第4話 花咲く庭の邂逅
西の海岸線を離れてから十日。
潮の香りと波音に囲まれて育ったアドリアンにとって、内陸へ向かう旅はどこか落ち着かないものだった。窓の外に広がる景色は緑豊かな平野へと変わり、見慣れた海はとうに地平の向こうへ消えている。
あと一日もすれば王都へ着く。
それでも、王太子から呼び出された理由だけは最後まで分からないままだった。
「なあ、俺って何かやらかしていたか?」
「一応、わかる範囲で調べましたけど、そういう兆候ってありませんでしたよ」
「だよなぁ。納めるもんはきちんと納めているんだし」
「なんですよね。だから、不思議なんです」
「カルロでもわからんか」
カルロは思い出したように苦笑した。からかうように、出発前に祖父が言ったことを口にする。
「じいちゃんは、王都に呼ばれたんだし縁談かって言ってましたけど?」
「やめろ。それは爺の嫌みだ」
アドリアンの声に、カルロの楽し気な笑い声が重なる。その彼の脳裏には、《ヴェリシア海商同盟》から流れてきたアリシアの肖像画が浮かんでいた。
「ですよね。いくらなんでも17歳の絶世の美少女が、三度の飯より海と船が好きな29歳なんか選ぶはずないですし」
「それって、地味に貶してないか?」
「まさか。本心です」
何かが待っている。その何かがわからないまま、主従を乗せた馬車は軽快に王都への道を進んでいた。
◇◇◇
十日間の旅路を終えた主従を迎えたのは、エルヴァンシア王城だった。
海を見慣れたアドリアンでさえ、一瞬だけ言葉を失う。
「……でかいな」
西の屋敷は潮風と嵐に耐えるための実用が第一。だが、目の前の王城は違う。
巨大な石壁は威厳そのものを積み重ねたようで、海とはまるで別の強さを持っていた。
「な、なぁ。やっぱり、王城、だよな……」
「そうですね。アルベールとは規模からなにからまるっきり違う」
二人のそんな思いは、王宮の人々の姿を見るとますます強くなる。
長く裾を引きずる貴婦人のドレス、儀礼剣を佩いた近衛の姿。
海と漁師の世界に生きていた彼らにとってはまるで別世界だった。
そして、彼らを迎えた文官たちもどこか困惑している。
たしかに王族の血筋ではある。だが、今まで王都へ姿を見せたことは一度もない。
かろうじて家系図からはたどれるがそれだけの存在。ましてや、今はそれ以外にも頭の痛い案件が多い。
結局、彼らはアドリアンの申告を耳にするなり、王太子宮へと丸投げすることにしたようだった。
◇◇◇
「こちらからどうぞ」
アドリアン主従の案内を任された儀礼課の文官は慇懃な調子で二人を導いている。彼らの立場を考えれば、本宮殿を突っ切っていくのは避けたほうがいいだろう。そう思った彼は王女宮から王太子宮へと辿る道を選んでいた。
「ずいぶんと花が多いな」
「はい。王女殿下が花をお好みになられますので」
あたりさわりのない会話が続く。その時、庭園の入り口近くに人の気配が集まっていた。花の香りにも負けないかぐわしい香りが漂ってくる。穏やかな調子の声がさざ波のようにあたりを満たす。そんな貴婦人たちの姿にアドリアンは「ほぉ」と感嘆の声を上げていた。
「あそこにおられるのは?」
「あぁ、王女殿下ですね。ご機嫌伺いにご婦人方やご令嬢も集まられているようですが……」
案内の声に、アドリアンは興味をもったようにそちらに視線を向ける。そこにいた春を思わせる少女の姿に、軽い口笛が漏れていた。
「若、失礼ですよ」
「カルロはそういうがな。あれは、賞賛に値するって。肖像画より美人じゃないか?」
「たしかにそうですね。王国が自慢するのもわかる美貌ですよね」
軽口を叩きながら、アリシアたちの姿を見ていたアドリアンだが、ちょっと首を傾げる。
「なぁ、気にならないか?」
「何がですか?」
「そりゃ、西だって礼儀はある。けどな、こういう場なら、もっと我先になる奴がいてもおかしくない。絶対に縄張り意識あると思うんだがな」
「たしかに……言われてみれば、ずいぶんとお行儀よく並んで挨拶されていますね」
二人の声に文官は何事もないかのように声をはさむ。
「特に不思議なことではないでしょう。なんといっても、王女殿下は最上位の貴婦人です。簡単にお声をかけられる方ではないので、順序というものがあるのですよ」
その声に、主従は思わず顔を見合わせている。
(ほんとにそう思うか?)
(いえ。どう見ても、皆さん毒気を抜かれてます)
(だよな……)
二人は声にならない会話を繰り広げている。そこにアリシアの澄み切った声が届いていた。
「今日はみなさまにお会いできて本当に嬉しいですわ」
「わたくしたちこそ、お目にかかれて嬉しゅう思っております」
「髪にお花ですの? やはり、よくお似合いでいらっしゃいますわ」
「ありがとう。このところ、たくさんいただいているので、こうやってつけてもいいかと思ったのよ」
初夏の午後にふさわしい、ゆったりとした口調の会話。普段の耳になじんだものとは違う。王都と西の違いはこれなんだなと思ったとき、ふと、女性たちの空気が変わる。
(何かあったのか?)
そこに現れたのは一人の青年。きちんと貴族服を着こなし、腰には細いレイピアが下がっている。誰がみても貴公子というだろう。だが、アドリアンは別の評価を下していた。
「貴族なのに、随分と体ができているな」
そばにいた文官の耳には届いていない。だが、カルロには聞こえていたのだろう。彼も青年を一瞥した後、アドリアンにこたえている。
「騎士でしょうか?」
「だろうな」
と言いつつも、少し注意深い視線の後で、言葉を変えている。
「……武人だな。あれだけ自然に力が抜けている人間は、毎日鍛えている」
「……あ、たしかに」
そのやり取りは誰の耳にも入っていない。そして、貴婦人たちの声が風にのって流れてきていた。
「あら、グラナート卿ではございませんこと?」
「こちらにおいでになられるのは、珍しいこと」
「ちょうど、本宮殿に用がございまして。お庭に出られたと耳にいたしましたので、ご挨拶をと」
その声に婦人たちの扇が軽く動く。そして、それと同時にアリシアの声が響いていた。
「グラナート様、先日はお心遣い、ありがとうございました」
その声にゼノは返事ができない。ただ、アリシアの髪に飾られている花に視線が向いている。そして、彼の表情が一瞬でも変わったことを婦人たちは見逃していないようだった。もっとも、彼女たちはそのことを口にするようなことはない。ごくごく自然にアリシアとゼノの距離をとるように声をかける。
「そういえば王女殿下。あちらの花が満開になっておりましてよ」
「まぁ、そうなの?」
楽し気な様子で婦人の声に応えるアリシア。そのままの調子で、彼女はゼノに声をかけていた。
「本日はお会いできましてよかったですわ。また、お目にかかりましょう」
「……はい」
その声に軽く頷いたアリシアは、婦人や令嬢と一緒にその場を離れている。その姿をきちんと頭を下げ、見送っているゼノ。
そんな一団の様子をアドリアンとカルロは不思議そうな顔で見ることしかできなかった。
「若、あれって何を見せられたんでしょう?」
「そんなの俺にきくな。わかるはずないだろうが」
主従がこっそりと囁きあう。それに気が付いてもいるのだろうが、文官は何も言わない。彼は王太子宮への道を案内する、という役目に没頭することを決めているようだった。




