第3話 積みあがるもの
王都の文官棟。
朝から儀礼課の廊下を走る伝令の足音は、一向に途切れる気配を見せなかった。
「北の国境線より急使! フレデリク王子が護衛数騎とともに国境を越えられました!」
報告が響いた瞬間、室内の空気が凍る。
「それ、天災だ!」
誰ともなく漏れた一言に、数人の文官が深く頷いた。
書類を抱えたまま走り去る者。
予定表を書き換える者。
胃薬を取り出す者。
誰一人として、「歓迎の準備を」と口にする者はいなかった。
そこへ今度は、別の伝令が飛び込んできた。
「ロスベルグ家を通して聖堂教会より通達がありました! 教皇猊下の葉月の予定を空けていただいた、とのことです!」
読み上げられた文面は丁寧そのものだった。
……問題は、その末尾である。
『教皇猊下の予定、空けておきましたわ♡』
「メリセーヌ様……」
誰かが天井を仰ぐ。
また一人、机の引き出しを静かに開いた。
さらに続く。
「西より報! アルベール家一行、王都へ向けて出立!」
「なんで今さらあの家が!」
誰かが叫び、誰かが予定表を書き換え、誰かが机へ突っ伏す。
その喧騒を眺めていた新人文官が、おそるおそる口を開いた。
「……南は、おとなしいですね。」
一瞬だけ静寂が落ちた。
古参文官が、ゆっくり顔を上げる。
「南は動かなくてもいい。」
「え?」
「ヴァルモン侯爵家の勢力圏だ。」
新人は数度瞬きをした。
「……つまり?」
「もう知っている。」
一拍。
新人の顔から血の気が引いた。
「お、終わった……」
その時、扉が開く音がする。また、胃痛の元になる知らせがくるのではないか。そう思って顔色を悪くしている新人の耳に、聞きなれた声が飛び込んできた。
「まったく、嘆かわしいですね。予定外が重なった程度で、この騒ぎですか。うろたえるにもほどがあります」
「調整官……」
「とはいえ、確かに収拾のつかない事態になっていることも認めましょう。そして、早急に決めねばならぬことも多すぎます」
淡々と告げられる声は儀礼課の中を渡っていく。どうすればいいのかと青くなっていた新人たちは息をつく。そして、古参の文官は心得たような表情を浮かべていた。
「では、リースフェルト調整官。どのようになさいますか?」
「そうですね……まずは記録課を招集しなさい。あそこの記録と今回のことを照らし合わせれば、少しは道もみつかるでしょう」
そういうと、彼は新人の文官に鋭い視線を向ける。
「まずは整理です。どの文書がどこに入れられるのか。それを理解することが先です。前例はあります。ただし、みつけるためには秩序が必要です」
その言葉は儀礼課で「美文の鬼」とまで恐れられるリースフェルト調整官―クラウス―の通常運転。そのことに、新人文官はどこか安堵感を抱いていた。もっとも、当のクラウスは表情を変えることなく次々と言葉を発する。
「今回は予定外が3つですね。でも、予測もできるところが2つ。まさかが1つでしょうか」
「そ、それはどういう意味ですか?」
「わかりませんか?」
新人の声にクラウスは心底あきれたような表情を浮かべる。そのまま、出来の悪い子供に教えるように淡々とした調子で言葉が続く。
「北と東は動きます。なんといっても、フィオレンティーナ様とメリセーヌ様は王女殿下、ひいては王太子殿下の伯母君にあたられます」
「た、たしかにそうですね。そうなれば、翠月の大夜会の宣旨に反応するのは当然。でも、宣旨は発令されましたが正式布告はまだですよ!」
「愚か者! 正式布告を待っていれば間に合わないのをあちらは知っているのです。だから動いた」
クラウスの声に中堅文官は「だよなぁ」と言いながらせっせと手を動かす。それを横目で見ながら、クラウスは話し続けていた。
「ですので、北と東は想定内。さすがに、この時期に西までとは思いませんでしたが……」
「調整官の言いたいことはわかる。今までアルベールが王都に来たことなんてないんだからな」
中堅文官の声に新人は「そうなんですか?」と間の抜けた声を出す。それに対して、クラウスは冷ややかな声でこたえていた。
「精進が足りません。先々代の記録を読み直しておきなさい。そうすれば、想定外という理由がわかります」
クラウスの声に、新人は顔色が悪くなるが、それを慰めるものはいない。その時。儀礼課の扉が開くと山のような書類を抱えた文官が入ってきた。
「四男、来てくれたか」
「兄上、何があったというのですか」
お互いに淡々とした調子の二人。入ってきたのは、記録課のリースフェルト三等書記官と呼ばれているフロイ。そういえば、調整官とこの人って兄弟だったな、という思いがその場にいた人々の中には浮かんでいた。
「一応、該当しそうなものは集めてみましたが、なんといっても古いものしかないですね」
「仕方がありません。現王の王姉殿下の記録くらいしか当てにできないのですから」
「そうですね。亡くなられた王妃殿下は国内のお方でしたし……」
その言葉に、古参の文官たちはそうだったな、というような顔をする。しかし、兄弟は感傷的になっている時間はないと知っているようだった。
「四男、そちらでどうにかできますか?」
「無理です」
「そこをなんとか」
「記録課は記録できます。でも、ないことは記録できません」
フロイの声にクラウスは一瞬、考え込む。だが、考えたところで答えがでるはずもない。結局、大きなため息をつくことしかできなかった。
「まったく……もう少し時間があれば、何とかできないこともないのですがね……」
クラウスのその声と同時にまた扉が開く。そして、明るい声が響いていた。
「兄上、それなら北の方はこちらで引き受けますよ」
その声にクラウスがハッとしたように振り返る。そして、入ってきた相手を見るなり、安心したような声になっていた。
「ヴィルヘルム! お前のところで引き取ってもらえるのか?」
「当然でしょう。フレデリク王子の件はさすがに兄上のいる儀礼課では厳しいですし、フロイの記録課は畑違い。となると、外務課のうちが一番でしょう?」
「そうですね。やはり、ここは専門家の意見が一番正しい。お任せしますよ」
クラウスの声にヴィルヘルムはフッと笑みを浮かべる。そのまま、周囲の空気を軽くするような調子で話し続けていた。
「はい、任されました。ということで、兄上たちは残りの案件をお願いします。殿下は間違いなくこちらで確保しておきますから」
そういうとヴィルヘルムは何事もなかったように儀礼課から出て行っている。それを見送ったクラウスとフロイもお互いに顔を見合わせていた。
「兄上、教皇猊下は儀礼課でお願いします」
「わかった。では、記録は任せてもいいか?」
「もちろんです。残るのは西、ですね……」
「ま、あちらはそのうちにわかるでしょう。まずは、最優先事項を解決するのが必要です。
すべては炎月一日までに整えなければならないのですから」
そういうと、クラウスは東からの書状をまとめている。儀礼課に降り注いだ天災規模の災難はようやく終息の一途を迎えようとしているのだった。




