第4話 花は語り、心は決まる
宮廷中が右往左往した花月も終わりに近づいている。とはいえ、まもなくやってくる炎月一日はアリシアの誕生日。その日に祝いの宴が開かれることも決まっている。
王女宮ではその日に向けての準備が進められている。とはいえ、アリシアには特にやることはない。そのせいだろうか。彼女は何かを考えるような日々を過ごしていた。
(わたくし……どうしたいのかしら? どうすれば、いいのかしら?)
翠月の大夜会の翌日から届くようになった花かご。それが楽しみになり、届く花を待っている自分がいる。この気持ちが何なのか言葉にできるようで、できない。だからこそ、アリシアは周囲が準備にいそしむ中で、自分自身に向き合っているともいえるのだった。
「アリシア様、アルベール様がお見えでございます」
考え事をしていたアリシアは、マティルダのその声にビックリしたように顔を上げる。だが、来訪者はいろいろ楽しい話をしてくれる相手。そう思った彼女はマティルダにゆっくりと返事をしていた。
「まぁ、そうなのね。では、応接にお通しして。わたくしも、すぐに参ります」
「かしこまりました」
その声に、アリシアはふと部屋の隅に視線をやる。机の上に置かれているのは見事な紅サンゴ。アドリアンが西から持ってきてくれたものだと思い出した彼女は、いいことを思いついたような表情を浮かべていた。
やがて応接室へ向かったアリシアを迎えたのは、穏やかな笑みを浮かべるアドリアンだった。
「ずいぶん、ご機嫌じゃないか」
「ええ。いいことを思いついたんですもの」
そう言いながら、アドリアンに向けて手を差し出すアリシア。その手を取られたとき、彼女はフッと別のことも考えていた。
(……そういえば、こうやって手を取られた時って……どう、思うのかしら?)
とはいえ、アドリアンに手を取られたから、何かを感じるわけではない。兄であるエドワルドと並んだ時と同じ感覚なだけ。そう結論づけたアリシアは彼のエスコートを受けて椅子に腰かけていた。
「それはそうと、誕生祝だけでずいぶんと盛大なんだな」
「どうなんでしょう? 特に意識したことございませんでしたわ」
そう言いながらも、アリシアの中では翠月の大夜会で発せられた父王の言葉が頭にあるのだろう。ふっと、呟くように言葉が紡がれる。
「わたくし……どうすればいいのだろうって、考えること……ありますの……」
アリシアの声にアドリアンは何も言おうとはしない。ただ、彼女が言葉を紡ぐのを待っているだけ。そのことを感じているのか、いないのか。アリシアはポツリ、ポツリと言葉を続ける。
「お父様のお言葉の意味……わかっている、つもりですわ。でも……お兄様は、どうお考えなのかしら、と考えてしまうことが多いんです」
「じゃあ、アリシアはどうしたい?」
「わたくし?」
アリシアがハッとしたようにアドリアンの顔を正面からみつめる。それに対して、彼は何も言わずに、じっとアリシアの目を見るだけ。
「わたくしが、選んでも……いいのでしょうか?」
「いいと思うな。そして、選ぶなら、アリシアはどうしたい?」
「わたくし……」
アドリアンの声にアリシアは返事をすることができない。ただ、その瞳だけは、答えを探すように静かに揺れていた。
◇◇◇
そして、始まった炎月一日の祝宴。普段は静かなたたずまいの王女宮がこの日だけは賑やかな空気に包まれていた。大勢の人々が招待されてはいるが、本宮殿での夜会ほど重々しくない。軽やかな音楽が流れる中、人々は繊細な造りの宮を楽しんでもいた。
そんな中、主役でもあるアリシアが姿を見せる。今日の彼女は、兄のエスコートを受けていない。そのことに貴婦人たちの扇がかすかに揺れる。もっとも、隣にいるのがリュクリューヌの第三王子であるフレデリク。これはこれで当然だな、という思いを人々は感じていた。
それよりも、彼らの目を奪ったもの。それが、今宵のアリシアの装いでもあった。
「ご覧になりまして? 見事な紅サンゴですこと」
「ええ、お召し物のお色にもよくあっていらっしゃる」
「本当に……でも、そうなると、あちらは?」
貴婦人たちのざわめきがあたりに流れていく。彼女たちは扇の陰からゼノの姿を探してもいた。
その彼は、何事もないような顔でその場に立っている。
「王女殿下のお召し物の色、珍しいですわよね」
「ええ、でも、あれを選ばれたということは……」
人々のざわめきは止まることがない。そして、令嬢たちはアリシアの髪飾りになっている紅サンゴに憧れの視線を向けていた。
「綺麗ね……」
「あれだけの紅サンゴ、普通じゃ手に入らないわ」
「だって、あれはアルベール家からの献上品でしょう?」
令嬢たちの声はあたりに響いていく。そんな会場の雰囲気を察したアドリアンは思わず頭を抱えたくなっていた。
(違う、違うって……なんで、こんな話になるんだよ)
アドリアンの心の叫びをアリシアの隣にいたフレデリクは感じているのだろう。だが、そのことを告げるつもりもない。祝宴は華やかに続いていく。
そんな中、静かに王と王太子が姿をみせていた。彼らの登場に人々は一斉に膝を折る。それは祝宴の主役であるアリシアも同じ。そんな人々の姿に、王は静かに声をかけていた。
「楽にすればいい。今宵はアリシアの誕生日だ。アリシア、こちらへ」
その声に、アリシアは静かに王のそばへと寄っていく。そして、静かに口を開いていた。
「お父様、お祝い、ありがとうございます。そして、一つ、確認させていただきとうございます」
「なんだ?」
「先日の翠月の大夜会のお言葉です。わたくしが選んでもよろしいでしょうか?」
しっかりと父親の目をみつめ、そのように告げるアリシア。彼女の姿に王は頷き、兄は動こうとするがぐっと手を握りしめる。そんな二人の姿を背に、アリシアは人々の方に向き直っていた。
「今宵、わたくしの誕生祝にお集まりいただいて、心より感謝いたします」
そう言いながら、アリシアは深々と頭を下げる。王女である彼女が頭を下げたことで、会場にいた人々が一瞬、息をのむ。人々のざわめきの中、頭を上げた彼女は、ゼノに視線を向けるとはっきりと言葉を紡ぐ。
「この場で皆様にお伝えいたします。わたくし、アリシア・リュミエール・エルヴァンシアは、ゼノ・グラナート様を選びます」
堂々と宣言される声。貴婦人たちの扇が止まり、令嬢たちの声にならない悲鳴が上がる。グラスを持っていた紳士、令息も驚いた表情をするが、どこか納得したようにも見える。
その中で、一人だけ、呆然としていたのがゼノ。彼はアリシアの言葉が信じられないという表情を浮かべていた。だが、その膝がゆっくりとおられる。アリシアの前に跪くようになった彼の口からは、誓いの言葉が紡がれる。
「……命を賭して」
その顔がゆっくりと上げられ、アリシアの視線と絡みあう。
「……アリシア様をお守りいたします」
静かな、でも誰も遮ることのできない声。祝宴が荘厳な空気にも変わっていく。そんな中、二人はただ、お互いの姿を映しあっているだけだった……
そして、その年の秋、葉月――
エルヴァンシア王国第一王女であるアリシア・リュミエールはグラナート家へと嫁いだ。




