第1話 迎える者たち
花月十五日の夜会ではアドリアンがアリシアとともに出席する。その知らせを受けた儀礼課は、少し首を傾げるようだった。
王の意思は、翠月の大夜会で宣旨という形ですでに示されている。そのため、花月の夜会で王女の隣に立つのは別の人物だろう――儀礼課の多くはそう考えていた。もっとも、アドリアンもまた王族の血を引く人物である。事情を知る者ほど、「それなら問題はないか」と納得していた。
そろそろ、一日の執務も終わる。今日は無事に終われそうだと安心していた面々の耳に、予想外の知らせが飛び込んでいた。
「フレデリク殿下が王都入り口に到着されました!」
「はぁ?」
「おい、こんな時間にか?」
儀礼課の執務室は一気に蜂の巣をつついたようになっている。何をどうすればいいのかわからない面々は右往左往するしかないようだった。それでも、なんとかしなければと思う者もいる。
「おい、外務課へ連絡しろ!」
「もう走らせています!」
「調整官は!?」
「クラウス様をお呼びしています!」
その声からほどなくして、クラウスが執務室へ姿を現した。室内の騒ぎをひと目見るなり、彼は小さく額へ手を当てる。
「……またですか」
とはいえ、楽観できることではないこともわかっている。彼は状況の報告を受けた瞬間、矢継ぎ早に指示をだしていた。
「外務課のヴィルヘルム・リースフェルト参事を呼べ」
「はい!」
「それと、第4のエグバート・グランヴィルも」
クラウスの声に儀礼課職員の顔が「……え?」となる。それに対して、クラウスは表情を変えることがない。
「呼んでください」
有無を言わさぬ声に、執務室の空気が凍りつく。そこへ現れたのは文官服を着崩した相手――エグバート。
「おい、なんで呼んだんだ」
「北が来ました」
クラウスの声に、エグバートの顔から一瞬で気の抜けた表情が消える。
「……王子か」
「はい」
「到着時刻は」
「つい先ほどです」
「護衛は」
「五騎ほど」
確認を兼ねた短いやり取りが二人の間で続く。ひとしきり終わった後、エグバートは「……しゃあないな」と言うと、書類を机に放り投げる。
「お前らじゃ相手にならん」
そのままエグバートは、クラウスと、ちょうど外務課から駆け込んできたヴィルヘルムへ視線を向ける。そのまま歩き出すエグバート。クラウスとヴィルヘルムも、何も言わずに彼の後へ続いた。
◇◇◇
三人が向かったのは、正門ではなく、騎士たちが日常的に出入りする門だった。そこに体格のいい黒い軍馬が立っている。ここまで駆け通してきたのだろう。少し息が荒く、額には汗が浮かんでいる。それをそばにいる青年が丁寧に拭っていた。
彼の後ろにいるのは五騎。おそらくは護衛だろう。そう判断したエグバートが目の前の青年を見た瞬間、小さく息をのむ。聞いていたとおりの人物。だが、そんなことを感じさせない声が口からは出る。
「お早いお着きで」
「おぉ、走りやすくてな。夜会には間に合うだろう?」
その声にヴィルヘルムが天を仰ぐ。だが、エグバートは気にする様子もなく、馬の手綱に手を伸ばしていた。
「馬は厩舎につないでおきます」
「それは助かる。だが、どんなところか見てもいいか?」
「では、こちらへ」
らしいな、と思いながら、エグバートはフレデリクを案内する。その合間に、彼の服装にもざっと視線を飛ばしていた。
(自分も人のことは言えんが、この人も大概だ。)
そんなことを思いながら、フレデリクに声をかけている。
「ところで、礼服は?」
「軍服でいいだろう」
「でも、速がけされてますよね?」
「あぁ、埃ひどいな。そっちの借りられるか?」
「サイズ、合わせます」
その声に、今度はクラウスが顔を引きつらせる。その場にいた門番へ素早くメモを託し、儀礼課へ向かわせる。
