第2話 それぞれの現実
翌朝。
王太子宮の応接室には、昨日の夜会とは違う静けさが流れていた。
円卓にはすでにエドワルドとフレデリクが向かい合って座り、窓から差し込む朝の光が卓上の地図を照らしている。
「昨日の今日で無理を言ったかな」
「いえ、問題ありません」
「ま、こういう話はさっさとしておいた方がいいだろう」
「そうですね。国境線の様子はどうでしたか?」
国境線を示した地図を前に、二人の話題は自然と北の情勢へ移っていく。
「今のところは落ち着いてる。ただ、浮き立っているのがいるな。でも、問題ない」
「どうしてですか?」
「簡単さ。本隊が動いている。あいつらなら、ゴミ掃除も一緒にする」
「そ、そうですが……」
フレデリクの言葉にエドワルドは目を白黒させる。その時、扉が静かに叩かれた。
「失礼いたします。王太子殿下、アルベール殿をご案内しました。それと……グラナート卿もお見掛けしましたので、外でお待ちいただいていますが」
「リュシアン、入ってもらってくれ。北のことだ。グラナートも知りたいだろう」
エドワルドの声に、リュシアンは一礼して扉を開く。静かに部屋に入ってきた二人を認めたフレデリクが気さくに声をかけていた。
「グラナート? あぁ、王の剣の一族か」
「はい。次の公爵ですので、フレデリク殿とも話があうかと」
「なるほどな」
「で、昨日も紹介しましたが、彼がアドリアン・アルベール。西海岸に領地があるので、交易圏の話もできると思いまして」
フレデリクは興味深そうにアドリアンを眺める。
海育ちと聞いていたが、飾らない立ち居振る舞いは母から聞かされた王宮の人間とはまるで違って見えた。
「助かるな。で、アルベール? たしか、母上の大叔父筋の家だったな」
「らしいな。でも、悪い。系図なんてややっこしいもの覚えてないんだ」
悪びれたところのない声に、その場にいた全員が驚いた顔をする。だが、すぐにフレデリクがクックと喉をならして楽しそうな声を上げていた。
「そ、そりゃ、確かにややこしいがな。でも、少しは覚えておいてくれ。何かの役にも立つんだぞ」
「そうか? 海じゃ潮目と風が読めりゃ、何とかなるって」
その声に、フレデリクが我慢の限界がきたように笑い出す。それでも、すぐに笑いを止めると、真剣な表情を浮かべていた。
「なるほど。潮目と風ね。うちは雪と雲だ。お互い、自然には苦労するな」
「みたいだな。北の鍛冶がいいってのはきいてるんだ。ただ、ちょっと遠いな」
「船でも難しいか?」
「北の冬がいつ始まるか読めん。この機会に教えてくれると助かる」
「ああ。ただ、俺はあんまり詳しくないんだ。本隊のやつが着いたら、いくらでも聞けるさ」
その声にアドリアンはちょっと目の色を変える。その様子を見ながら、フレデリクは今度はゼノに声をかけていた。
「グラナート卿だったか? 先日は、世話になった」
「いえ、こちらこそいろいろ学ばせてもらった、と父から伺っております」
「そっちの領とは近いしな。また、一緒にやることもあるだろう」
「ありがとうございます。その節はよろしくおねがいいたします」
そう言って頭を下げると、ゼノは出された紅茶に手を出している。その姿はどうみても貴族令息。だが、フレデリクは「何かが違う」と感じていた。
そのまま彼も静かに紅茶を飲みながら部屋を見渡す。室内にいるのは王太子であるエドワルドと王族の末でもあるアドリアン。そして、自分自身はエドワルドの従兄弟であり、リュクリューヌの第三王子。王族ばかりの中に一人だけ貴族令息がいる。
そのことに気付いたフレデリクは、ゆっくりとカップをソーサーへ戻した。
そして、ゼノをまっすぐ見つめる。
「……で、花婿はお前ってことか?」
その声にゼノは思わず紅茶をこぼしそうになる。アドリアンはヒューっと口笛を吹く。エドワルドは困惑した表情を浮かべるだけ。そして、リュシアンは思わず胸の中で叫んでいた。
(フレデリク様! どうして、そこまで直球で言うんですか!)
さすがに、それを口に出すことはできない。また、出せるはずもない。リュシアンにできることは、主である王太子がどう反応するかを見ることだけ。そして、困惑したような顔をしていたエドワルドは一瞬で、表情を元に戻していた。
「フレデリク殿、どうしてそのような冗談を?」
「冗談? そんなことないぞ。俺が来たっていう意味、わかっているのか?」
フレデリクの声にエドワルドは落ち着いた声でこたえている。
「アリシアの誕生祝でしょう?」
「たしかに、それもあるな。だが、それだけで俺が来る理由にはならないぞ。お前ならわかるはずだ」
「……それは」
フレデリクの言葉にエドワルドは声が詰まっている。そんな彼に追い打ちをかけるようにフレデリクは話し続ける。
「翠月の大夜会の情報は入ってきている。宣旨まで出たんだ。間違いなく婚礼はあるだろうが」
その声にエドワルドはこたえようとしない。その姿にやれやれというような表情でフレデリクは言葉を続ける。
「王女の誕生祝だけなら、大使に任せるさ。婚礼もあるから俺が来ている。誕生祝と婚礼祝い兼ねるのは悪いと思うが、その分、張り込んであるからな」
その声にアドリアンも「なるほど」という顔でポンと手を叩く。
「たしかにな。何度も往復するより、一度でやっちまえってか? でも、婚礼もってなれば、長くなるだろう? 冬にならないのか?」
「冬に入ってすぐなら問題ない。連中のいい演習になるさ」
「ま、わからんでもないか。船でも空で動かすのが一番もったいないしな」
アドリアンのその声にフレデリクはそうだろう、というような顔でうなづいている。その横でフレデリクに現実をたたきつけられたエドワルドは動くことができない。そして、「花婿か?」と問われたゼノに至ってはどこか目がうつろになっている。
(うん、わかってたけど、重症だな……っていうより、エドワルドの方が問題かもしれないな……)
どこか冷静になってその場を見ているのはアドリアン。そして、言いたいことを言ったとばかりにすっきりした表情で紅茶を飲んでいるのはフレデリク。
(うん。今は難しいこと考えるの、やめておこう。せっかくだし、情報交換しといたほうがいいだろうな)
「なぁ、ちょっと訊きたいんだが……船道具を作ってくれるような鍛冶師に心当たりってないか?」
「うん? そりゃ、国に戻ればいくらでもいるだろうさ。細かい仕事が得意な奴もいる。っていうか、本隊の中にいたんじゃないかな」
「本当か? だったら、紹介してくれないか? もちろん、タダなんてこと言わないさ。香辛料、そっちに回せるように手配しとくし」
「そりゃ、悪くないな」
その場は完全に北と西の交易会議になってしまっている。そして、リュシアンはフレデリクからの情報を改めて頭の中で整理していた。
香辛料、鍛冶師、本隊――。
交わされる言葉を聞きながら、リュシアンの脳裏で点だった情報が一本の線としてつながっていく。
(わかっていました。わかっていましたよ……フィオレンティーナ様が絡んでるんです。でも、この段階で知りたくなかった……)
こうなったら、自分だけで対応できることではない。そのことを知っているリュシアンは儀礼課と外交課に宛てたメモを作ることしかできなかった。




