は自分の手とパックを交互に見た。
「……え?……あ?……」
トールはしゃがみ、パックの目を見た。
(……このままでは、パックの人生が奪われてしまう……)
「……俺と、行くか?」
一瞬だけ、言葉が詰まった。
「……戻れないぞ?」
パックはトールの服を、強く掴んだ。
「……行く」
トールは何も言わず、パックの髪をくしゃっと撫でた。
そして、振り返ることなく村を出た。
トールに迷いはなかった。
だが、奪ってしまったものの重さを、ただ受けとめた。
主人は呆然と立ち尽くした。
しばらくして、教団の兵士たちが村に到着した。
——精霊——
精霊達は、生物からは認識されない存在だった。
光や風、水といった物理的な要因で認識されることはあっても、その奥にある存在までは、気付いてもらえない。
その為、彼等は孤独だった。
だが、あの少年だけは違った。
その少年のひと言が、彼等の胸の中に革命をもたらした。
「———僕と友達になってよ」
その言葉には、契約でもなく、支配や崇拝でもない、
“尊重し合う心”が包まれていた。
彼等はそれに応えた。
風が、そっと頬を撫でた。
水面が、嬉しそうに揺れた。
誰にも見えないところで、光が一瞬だけ瞬いた。
それが、彼らの返事だった。
——教会本部
サンデル司教は指輪の位置を直した。
「……で……逃したのか……」
「……申し訳……ございません……」
兵士が震えながら報告する。
わずかな沈黙。
だが次の瞬間、柔らかな声。
「……仕方ないですね」
兵士は顔を上げた。
怒鳴られなかった。
ほっとした。
サンデルは穏やかに尋ねた。
「……あなた、家族は?」
側近の顔から血の気が引いた。
兵士指揮官は戸惑った。
「……は? わ、私ですか……はい……妻と、子が2人……」
サンデルは優しく頷いた。
「……それは良いことです」
ステンドグラスを見上げながら続けた。
「……では、教会の施設に入りなさい」
「あそこは何でも揃っている」
「……不自由なく暮らせますよ」
一瞬の静寂。
兵士の背筋が凍った。
やっと理解できた。
守られるのではなかった。
囲われるのだ。
「……あ……あぁ……ありがたき……幸せにございます……」
兵士の声は震えていた。
サンデルは微笑んだ。
「……あなたは任務を続行しなさい」
サンデルの声は甘かった。
「……失敗はない。良いね?」
兵士は深く頭を下げた。
「……は……はっ……承知いたしました」
慌てて退室し、扉が閉まった。
沈黙の後、サンデルが再びステンドグラスを見上げた。
「……家族がいる者は、強い」
指輪を撫でた。
「……守るものがあるから」
視線は冷えきっていた。
「だからこそ、正しい方向へ導いてあげなければ」
燭台の火が揺れた。
その炎が、わずかに強くなった。
側近は目を伏せたまま、跪いた。
「……片腕の勇者は、いかが致しますか?」
「一般兵士では、刃が立たないかと……」
サンデル司教は指輪を光にかざした。
「……居場所を突き止めたら、数で押し切れば良い……」
「……その時は、私も行くから」
——一方その頃
エイルの部屋がノックされた。
エイルは扉へと視線を移した。
「……はい」
使用人が扉の向こうで早口になった。
「エイル様、ご報告がございます」
エイルの手が止まった。
「——どうぞ、入って」
「……失礼します」
使用人は急いでエイルの耳元まで駆け寄った。
「トール様が……護衛2人を気絶させて、家を出たそうです」
エイルは目を見開いた。
「———っ!?」
エイルは立ち上がり、窓の向こうを見た。
「……トール」
エイルの手は胸元で固く握られていた。
その手はかすかに震えていた。