フレデリクはそんなクラウスの様子にも気が付いているのだろう。だが、何も言うことはなく、エグバートを振り返る。
「ところで、お前、どこの家だ?」
「グランヴィルでございます。」
「……グランヴィル?」
エグバートの声に、フレデリクは記憶を探るように目を細める。ようやく、思い出したというような声を上げていた。
「ああ。あの親子喧嘩で屋敷を壊した家か」
エグバートが一瞬だけ表情を止め「……昔の話です」と呟く。だが、そんな声もフレデリクの耳には入っていないようだった。彼は自分が思ったことを口に出している。
「とはいえ、話が早くて助かる。」
「そうですか?」
「母上を見て育ったからな。儀礼が国を動かすことくらいは知っている。」
フレデリクの声にクラウスを始めとした三人が固まる。それを見た彼はカラカラと笑いながら言葉を続けていた。
「だが、自分でやりたいとは思わん。」
「ですので、こちらで整えておきます。」
どこか疲れたようなエグバートの声に、フレデリクは「頼む」とだけ返す。そんな彼に、ようやくヴィルヘルムが挨拶をできるようになっていた。
「お初にお目にかかります。エルヴァンシア王国、外務課参事、ヴィルヘルム・リースフェルトと申します。今宵の夜会に赴かれる前に湯を使われては、と愚考いたしますが……」
「あ、たしかに汗は流したいな。じゃ、頼もうか」
ようやく外交官としての役目を果たせたと、ヴィルヘルムは小さく胸をなで下ろす。クラウスがエグバートへ「助かった」と言いたげな視線を向ける。エグバートは一瞥しただけで、「しるか」とでも言いたげに肩をすくめた。
それぞれの思いは違ってはいるが、ようやくその場が落ち着いてきたようにも感じられるのだった。
◇◇◇
そして、花月十五日の夜会の場で、儀礼課の担当が半ば震えながら名を呼び上げる。
「リュクリューヌ王国のフレデリク殿下が到着なさいました!」
その声に婦人たちの動きが止まり、グラスを片手にした貴族はお互いに顔を見合わせる。そして、エドワルドは貴婦人たちに囲まれていたアリシアをそっと呼び寄せていた。
「アリシア、こちらへ」
その声にアリシアは静かにエドワルドの横へ立つ。その姿に誰もが目を細めていた。その時、夜会の場を閉じていた扉が大きく開かれる。
コツ、コツ、コツ――
固い靴音があたりに響く。どこか野性味を感じさせる雰囲気に令嬢たちがざわりとなり、貴婦人たちが扇の陰で値踏みを始めていた。
もっとも、相手はそんな視線を気にすることなくまっすぐに進んでいく。やがて、一番奥、エドワルドとアリシアの傍まで近寄ったとき、その足がピタリと止まっていた。
それと同時にエドワルドの声がかかる。
「久しいな。雪道で大変だったのではないのか?」
「いや、今年は雪も少なくてな。思ったより走りやすかった」
その声に外務課参事として同席していたヴィルヘルムが頭を抱える。
(……やはり、その理由でしたか。もう、やめてください……)
彼のそんな思いとは関係なく、エドワルドとフレデリクの会話は続いていく。そして、エドワルドはスッとアリシアの背中を押していた。
「妹のアリシアだ。もうすぐ17になる」
「そうでしたね。今回はそのお祝いも兼ねて、参上させていただきました」
「お久しゅうございます、フレデリク様。嬉しゅうございますわ」
「祝いの品は後からくる本隊に任せているから。楽しみにしていてくれるかな?」
「はい。本当にありがとうございます」
(兄上……あとはお願いいたします。ここから先は外務課のテリトリーではありません)
なごやかに談笑する王族たちとは別に、文官たちはますます胃が痛くなることを確信するしかないようだった。




